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アーシュ・セドウィグという男

 初めて出会った時、その人は泣いていた。

 絹を裂くような声を上げて、俺の存在に気付くことなく、ただ泣き続けていた。

 失った愛を嘆く、悲痛に歪んだその顔に、胸をしめつけるような、その慟哭に、俺はどうしようもなく惹きつけられた。

 どうか泣かないで。

 貴女は、一人じゃないよ。

 俺が、ここにいるよ。

 ずっと俺が一緒にいてあげる。貴女が淋しくないように。

 だから、お願い。笑った顔を、俺に見せて。


 貴女の笑顔が見たいんだ。




「アーシュ・セドウィグか……どこかで聞いたような名前だな」


 ミーアから相談を受けた翌日の放課後、私はミーアの教室を訪れていた。

 ミーアの幼馴染兼婚約者であるアーシュは、放課後は皆がいなくなるまでいつも本を読んで教室で過ごしているらしい。まるで教室から出た後の行動を、誰かに見られるのを避けるかのように。……怪しいと言えば怪しく思えなくもないかもしれない。

 ミーアには昨日の打ち合わせで、いつもの通りに教室を出ていって貰うように伝えてある。

 幼馴染であるミーアが残っていたら、アーシュの印象もまた違って見えるかもしれないからだ。やっぱり初対面の相手と、親しい相手では、態度も印象も異なるからね。


「失礼します……アーシュ・セドウィグはいるかい?」


 教室の扉を開けて中を見回し、思わず眉を顰めた。

 あれ……誰も、いない?

 おかしいな。ミーアはこの時間はアーシュがいるって言っていたのに。


「――あれー。『白薔薇の君』だ。え、俺に何の用?」


「っうわっ!」


 不意に隣から掛けられた声に、思わず変な声が出た。

 っ気配が……気配が一切無かった!

 慌ててその場を飛びのいて、後ずさりをする私に、本を片手に座っていた男は喉を鳴らして笑った。


「そんな、驚かないでよ。ずっと俺ここにいたでしょ。そんな風に幽霊でも見た反応されると流石に傷つくからさ」


 うん……成程、確かに私が彼に気付かなかったのは、異常と言ってもいいかもしれないな。


 件のアーシュの姿を一目見て、思わず納得してしまった。


 アーシュ・セドウィグは背が高く、たれ目がちの甘い顔立ちをしていた。だけど、普通ならば彼が目を引く理由は、単純に彼が美形だからというわけではない。


「……随分と斬新なファッションをしているんだね」


「そう? 結構これ、平民の学校では普通だよ」


 砕けた口調も、着崩されて原型が分からなくなっている制服も、わざとくしゃくしゃに波打つようにアレンジされた紺の髪の毛も、あちこちにつけられた一目で安物と分かるアクセサリーも、……何と言うか、彼は全てが貴族らしくなかった。彼は貴族の子息令嬢ばかりのこの学園の中では明らかに「異端」な存在だ。こんな目立つ存在を、何故自分が先程見つけられなかったのか、さっぱり分からない。

 まあ……男性用の制服着用している私も、服装に関しては大概人のことは言えないけれど。


「俺さ、六歳でお袋が死んで貴族の親父に引き取られるまで、ずっと平民として生きてきたから貴族のかっちりとした格好とか苦手なんだよね。大体、遊び心が足りないんだよ。せっかくこの学園は、服装規定緩いのに、みんなきっちり、同じ格好してさ。……その辺、白薔薇の君はなかなか良い趣味してるよね。遊び心しかないというか」


「……なんかちょっと複雑だけど、私の格好のことを褒めてくれてありがとう。それより平民として生きてきたって?」


「そ。俺庶子だからさ。貴族の親父が本妻も子どももいるのに、スケベ心で手を出したメイドが、俺のお袋。お袋はさ、本妻さんにいびり出されて、ミーアの家で住み込みメイドしながら俺のこと育ててくれたんだけど、流行病で死んじゃってさ。まあ、すったもんだあって、親父に引き取られることになったわけ。ずっと平民のつもりで生きてたのにさ、柄じゃないよな。貴族なんてさ」


