ミーアの悩み
「……ほら。アルファンス。この子も、ちゃんと結婚後も守護してくれるっていっているじゃないか。ならば、全く問題ないだろう?」
「騙されるな、レイリア!! そいつ、お前の結婚を妨害する気満々だぞ!! 実際今だって、俺に激しく威嚇しているだろうが!!」
威嚇……?
アルファンスの言葉に、ユニコーンの方を向いても、ユニコーンは変わらず円らな瞳で私を見上げているだけだった。
「……何を言っているんだい。アルファンス。この子はこんなに大人しくて美しいのに」
「だ・か・ら、レイリア!! 何で分からないんだ!! そいつはどう見てもネコかぶっているぞ!! お前が見ていない時の顔は、凶悪そのものじゃないか!!」
「……アルファンス。いくらユニコーンが人語を解せるくらい知能が高いからといって、そんな器用な真似をする筈がないだろう。元々、人と交流を図らない種族なんだから」
「だが、実際今!!」
「……そんなことより。美しいユニコーン君。私は君のことをなんて呼べばいいのかな? 私がつけさせてもらってもいいかい?」
「話を聞けぇ!!」
「……で、アルファンス王子の反対を押し切って、この子と契約したわけ」
マーリーンは、魔具によって膝に乗るくらいの大きさになったユニコーンこと、フェニを膝に抱きながら溜息を吐く。
フェニはマーリーンの膝をお気に召したのか、大人しく横になりながら、円らな瞳で集まった女の子達を見つめて、女の子達にきゃあきゃあ愛でられていた。
「勿論。結婚後も契約してくれる以上、私にフェニを手放す理由はないからね。……それにしても、アルファンスはひどいと思わないかい? フェニは皆に触れられていてもこんなに大人しくしている良い子なのに、あんなことを言うなんてね」
「……そりゃあ、ここは未婚の女の子ばかりだからね。ユニコーンが大人しくて当たり前でしょう」
「うん? なんか言ったかい、マーリーン」
「何でも……全く、本当鈍すぎるわ」
何かをぶつぶつ言いながらも、マーリーンの手はただひたすらフェニを撫でていた。
どうやらあの絹の糸のような鬣の感触を気に入ったらしい。
口では可愛くないことばかり言うけど、マーリーンのこういう所可愛いよね。本当。
「……あんた、またなんか気色悪いこと考えたでしょ」
……なんで、いつもばれるんだろう?
私は誤魔化すように苦笑いを浮かべながら、女の子の一人が持ってきてくれた手作りクッキーを齧った。
……うん?
「……これ、作ったのは誰かな?」
「わ、私です。何か……?」
「その。言いにくいんだけど……ミーア。これ、味見したかい?」
「え……うわ、しょっぱい!! ごめんなさい!! 私、塩と砂糖間違えたみたいで……」
「気にしないで。ミーア。君にはいつも美味しいクッキーを貰っているから。そもそも好意で持って来てくれるものを、文句をつけたら罰が当たるよ。……だけど、ミーア。料理上手の君がこんな失敗をするなんて珍しいね」
私の言葉に、ミーアは暗い表情でうつむいた。
……そう言えば、最近ミーア、何か物思いに耽っていることが増えたな。
「もしかして、ミーア。君、何か悩みがあるのかい?」
私の言葉に、ミーアははっとした表情で顔を上げた後、静かに一つ頷いた。
「そうか。……ここでは言えないことかい?」
「私だけの問題だったらいいのですが……とある人の、名誉に関わりますから、皆がいる前では……」
「なかなか重い問題のようだね。……ミーア。私だけだったとしても、それは言えない? 無理して聞き出すつもりはないけれど、君が心配なんだ」
ミーアは少しだけ黙り込んで考え込んでから、口を開いた。
「……レイ様、だけなら」
「そうか。ありがとう。……マーリーン。皆。そういうことだから、今日は」
「部屋を出ればいいんでしょう。分かったわ。私もミーアのことは少し心配していたのよ」
「一緒に相談に乗れないのは残念ですが、仕方ありませんわ」
「レイ様一人占めするなんて、ずるいわ。ミーア。今日だけ特別に許してあげるから、早く元気になりなさい」
