三つ目の呪い
「……え。フェニを呼んでも、駄目なのかい」
「だから、そういう特別なことは、変に視線を集めるでしょう。あんたがべったりなだけで、ただでさえ注目集めているのに、これ以上見られるのはごめんよ。だいたい、フェニがいると、授業があまり進まないじゃない」
「それじゃあ、マーリーンの守護獣であるレンドルを……」
「あんたね……樹が歩き回っている姿なんて、目立つなんてもんじゃないでしょ。そもそも、レンドルは、ルッカスの森から出られないわ。召喚の時は一時的に、幽体の姿で応じてくれたけど、森以外では力が使えないもの」
マーリーンの守護獣(……と表現するのもおかしい気もするが)であるレンドルは、トレントだ。降水量が少ないトラドル地方で、唯一植物が豊富に生い茂っているルッカスの森を牛耳る、古代樹の精霊である。昔から水の精霊と深い関わりがあるレンドルは、自分が住まう森の周辺だけは十分な降水量を得られるように、太古から契約を結んでいるのだという。
森を傷つける人間を嫌い、ほとんどの人間に対しては森の中に足を踏み入れることも許さなかったレンドルだったが、マーリーンは別だったようだ。
両親の仲が険悪で親しい友人もいなかったマーリーンは、孤独な幼いアーシュがしていたように、それが禁忌だとも知らないままに、実家の近くにあるルッカスの森に足を踏み入れるようになった。
マーリーンが、地属性が強いことも一因だったのかもしれない。森を傷つけるような愚かな行為をしない、ひとりぼっちの可哀想な少女を、レンドルは拒絶しなかった。寧ろ、まだ戦うことを知らない幼いマーリーンを傷つけようとする生き物たちから、彼女を守りさえもした。召喚までは下級の地の精霊を通して以外は、言葉を交わすこともなかったというが、それでもレンドルはマーリーンを幼い孫か何かのように優しく慈しみ見守っていたのだ。
「だけどレンドルだって、マーリーンのことを心配している筈だよ? せめて眷属を貸してもらうとか……」
「……トラドル地方の豪雨の被害があったのは、ルッカスの森だって例外ではないわ。多過ぎる雨は、木の枝を折り、根を枯らす。……レンドルは、今森を回復するだけで手一杯の筈よ。これ以上、余計な気苦労を掛けたくないの」
どこまでも、周りを頼ろうとしない、マーリーンに何だか泣きそうになった。
レンドルだって、マーリーンの状況を知ったら、私と同じ気持ちになる筈だ。
守りたいと、そう思う筈なのに。
それなのに、どうしてマーリーンは自分一人ですべてを背負いこもうとするのだろう。
――「助けて」と言っては、くれないのだろう。
午前中の授業は、マーリーンの何らかの不幸が降りかかることもないまま、特別問題もなく終わった。
「……やっぱり、呪いなんてないのよ」
そういって、マーリーンは食堂の料理を、ナイフで切り分ける。
……実は、この料理に毒が入っていたり、とか、食中毒が、とかないよな。
いや、その辺は学園専属の料理人のことを信じたいけど……つい、疑心暗鬼になってしまうな。
「……マーリーン。一口、交換しないかい? これ、美味しいから食べてごらんよ。私もマーリーンの魚のフライ、ちょっと食べてみたいからさ」
「……マナー云々は置いておいても、あんたの顔、そういう台詞を言う時の表情じゃないわよ。明らかに。変な物なんて入ってやしないわよ。そもそも、もしそうだとしても、あんたまで同じのを食べたら、被害が二倍になるだけで、何の解決にもならないじゃない」
……う。そうだけど。その通りなんだけど。
私が食べて見たら何か分かることも……ない、か。
「変な心配なんてしないで、料理に集中なさい。あんた、ただでさえ目立つんだから、変な事していたら噂になるわよ」
別に噂になっても構わないんだけど……。そうしたらマーリーンのことを心配してくれる人も増えるかもしれないし。
料理を食べる手をとめ、顔を上げて改めて周囲を見渡すと、じっと私を見つめている、いくつかの瞳が目に入った。にっこりとほほ笑みかけると、女の子はきゃあきゃあと嬉しそうにし、男子生徒はどこか呆れたような視線と共に、目を背ける。……いつも通りのお馴染みの光景だ。
そう思った途端、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
向けられる瞳の中に、あの紫水晶の瞳をみつけてしまったからだ。
多くの生徒達の中に埋もれるようにして、カーミラは、無表情で、私とマーリーンを見つめていた。私の視線に気が付いた途端、にこりと嬉しそうに微笑んだが、その瞳は明らかに笑っていなかった。
私は引きつった笑みを返すと、すぐにまた料理に視線を戻した。
「……どうしたの? レイ。顔色が、悪いわよ」
「いや、ちょっとね……。あ、マーリーン食べ終わったなら、そろそろ出ようか」
……今のマーリーンには、薄紫の手紙の子が見つかったとかは言わない方がいいよな。きっと。
それにしても……さっきのカーミラの視線、私を見ていたと言うよりも、マーリーンを見ていたような気がするのは、気のせいだろうか。
これも、また、私の疑心暗鬼のせいなのだろうか。
――もしマーリーンを呪う相手がいるとしたら、犯人はカーミラなんじゃないかと思ってしまったのは。
何の証拠もないし、そもそも呪いかどうかも分からないのに、人を疑うのは悪いことだとは分かっているけれど。
「……昼休みに図書館に来るなんて、珍しいね。マーリーン」
食堂を出たマーリーンの行先に、思わず苦笑いがもれた。
……何だかんだ言って、マーリーンだって気にしていたんじゃないか。
「……ただの個人的な興味よ。別に、呪いだなんて本当に思っているわけじゃないわ」
「あ、その本は昨日、私読んだけれど、それらしいのは載ってなかったよ。というか、この呪術関係の棚は全部見たから、調べるなら別の分類のものの方がいいかも知れない」
「………」
マーリーンは黙って、手に取っていた本を棚に戻した。
……分かりやすいなあ。こういう時は。
「……個人的には、召喚獣か精霊に関する本を次は読んでみようかなと思って。ここにある蔵書は全部読んでいるけど、目的が違ったから、何か見落としがあるかもしれないし」
「……あんた、どれだけ本を読んでいるのよ。私なんて、入学して以来図書館なんて殆ど足運ばないのに」
いや、元々本は好きでたまに図書館には来ていたんだけど、最近になって急に読まなければならない機会が増えて……改めて考えると、何か私の周り、今年になって急激に色んな事件が発生している気がするな。……私の方こそ、何か呪いに掛かっていたりとか……いや、流石にそれは無いか。
「後、考えられるのは……そうだな。魔物関係の本とか……っ!!」
「っ……地震!?」
突然ぐらりと足元が揺れたと思うと、そのまま建物全体が大きく左右に揺れ出した。
ガタガタと音を立てて棚が揺れ、廊下から生徒の悲鳴と、避難を促す声が聞こえてくる。
……この辺りで今まで地震なんて起こったことはなかったのに……っ!!
「――あぶない!! マーリーン」
マーリーンに向かって倒れ込む本棚が目に入った途端、考えるよりも早く体が動いた。魔法を発動する余裕なんてなかった。
マーリーンを突きとばした瞬間、雪崩のように降り注ぐ本と共に、棚が私の上に倒れて来る。
「……レイ!! レイ!! レイ!!」
マーリーンは……無事みたいだな。良かった。
私は君を、守れたんだね。
泣き叫びながら私の名前を呼ぶマーリーンの声を聞きながら、私は全身に痛みを感じながら、そのまま意識を失ったのだった。