 ……重い過去を、何でもないように語るな。この男は。しかも欠伸までしているし。

 なんていうか、本当強烈な印象の男だ。


「で。白薔薇の君は、俺に何の用? 告白……は、ないよね。俺のこと知らなかったみたいだし」


「まあ……それはないかな」


「なら良かったー。白薔薇の君に想いを寄せられなんかしたら、ミーアとアルファンス王子に殺されるところだった」


「……なんで、そこでアルファンスの名前が出るんだ?」


「あれ。あんなに強烈に意識されているのに、気付いてないの? 白薔薇の君って鈍感なんだね。アルファンス王子、かわいそ」


 意識って……ただライバル視しているだけだろ。

 そりゃあ、婚約者が別の男を好きになったりなんかしたら、プライドが傷ついて怒るかもしれないけれど、どうもアーシュの言葉には別の含みを感じだが……。


「……私のことは、どうでもいいんだ。それより、私は君のことを聞きに来たんだ」


「俺のこと?」


「そう。……ミーアが君のことを、心配していたからね」


 本題を切り出すと、流石のアーシュもバツが悪そうに顔を歪めた。


「あー……その。ミーアは、俺のこと、なんて?」


「君が、ミーアの幼馴染兼婚約者であることと、……あと、君に好きな人が出来たってことを」


「……ミーア、そこまで話したのか……弱ったなぁ」


 アーシュが溜息を吐いて項垂れたので、慌てて付け足す。


「言っておくけど、ミーアがその話をしたのは誓って私だけだよ。彼女は、君に悪評が立つことを望まなかったからね」


 このことでアーシュが気分を害してミーアに冷たく当たることになったら、あんまりだ。ミーアに悪意がない事をちゃんと伝えておかないと。

 私の言葉にアーシュはガリガリと頭を掻いて首を横に振った。


「いやあ……俺のことは、別にどうでもいいよ。どう考えても、悪いのは俺の方だし。どんな責めでも、甘んじて受けるべきだと思ってる。……たださ。婚約者が心変わりをしたなんて噂が立ったら、ミーア自身の評判だって傷つくでしょう? それが一番心配なんだ」


 ……おや。

 アーシュは思っていた以上に、ミーアのことを大事に思っているらしい。


 婚約者がいるのに、好きな人が出来たことをミーアに悟らせるような身勝手な男だと思ってただけに、少し意外だ。


「安心してくれていい。私はこのことを他の誰かに口外してはいないし、これからも口外する気は無い。何なら誓約の魔法に誓ってもいい」


「いや……そこまではいいよ。そもそも、原因である俺が頼めた話じゃないもんな。ミーアがあんたを信用して話したんだ。俺が口出しできる話でもないさ」


「そうか……。君は、ちゃんとミーアのことを考えているんだね」


「ミーアは俺の大切な幼馴染で……家族みたいなものだから」


 アーシュは昔を思い出すかのように目を細めながら、どこか遠くに視線をやった。


「……住み込みでお袋がメイドとして働いていたから、ミーアもミーアの両親も、俺とお袋を家族同然に扱ってくれたんだ。お袋は俺の親父のこと、ちっとも話して無かったらしいから、俺はミーアたちにとってはただの使用人の子どもでしかなかったのにさ。それで、俺が親父に引き取られてからも気に掛けてくれて……本妻さんたちに疎まれて、家に居場所がない俺の為に、婿に入る形でのミーアとの婚約の話を親父に持ちかけてくれた。家的には俺の家の方がランクは上だけど、俺を厄介払いしたい本妻さんの後押しもあって、婚約は成立したんだ。ミーアにも、ミーアの両親にも、俺は感謝してもしきれないよ」


「……それなのに、君は好きな人が出来たのか?」


 それはあまりにも、ミーアにもミーアの両親にも不義理なことのように思えた。

 そんなに気を掛けてもらいながら、好意から婚約を持ちかけて貰いながら、皆の気持ちを裏切るだなんて。

 ミーアは、アーシュのことを異性に思っていないとは言ったが……それでも両親に言われて婚約に応じるんだ。きっとアーシュのことを憎からずは思っていた筈。

 思わずきつい口調になった私に、アーシュは自嘲するように笑いながら、頷いた。


「そ。……勝手な話でしょ。自分でも分かってる。――だけど、駄目なんだ」


 そう言ってアーシュはそっと目を伏せた。


「ミーアも大切だけど……あの人とは、全然違うんだ。あの人に向ける想いと、ミーアに向ける想いは全然違うんだ……理屈じゃなくて、俺……あの人じゃなければ、駄目なんだ」


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