「ありがとう……みんな」
マーリーンからフェニを受け取って、そのまま出て行くみんなの姿を見送った。
最後の一人が出たのを確認してから、フェニを床に立たせて、ミーアに向き直る。
「……それで、ミーア。君は一体、何をそんなに悩んでいるんだい?」
「……実は、私の婚約者は、幼馴染なのですが……彼に、最近好きな人が出来たみたいで」
「……その幼馴染君は、ここの生徒なのかい?」
「はい。クラスも一緒で、いつも顔を合せています」
「そうか……」
この学園の生徒は、皆、今の状態が束の間の自由であることを知っている。
だけど理解はしていたとしても、人の気持ちばかりは、どうしても止められない。
許嫁がいても、他の誰かを好きになってしまうことは誰にだってありえるのだ。……その後、それを学園にいる間だけの恋にするか、家に反対されてでも押し切るかは、その人次第だけれども。
だから、私はミーアの幼馴染を声高に責めることはできない。私が今、出来ることは……。
「……レイ様? どうしたんですか。腕を広げて」
「おいで。ミーア。泣きたいのだろう? 私の胸を貸してあげるから、存分に泣くといい」
許嫁に裏切られて消沈している彼女を、精一杯慰めてあげることだけだ。
いつでもミーアが飛び込んで来ても大丈夫なように両手を広がる私を前に、ミーアは顔を真っ赤にして首を振った。
「ち、違います! いや、レイ様の胸に抱かれるというのは、非常に魅力的な提案なのですが、別に私は幼馴染が誰かを好きになったことに傷ついているわけではないのです! 元々親同士が勝手に決めた婚約で、お互い異性と思ったこともないですし! そもそも私はレイ様一筋ですから! 幼馴染がそれで幸せになれるなら、喜んで身を引きますとも!」
「……おや。なら、良かった」
ミーアが婚約者の心変わりに傷ついたわけではないと知って、少しホッとする。
いくら人の心を縛ることはできないとはいえ、それでミーアが傷つくのはやっぱり理不尽だから。
「それじゃあ、どうしてそんなに悩んでいるんだい? てっきり私は、君が婚約者の心変わりに傷ついているからかと思ったのだけど」
「それが……好きな人が出来てからの、幼馴染の様子がどうも変なんです」
ミーアは少し太めの眉をきゅっと寄せて、顔を歪めた。
「生気がないというか、どこか存在が希薄になっているというか……元々、私の幼馴染は、明るくて目立つ人だったのですが、何だか最近は本当見る陰がなくて。……ちょっと油断すると、まるで消えてしまったかのように、どこにいるのか分からなくなってしまうんです。最初は恋煩いで消沈しているせいかな、って思っていたんですが、よくよく考えてみるとどう考えてもおかしいんです。異常なんです。消沈しているだけで、あんな風になる筈がないんだから。……だけど、誰に言っても分かってくれなくて……前から、そんな風だったと言う友達すらいるんです。そんな筈がないのに」
そこで、ミーアは潤んだ榛色の瞳を私に向けて、懇願した。
「どうか、レイ様、一度私の幼馴染に会ってみて頂けませんか? そして、私が感じている違和感についてどう思ったか、教えて欲しいんです。……何だか、もう頭がおかしくなりそうで……」
……正直、ミーアが言う異常の意味は、ミーアの幼馴染を知らない私にはよく分からなかった。
幼馴染がどれほど目立つ生徒か分からないが、恋煩いで意気消沈して口数が少なくなれば、存在感がなくなることだってあるだろう。前からそうだったという友人にしても、その幼馴染がミーアと他の友人に見せていた姿は、また別だったのかもしれない。親しい人の前だけ、明るい人内弁慶気質な人は少なくもないから。
だけど、ミーアの表情があまりにも真剣だから。
真剣で、そして、今にも泣きだしそうなくらい不安げなものだったから。
「――分かったよ、ミーア。明日の放課後、君の幼馴染に会って来るよ。だから、そんな顔をしないでおくれ。君に悲しそうな顔は似合わないから」
気が付けば、私はそう言って、ミーアの頭を優しく撫でていたのだった。