蓋の下のアフェの実
「火の大精霊では、ない……」
【精霊も、人を呪うことはある。だがそれは、人で言う呪術とはまた違うものだ。意志によって行われる通常の魔法とは異なり、特定の対象を不幸にしたいと言う感情の強さ等故に魔力が暴走し、勝手に魔法が発動するのが精霊の呪いだ。無意識が故に、生じる現象は自身の属性によるもので、他属性のものが生じる可能性はまずないと言っていい。風の子の話を全て呪いが原因だと仮定するなら、豪雨は水属性、地震は地属性の領分だ。どう考えても火の幼子の仕業ではない。……大体精霊という生き物は、何かを呪うほどの負の感情に染まった時点で、半分悪霊化しているものだ。幼子とはいえ大精霊。あれが悪霊化等したら世界を滅ぼしかねない大災厄に変じるが故、もし呪いの主があれなら精霊界は今頃大騒ぎになっとるわ。……なあ?】
……いや、なあと言われても。
私は、火の大精霊のことは話でしか知らないから、肯定は出来ないのだけど。
だけど、そうか……そうだよな。
アルファンスを愛し子に選んだ大精霊が、そんなことする筈ないものな。
火の大精霊が犯人ではないと後押しされたことに、ひとまずホッと胸を撫で下ろした。
やり方は間違っているかもしれないが、同じようにアルファンスを大事に思っている火の精霊を、憎まなければならないのは正直嫌だった。火の大精霊が、小さい子だと判明したならば猶更。
……いつか、アルファンスと火の大精霊が分かり合える日がくればいいという想いは、今も変わらず私の胸にあるから、これ以上状況は悪化させたくないんだ。
それはアルファンスにとっても、火の大精霊にとっても、放っておいてくれと思う様な、余計な想いかもしれないけれど。
「それじゃあ、一体呪いの主は……」
【精霊以外の呪術のことは、私には分からぬ。専門外だ。……まあ、ただ何らかの人ならざる物の力が介入しているだろうということは、確かだろうな。豪雨や地震のような自然に介入するような呪術は、唯人が一人で背負うにはあまりに重過ぎる。もし一人で行っていたなら、今頃反動で廃人になっているだろうからな。その反動を吸収する、人外の何かが必要な筈だ】
既に呪いに関する興味は失せたのか、クオルドはどこかつまらなそうな表情でそう言うと、その長い髪を掻きあげた。
【しかし、事情を聴いてもなお分からぬな。……何故風の子。お前が、先ほどあんな顔をする必要があるのだ】
「……え」
【お前は自らの身を挺してでも、大切な友を守ったのだろう? それなのに、何故あのように落ち込んでいたのか分からぬ。お前は自らの行為を誇りに思って、胸を張って笑うべきではないのか?】
「だけどそれは……マーリーンは望んでいなかったことで」
【何故そこで守られた側の友の心情が関係あるのだ? お前自身が決意して行ったことで、実際お前の望み自体が叶ったのならば、それを行われた側がどう思ったか等関係ないだろう。したいことをして、望んだ結果が出た。それが全てじゃないか】
クオルドの言った言葉の意味が、私にはよく分からなかった。
良かれと思ってやったことでも、それが望まれていないことだったら、それはつまり間違いだったということじゃないのか。
例え私がどれほど正しいことをしたと思っていても、それが人を傷つけるなら駄目じゃないか。
クオルドは大きく溜息を吐いて肩を竦めると、籠の中に乗っていたアフェの実を手に取ってボールのように弄び始めた。
【人間というのは、あれやこれやと色々考えて、面倒くさい生き物だな。――私はな、風の子。それがフルーリエの為に必要だと思えば、国だって滅ぼすぞ】
「……っ!!」
【フルーリエが間違っていると、こんなことをやめろと泣いたとしても、それが私にとって最善である限りは、けしてやめない。幾多の生を犠牲にしても、悪霊化して他の精霊達をも敵に回すことになっても、この命が尽きるまで、人を、生き物を、排除し続ける。その結果、二度と生き物としての輪廻の輪に戻れなくなったとしても構わぬ。……まあ、幸いなことに、フルーリエの為に一国を滅ぼすことが最善だと思われる事態は起こっていないがな】
