第五話:カニについて知ろう
ギルドの重い扉を押し出ると、街はちょうどお昼時を迎えていた。
頭上から降り注ぐ太陽の光が、ツヴァイのびしょ濡れだった髪や服を心地よく乾かしていく。大通りは行き交う人々で賑わっていた。
「そういえば、朝からギルドの列に並んで模擬ダンジョンに入り浸りだったから、何も食べてないな。マリンもお腹空いただろ?」
「は、はい。少し……」
ツヴァイに覗き込まれ、マリンは小さくお腹をさすりながら恥ずかしそうに俯いた。
「マリンは嫌いなものとかあるのか?」
「特にないですけど……あ! 昔、お父さんが遠征先から持って帰ってきた虫料理がトラウマで、それだけはちょっと……」
「あー、あれか。カリッとしてて結構美味いんだけどな。まぁ、この辺の店で虫料理を出してくるところはないから大丈夫だ。俺のオススメの定食屋に連れてってやるよ」
「お、お願いします」
ツヴァイが先頭に立って賑やかな街並みを抜けていくと、少し看板の傾いた味のある店が見えてきた。
「ここが俺のオススメだ! 『オークの生姜焼き定食』が安くて美味くて、とにかく最高なんだぜ!」
「あの、ツヴァイさん……凄く量が多くないですか?」
他のお客のテーブルへ次々と運ばれていく漫画のような山盛りご飯を見て、マリンが引きつった声を出す。
「ああ、あれは大盛り無料だからみんな頼んでるだけだよ。普通盛りはあれの半分だからマリンでも大丈夫! 万が一食べきれなくても、俺が残りを全部平らげてやるから好きなメニューを頼んでくれよな!」
「えっ!? そ、それはちょっと恥ずかしいというか……その……」
なぜかマリンが耳まで真っ赤にしてソッポを向いてしまった。残すのが悪いと思って助け舟を出したつもりなのだが、ツヴァイには彼女が怒った理由がさっぱり分からなかった。やはり乙女心というのはダンジョンより複雑らしい。
マリンは一生懸命メニュー表にしがみつき、ようやく決まったというように注文を口にした。
「コ、コカトリスの胸肉サラダと、ライスを普通盛りでお願いします」
「あ、おじさん! 俺はオークの生姜焼き定食ね!」
「あいよ! 合わせて60ゴルドね!」
元気のいい店員が厨房へと去っていく。
「マリン、胸肉サラダだけで足りるか? かなり少ないぞ」
「わ、私、あまり沢山食べられないので。それに……」
「それに?」
「わ、私だって、もう少し縦に大きくなりたいんですよ……!」
上目遣いでジロリと睨まれる。ツヴァイは本当に乙女心が分からなかった。小柄なのは可愛いと思うのだが、本人は気にしているらしい。
やがて運ばれてきた料理を前にすると、気まずい空気は一瞬で吹き飛んだ。
「おお! これこれ! 食べ慣れてるけどやっぱり美味いんだよな~!」
タレの染みたオーク肉と白米を豪快に口へかき込むツヴァイを、マリンは慎ましやかにサラダを突きながら、どこか楽しそうに見つめていた。
「本当に、その生姜焼きが好きなんですね」
「おう! この店の不動の一番メニューだからな。次はマリンも絶対に食べるべきだぜ!」
「ふふふ、楽しみにしていますね。――それじゃあ、お腹もいっぱいになったことですし、本屋さんに行きましょうか」
店を出ると、ツヴァイはきっぱりと言った。
「ああ。俺は本屋なんて滅多に行かないから、マリンの案内に従うぜ」
二人が大通りから路地を二つ曲がった先に向かうと、そこには定食屋の看板よりもさらに激しく傾いた、今にも潰れそうな古本屋があった。
「マリン……ここ、本当に大丈夫なのか?」
「建物は傾いてますけど、品揃えは『ガチ』だって、お父さんがいつも言っていました。私も何度か来ているので大丈夫ですよ」
引き戸をくぐると、独特な古い紙の匂いが鼻腔をくすぐった。
「いらっしゃぁ~い……」
店の奥の薄暗いカウンターに、もの凄く陰気な雰囲気の女性が座っていた。
