崩壊する理想
幼い頃に夢中になって読んだ、王子様が活躍する絵本。
その中には、カーミラが読んでいたものと同じかまでは分からないが、闇に堕ちた少女を救いあげる物語もあった。
望まぬ魔に染められ、罪のない人々を傷つけた少女は、王子に救われた後もなお罪の呵責に苦しみ、罪を償う為に自ら命を絶とうした。
そんな少女を止めながら、王子は言った。
『君が自ら命を絶った所で、起きてしまったことは何も変わらない。だからこそ、君は生きて罪を償うべきだ』
そんなのは無理よ、誰も罪人である私が生きることを許してなんかくれない。
そう言って啜り泣く少女を、王子は優しく抱きしめた。
『誰が許さなくても、私は君を許すよ。不幸な君が、生きて幸福になることを、世界で唯一私だけは許すよ。……だから、お願いだ。どうか生きてくれ。私が、ずっと君の隣にいるから。君の隣で、一緒に君の罪を償うから、どうか私一緒に生きてくれ』
それは、とても美しい物語で。
私は、罪を犯した少女さえ、懐深く受け止めて支える王子様を、どうしようもなく寛容で優しい、理想的な人物だと思った。
こんな人に愛されたいと……そして、アルファンスと出会ってからは、こんな風に生きたいと、そう思うようになった。
人は誰もが過ちを犯すもので。
罪を犯した人物を、いくら責め立て苦しめても、それはただひたすら不毛なだけで。
悔恨に苦しみながら、更生をした罪人は、許し支えるべきだと、それこそが正しい道だと思っていた。
私は、たくさんのものに恵まれた、幸福な人間だから。
不幸に喘ぎ、その不幸が故に罪を犯してしまう可哀想な人間を、責める権利なんかきっとないんだ。
私だって、もし同じ境遇に陥ったなら、同じ過ちを犯していたかもしれないのだから。
実際カーミラは、私が今まで許して来た「罪びと」たちと、大して違わない。
ディアンヌは、自身を裏切った恋人を殺した。――だけど、私は、彼女がアーシュと共に幸せになる道を、祝福さえした。
ザイードは、アルファンスに対する対抗心の強さのあまり、ヘルハウンドの力を借りてアルファンスを傷つけようとした。――けれども私は、アルファンスがザイードを許し、彼らの間に確かな友情の絆が芽生えたことに、感動さえ覚えた。
カーミラが犯した罪は大罪だ。だけど、結局悪魔の召喚が未遂で終わった今、彼女の罪はそこまで責め立てられるべきものなのだろうか。
カーミラは、結果論ではあるが誰の命も奪っていない。
実際に一人の命を奪ったディアンヌの方が、よほど責めるべき対象のようにも思える。
カーミラは、まだ年若く、そして、彼女が生きてきた世界はあまりに偏って歪んでいた。
誰も……彼女を批難した母親ですら、彼女に正しい世界を教えてはくれなかった。
もし、彼女に正しいことを教え、更生させることが出来る相手がいるとするならば、それはきっと彼女が慕っている私だけだろう。
彼女の隣で、根気強く正しい道を諭し続ければ、きっと彼女は自身が望んだ「善良な人間」になることが出来る。
取り返しがつかないだなんて、そんなことはないんだ。
他でもないカーミラ自身が、生き方を変えることを望んでいるのだから。
王子様なら。
私が目指す、理想の王子様なら、きっと伸ばされたカーミラの手を掴む。
彼女を救い上げ、正しい道へ導く筈だ。
「どうかお願いです……レイ様」
伸ばされたカーミラの手が、私の腕を掴もうとした。
私はその手を――振り払った。
「……そう言った申し開きは、まもなくここにやって来る、私のお父様にすればいい。娘の私が言うのもなんだけど、お父様は公正な方だから、情状酌量の余地を鑑みたうえで、最も君に相応しい裁きを下してくれるだろう」
口から出た言葉は、自分でも驚くくらいに冷たかった。
「今となっては、私が君の為にしてあげることなんて、何もないよ」
心の奥底で、私が作りあげた「王子様」が、叫ぶ。
不幸な境遇故に罪を犯してしまった、哀れな少女を救うべきだと吼える。
だけど、私はそれでもカーミラを、許せない。
……許したく、ないんだ。
自分の勝手な都合で、私の大切な親友を傷つけた、彼女を。
「……どうして……どうして!! レイ様!!」
「――カーミラ・イーリス!! 悪魔召喚未遂の罪状で、お前を捕縛する!!」
顔を悲壮と絶望に歪ませて、カーミラが掴みかかって来たのと、駆け付けたお父様とその私兵達が部屋の中に流れ込んで来たのは、殆ど同時だった。
カーミラは屈強な男達に瞬く間に拘束され、私から距離を離された。
「……レイリア。お疲れ様。私が駆けつけるまでの間、よく頑張ったね」
取り押さえられるカーミラには視線をやらないまま、どこか複雑そうな笑みを浮かべえるお父様に小さく頭を下げた。
「……カーミラに毒を飲まされた親友が心配なので、後はこの場を任せても良いですか」
「……うん。いいよ。行っておいで。アルファンス王子も、お疲れ様でした。後処理は大人の領分だ。今日は遅いし、もうゆっくりお休み」
再び頭を下げると、そのまま速足でお父様の脇を通り過ぎた。
「レイ様、どうして!! 私を救ってくれるのではなかったのですか!? 貴方は私の王子様ではなかったのですか!? ……裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者切り者裏切り者……王子様なら王子様らしく、ちゃんと可哀想な私を救いなさいよぉおおおお!!!!!!」
背中に突き刺さるようなカーミラの呪詛は、聞こえないふりをした。