「……何で、そんな」
【それが、私にとって『最善』と思える道であるからだ】
クオルドは立てた指先でころころとアフェの実をバランス良く転がしながら、榛色の瞳で私を見据えた。
【私は、世界の誰よりもフルーリエが大事だ。200年以上もの月日を、一時の享楽に任せて無為に生きてきたのは、全てはフルーリエと出会う為だったと思っている。フルーリエの為ならば私は何でもする。……『私が』フルーリエの為だと思うことならば、な】
「……でも、それがフルーリエ先生が望んでいないことならば、独りよがりなのでは」
【独りよがり? 上等だ。……望まぬことを行って批難されることよりも、フルーリエの意志を尊重して、フルーリエがむざむざ傷つく方がよほど許せぬ。私はただ、私が正しいと思ったことを行うまでだ】
クオルドは指先に乗せていたアフェの実を弾いて、私に向かって落とした。
慌てて掌でキャッチすると、ふんと満足げに鼻を鳴らして言い放った。
【何が正しくて、何が間違っているかなど、実際に行動し、蓋を開けて見るまで分からぬよ。もし蓋の下にあるのが、アフェの実だとしたら、どうなる? 蛇が出るかも知れないから蓋を開けて欲しくないという周りの声に従い、閉めたままでいたならば、中で腐るだろうが。私は誰が何と言おうが中にあるのがアフェの実だと信じて、開ける。もし蛇が出たら、その時は退治する。それだけだ。それが一番、悔いが残らぬからな】
「………」
【風の子よ。迷うのは人間としての愛しい性とも言えるかも知れないが、お前の大切なアフェの実は、箱の中でもうかなり熟しているのではないか? お前が迷っているうちに、腐るか、他者に食われるかしてしまうのではないか? まだ何も解決等していないのだろう?】
……そうだ。マーリーンの呪いは、まだ何も解決していないのだ。
マーリーンに拒絶されたことで悩んでいる時間などない。例えマーリーンが嫌がっても、私は、私の出来ることをしなければ。
私は私の『最善』をしなければ。
実際、今までだってそうしてきたじゃないか。何を迷っていたんだ。私は。
……ああ、だけど。
「だけど、それでも、どうすればマーリーンを救えるのか、分からないです……」
クオルドの話で、犯人が精霊じゃないことと、恐らくそこに人外の力が介入していることは分かった。
だけど、それは既に私もある程度は想定していたことだ。
それでも、その可能性を考えていてもなお、マーリーンの呪いの原因は分からなかった。
新たな情報を得るべく今すぐ動きたくても、私は明日の朝まではベッドから離れられない。
ただ気持ちばかりが急くばかりで、何も出来ない。
自分の行動が正しいのか、迷うこと以外は何も。
改めて、自分の無力さに打ちのめされる。
【一人で蓋が開けられない? ……ならば、人を増やせばいい。一人では開けられない蓋は、二人ならば開けられるかもしれないのだから】
そう言ってクオルドは、閉まっているカーテンしかない筈の自身の背後を振り返って頷いた。
【……手助けとして、最善の相手が来たようだな。それではそろそろ私はお暇させて頂こう。なかなか興味深い時間だった。……ああ、そうだ】
クオルドの視線が、再び私の方へと向いた。
【……ただ眺めているだけなら良いが、出方を間違えると余計に状況がこじれるぞ。まあ、せいぜい上手くやることだな。私の心の平穏の為にも、拗れた糸が解けることを祈っているぞ】
意味深なクオルドの言葉を聞き返す間もなく、クオルドの姿は宙に溶けるように消えてしまった。
次の瞬間、乱暴に扉を開く音が聞こえてきた。そしてバタバタした足音と共に、勢いよくカーテンが開かれる。
「――レイリア!! 目が醒めたのか!?」
カーテンの向こうにいたのは、走って来たのか息を荒げながら、真剣な表情で私を見据えるアルファンスだった。