風の高位精霊
華やかで美しい中性的な顔立ちも、澄んでいるけどきちんと男性的な声も、知らない筈なんだ。
だけど私はきっと、この人を知っている。根拠はないけど、そんな気がする。
それにしても、この人の私に対する「風の子」って呼び方。……まるで、風の下位精霊のような……。
……あ。
「……もしかして貴方が、クオルドさんですか?」
【何だ、今頃気が付いたのか。風の子。存外察しが悪いな】
フルーリエ先生を愛し子に選んだ風の高位精霊は、呆れたように肩を竦めながら、お見舞いにと置かれていたアフェの実を勝手に齧り始めた。
……あ、精霊でも物を食べるんだな。しかし、風の特性とはいえ、色々自由だな……。
「……いや、声を聞いたのも姿を見たのも、初めてだったもので」
【火の幼子が、うるさかったからな。大精霊とはいえ、あれほど未熟なら本気になれば捻じ伏せられないこともないかとも思ったが、わざわざ面倒ごとを負ってまで、お前に姿を見せる価値も見いだせなかったから、従っておいたまでだ。……しかし、どういった心境の変化か、最近考えを変えたらしい。姿を見せるも声を掛けるも、好きにしろと言いだした。……何ゆえだろうなあ?】
そう言ってクオルドは意味深な笑みを浮かべながら私を……否、私の後ろの方を見ていた。
もしかしたら私の背後に誰かいるのかと思って、後ろを向いたが、勿論そこには誰もいない。
クオルドは小さく鼻を鳴らして笑うと、溢れる果汁で手を濡らしながら再びアフェの実を齧った。
「幼子……?」
【生まれてから二十年も経っていない精霊など、幼子も良い所だ。力ばかり強い幼子の癇癪に巻き込まれるのは、勘弁願いたいところだが、火の愛し子や風の子がこの学園にいる限り、私も全く無関係にはいられまい。フルーリエに被害を掛かることだけは阻止しなければならないからな。様子見も兼ねて、今日はこうしてお前を見舞いに来たわけだ】
……やっぱり、火の大精霊は小さな子どもなのだな。
かつて下位精霊に出会った時に考えたことが、正しかったことを知る。
手に掛かった果汁を舐めるクオルドの姿を見ているうちに、更なる嫌な仮定が脳裏をよぎった。
「まさか……マーリーンの件も、火の大精霊が……」
もしかしたら今回のことも、子どものように感情的で、多分私をすごく嫌っている火の大精霊が、本格的に私を排除する為に動きだした為に起こったことなのだろうか。手始めに、私の親友であるマーリーンを狙って、周りから追い詰めていこうとしているのか。
私の精霊に関する制限を止めることで一度事態を収めたように見せかけて、これからじわじわと私を不幸に陥れていくつもなのではないか。
「……いや、流石にそれはないか」
何となくだけど、私に害を為すなら、そんな回りくどいことをせずに直接私にぶつけてくる気がする。火の玉とかをぶつけるとか、そう言うダイレクトな形で。
自分のせいだとばれて、アルファンスに今以上嫌われているのを恐れているのだとしても、こんな回りくどいことはしない気がする。
二十歳にも満たないという火の大精霊が、人間よりもずっと成長が遅い、子どもだというならば猶更。
【……何だ。風の子。ただの事故かと思えば、何かの事件に巻き込まれているのか】
私が一人で勝手に納得したところで、クオルドが食いついて来た。
クオルドは、隠す気がない好奇心に目を輝かせながら、私の方に身を乗り出していた。
【火の幼子の名誉の為だ。私に事情を聞かせてみろ。こう見えても三百年の長き日を生きてきた、高位風精霊だ。そこらの人間や本より、よほど知識はあるぞ。何か役に立てるかもしれない。ついでに、さっきしょぼくれていたわけも教えろ。このまま帰ったのじゃ、気になって敵わん】
クオルドの言葉は、マーリーンのことで頭を悩ませていた私にとっては願ってもない言葉だった。