「珍しい本が、たくさんあ~るよぉ~……」
声のトーンはどこまでも低いが、何故か不思議とフレンドリーな空気を感じる店主だ。
「あの、シオンさん。以前お父さんが言っていた『カニの本』って、まだ残っていますか?」
「あ~、マリンちゃん。……隣にいる男の子は、彼氏ぃ~?」
「ち、違います! パーティメンバーです! それより、本はありますか!?」
事実ではあるのだが、あまりにも全力で、かつ食い気味に否定されたので、ツヴァイは胸のあたりが少しだけモヤッとした微妙な気持ちになった。
「う~ん、それはさておき。カニの本なんて売れるわけないから、まだあるよぉ~。300ゴルドね」
「銅の剣と盾を合わせたより高いのかよ!?」
ツヴァイは思わず叫んでいた。本一冊が、命を懸ける武器一式より高額だなんて。
「専門書は高いんだよ、少年~。しかも需要が底辺だしねぇ~。どうする~?」
「ま、まあ……さっき臨時のボーナス(1500ゴルド)があったし、一冊貰うよ」
「まいどありぃ~。二冊欲しくても、世界に一冊しかないけどねぇ~、フフフ」
店主のシオンは棚の奥から、ガサゴソと分厚く立派な装丁の本を取り出してきた。表紙には『図解! 世界のカニ図鑑』とでかでかと金文字で書かれている。
「でも、探索者なのにカニ図鑑なんて何に使うんだい~?」
「俺の『甲殻戦士』って職業が、どうもカニっぽい行動をすると強くなるみたいで……」
「ふぅ~ん、変な職業もあるんだねぇ~。物知りの私でも、そんなの前例がないから知らないよぉ~。まぁよく分かんないけど、お父さん探し、頑張りなよ。彼はうちの上客だったからねぇ~」
シオンの陰気な笑顔に見送られ、二人は本屋を後にした。
「あの店主、マリンの事情を知ってるんだな」
「お父さんとシオンさんは昔馴染みらしくて。私がこの街へ来たときに、色々と相談に乗ってもらったんです」
「そっか。マリンのお父さんは、本当に顔が広かったんだな」
「うん……」
少し寂しそうに微笑むマリンを見て、ツヴァイは慌てて話題を切り替えた。
「と、とりあえず、さっそく買った本を読んでみようぜ! えーっと、なになに……『カニの生態。カニは2本の強力なハサミと、8本の歩脚を持ち――』って、おい、俺の脚は2本しかないぞ」
「脚は増やせませんけど、こっちはどうですか? 『全身を強固な甲殻に覆われ、外敵の攻撃を一切寄せ付けない』――これって、全身鎧を着れば再現できるんじゃないでしょうか?」
「おお、それだ! じゃあ次は全身鎧を買おう。お金が足りればだけど……。ええと、次は……『危険を感じたカニは、自らの脚を切り離す(自切)ことがある。切り離された脚は、脱皮と共に元通りに再生する』……いや、人間が手足を切り離したら再起不能だろ!?」
ツヴァイが本気で戦慄していると、マリンがフフッと笑いながらページをめくった。
「『湿り気の少ない場所では、口元から泡を吹いて酸欠状態を表す』……ツヴァイさん、泡とか吹けますか?」
「無理だよ! 泡吹いてたらただの異常事態だろ! ……うーん、役に立ちそうなのが全身鎧を着るくらいしかないなぁ」
「じゃあ、武器を剣じゃなくて『ハサミ』にするのはどうですか? 大きな盾を二枚持って、敵を両側から挟み潰すとか。ほら、お父さんが言っていた、荷物をガッチリ掴む『物流の重機』みたいでカッコいいですよ!」
「大盾の二枚持ちで挟撃か……! 面白いけど、そんなのオーダーメイドだからお金が足りないなぁ」
「ふふ、とりあえずは全身鎧を買えるか検討して、次の『森ダンジョン』で資金を貯めましょう!」
「そうするしかないか!」
夕日に染まる街並みの中、二人は次の冒険への期待を胸に、それぞれの宿屋へと足を向けるのであった。
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