井の中の蛙
いや、寧ろ王族だったからなおのことだったのかもしれない。
かつての王族は、闇属性の人間が差別されているのを黙認するどころか、推奨している節すらあったと言われているのだから。
平和な今とは違って国内外の勢力争いが激しかった当時、王族は自国の貴族達を纏める為に、彼らの不満の捌け口になる共通敵を欲しがっていた。浄化の役割を担っていた聖属性の民が離れたことで、以前よりずっと高い頻度で闇に心を浸食され、しばしば問題を起こすようになっていた鼻つまみものの闇属性の民は、スケープゴートにするにはうってつけの存在だったのだ。
闇属性の民にとって、王族は必要だから従うべき存在ではあるが、けして敬うべき存在ではなかった。
だからこそ、アルファンスの存在は、閉鎖的で極力外部の人間とは関わりたがらない一族の間でも、かなり早い時期から噂されていた。
「ザイード様と同じ年に生まれた皇太子は、火の大精霊の加護を受けた愛し子らしい」
「元々備わっている魔力も歴代の王族の中でも目立って高く武芸や学問にも秀でていると聞いた」
「まるで物語の中の英雄がごとく、美しい姿をしているそうだ」
口々にアルファンスを褒め称える噂を口にしながらも、一族の大人は目の奥に悪意を滲ませながら、こう続けたのだった。
「――だけど、いくら皇太子が特別な存在だと言っても、ザイード様には敵うまいよ」
「いくら大精霊の加護を受けていると言っても、所詮はただの火属性。……属性の中で最強と言われている闇属性には勝てないさ」
「ザイード様の闇属性の適正の高さは、一族の中でもずば抜けているからな。その上で日々血が滲むような努力をされている。王宮で籠の鳥のように育てられた王子様なんて敵じゃないだろう」
俺は、口々に勝手なことを言う大人たちを、どこか冷めた様子で眺めていた。
当主である父上を始めとした一族の人間は、ことあるごとに、かつての先祖の不遇を口にする。その上で、「本来ならば闇属性は、どの属性よりも優れているのに」と、自分たち自身を持ち上げる。優れた存在の象徴のように、次期当主である俺を引き合いに出そうとする。
俺にはそんな一族の人間達が、あまりにも馬鹿らしく思えて仕方なかった。
闇属性の人間が被差別的状況を覆して今の地位を獲得して、もう百年近くにもなる。当時差別されていた人間なんて、今は殆ど生きてはいない。
それなのに、未だ過去に縛られ、他属性の人間に対する歪んだ敵対心と、鼻につく選民意識を持ち続ける一族の人間の気持ちが、俺には理解出来なかったのだ。
闇属性の人間は、今では他属性の人間に恐れられ、一目置かれる存在になっている。それでもう、十分ではないか。かつての先祖の無念はこれで十分果たしているだろうに。一体それ以上、何を望むと言うのだ。いつまで自分達の立ち位置を、悲劇の中に置きたいんだ。
わざわざ直接的関わりが無い皇太子の話にまで、俺を引き合いに出す意味がどこにあるというのか。
「アルファンス、か。……こんな閉鎖的な所でまで勝手な噂をされているだなんて、王族としての有名税とはいえ、大変だな」
この時、俺はまだ噂でしか知らないアルファンスに、同情すら抱いていた。
周囲の人間は勝手に色々騒いでいたが、俺はまだアルファンスに対しては微塵も敵意なんて抱いていなかった。
……正直に言おう。俺はこの時、アルファンスを敵だとは思っていなかったのだ。
噂を聞いてもなお、胸の奥に深く根付いた無意識の傲慢さは、アルファンスを脅威だとは認識はしなかった。
所詮は、ただの噂。……実際会ってみたら、大したことがないに決まっている。
特別な存在である俺に敵う筈が、ない。
何の根拠もないのに、そう信じて疑わなかった。疑うには、俺は余りにも無知だった。当時の俺は一族だけに囲まれた、閉鎖的な世界しか知らなかった。
井戸の中の蛙が、大海を知らないように。俺は俺が生きた狭い世界しか知らないままに、その世界で最も特別な存在である自分が、外の世界でもまた最も特別な存在であると信じ込んでいたのだった。
13歳で全寮制の魔法学園に入学して、俺は初めて他属性の人間と関わるようになった。
一族とは違う価値観や、様々な色を宿した他属性の人々に、顔には出さなかったが内心ではひどく戸惑っていた。
周りからあからさまに向けられる畏怖の視線のせいで正直とても居心地が悪かったが、訓練のせいで滅多なことでは動かなくなった表情筋は、そんな俺の内心を周囲には悟らせなかった。
……こんな風に動揺しているようではいけない。下手に感情が大きく揺れ動けば、自身の体内に宿る闇の力に浸食されてしまう。
もっと感情を殺さなくては。
そう思って、心を落ち着かせるべく大きく息を吸い込んだ時、すぐ近くで誰かが大声で叫ぶ声がした。
『――レイリア!! なんだ、お前、入学試験のあの点数はっっ!!』
まだ変声期が終わってないのか、男か女か判別が難しい高い声をあげた、一際目立つ華やかな容姿をした小柄な少年は、彼より頭一つ背が高い少年(少なくともその時はそう思った)に突っ掛っていた。
レイリアと呼ばれた少年は、小柄な少年に負けない程美麗な顔立ちに苦笑を滲ませながら、溜息を吐いた。
『なんだ、あの点数はと言われても……単に私が、君より正当数が多くて主席になっただけじゃないか』
『なんで、お前の方が俺より、高い点数を取るんだ!!』
『……そんなこと私に言われても知る訳ないだろう。結果がそうだったとしか言いようがないさ。……アルファンス。君だって一応次席なんだから、もっとその結果に喜んだらどうだい?』
『次席だろうとなんだろうと、お前に負けた時点で嬉しくも何ともないっっ!!』
――アルファンス? どこかで、聞いたことがある名前だ。
少し考えてから、ようやく、以前大人たちが話していた、俺と同じ年齢の皇太子の名前がアルファンスだったことを思い出した。
……皇太子?あれがか?
『……アルファンス。さっきから君、声が大きいよ。仮にも君、皇太子だろう? こう言った公衆の場ではもっと自分の立場を考えて、相応しい行動をさ……』
『立場を考えた相応しい行動? 何を言っているんだ。この学園の理念は貴族の子息に、立場に縛られることがない束の間の自由を与えることだろう? 今の俺は、王族でも皇太子でもない、ただのアルファンスだ。多少の不作法くらい、何が悪い』
『それはそうだけど……やっぱりほら、評判ってものが……』
『……それを言ったらレイリア。貴族令嬢の癖に、男装しているお前はどうなるんだよ。俺よりよほど、噂されているぞ』
『………………それもそうだね』
やっぱり、あの少年は、噂の皇太子らしい。
ついでを言えば、少年だと思っていたレイリアも、実は女性らしい。
……何と言うか、滅茶苦茶だな。
俺はぽかんと口を開いている周囲の生徒達と共に、無表情のままで内心唖然としながら、そのまま何かを言い合いながら去っていく二人の背中を見送った。
「あれがアルファンスか……何だ。やっぱり噂は噂だな」
――思っていた通り、大したことがなさそうだ。
次席を取るくらいだから一応成績は優秀みたいだが、先ほど会話には全く知性は感じられなかった。発言の内容も感情的かつ自己中心的で、指導者としての素質も微塵も感じられない。
せっかくの火の大精霊の加護も、あれでは宝の持ち腐れだな。もったいない。
それが、俺が初めてアルファンスを目にした時の、第一印象だった。