今の私には、マーリーンの気持ちも、自分が何をすべきなのかも分からない。誰かに話しを聞いて、一緒に考えて欲しい。
それにまだ事件は解決していないのだから、解決の糸口になるかも知れない情報は少しでも多い方がいい。高位の精霊であるクオルドなら、私が知らない何か有益な情報を持っているのかもしれない。正直今は、藁にも縋りたいところだ。
しかし、過去のアルファンスの言葉が、私にクオルドに相談することを躊躇わせた。
『……お前は、馬鹿か。何で学業に関しては俺よりよほど優秀な癖に、そういった事には頭が回らないんだ。……相談に行った時点で、お前は既に、相談相手の教師を、ひいてはこの学園そのものを巻き込んでいるんだよ。話を聞いたという事実がある以上、『知らなかった』という言い訳は存在しなくなるからな。相手が高い地位を持っているなら、猶更だ。この学園の教師は、社会的な地位だけを言えば生徒よりも低い。だからこそ、よけい生徒の声を無視できない。お前はある意味では、身分を笠に着て、教師を使っているとも言えるんだ』
クオルドに相談すれば、それはフルーリエ先生にも伝わるだろう。
そうなった時、私は間接的でもフルーリエ先生と学園を巻き込んだことになる。
マーリーンが呪われていることが明確である証拠は、まだない。
あまりに出来過ぎているが、全て不幸な偶然だと言えばそう思えないこともないのだ。
そんな状況で、このことを大騒動にしてもいいのだろうか。
そもそも一番の被害者であるマーリーンが、大事にすることを望んでいないのに。
【……余計なことで悩んでいるようだが、私はお前が話すことをフルーリエに話す気はないから安心しておけ】
私の心を読んだかのようにクオルドからそう言われて、どきりと心臓が跳ねた。
【私は基本、フルーリエが余計なことに巻き込まれるのは不愉快だ。それが良いものであれ、悪いことであれ、私以外のことでフルーリエの頭がいっぱいになること自体が、許せぬ。フルーリエはただ、私のことだけを考えていればいいのに……全く、本当ならばこの学園に関係者全てを排除したいくらいだ】
「……だけど、貴方は以前、アーシュの事件が起こった時に私の行動をフルーリエ先生に報告したと聞きました」
【アーシュ? ……ああ、ディアンヌに愛された、あの若造のことか。あれはフルーリエに頼まれたから動いたまでだ。もし万が一お前に何かあれば、フルーリエに迷惑が掛かると聞けば、乗り気じゃなくても動かないわけにはいくまい。風の属性が強いお前のことも、それなりに気に入っているしな。お前が水の娘に害されるのは、あまり愉快なことじゃない。……だけど、今回のことはフルーリエから何も言われてないからな。私が完全に、自分の意志だけで動いていることだ。ただの私の好奇心にフルーリエを巻き込むはずがない】
流石愛し子であって、愛されているな、フルーリエ先生。
それにしても、クオルド。はっきりと今、ただの好奇心だって言ったな……。火の大精霊の名誉云々はどこ行ったんだ。
【こうなったからには、話を聞かせてくれるまで、とことんここに居座り続けるぞ。最早完全に、お前が巻き込まれていることに興味を抱いてしまったからな。言っておくが私はしつこいぞ。だからさっさと諦めて話すといい】
「……はあ」
……フルーリエ先生を巻き込まないのなら、いいのかな?
私は少し躊躇いながらも、包み隠すことなく事の顛末をクオルドに打ち明けることにした。
【……ふん。なかなかおかしなことに巻き込まれているな。風の子】
私の話を聞き終えたクオルドは、興味深そうに自身の顎を撫であげた。
【呪術云々は私には良く分からんが、ただ一つはっきり言えるのは……今回のことに、火の幼子は全くの無関係だろうということだな】




