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ザイードの闇

「……ザイード。まだ、お前には俺の声が聞こえているのか。俺の声が届くのか」


 獣と化した頭を抱えて呻くザイードに、アルファンスは静かに呼びかける。


「まだお前の理性が僅かでも残っているというならば、聞け。……俺は、お前が敗北を口にしない限り、とことんお前との勝負に付き合ってやると言ったな。お前が獣化した今でも、俺の気持ちは変わらない」


「……あ……ル……ス……」


「お前が俺以外の人間を襲わない限り、俺はお前との勝負を続ける。互いに本気で対戦してなお、お前が俺に勝つようになるまで、勝負を続けてやる」


 そこでアルファンスは一度言葉を止めて、鋭い視線でザイードを見据えた。


「だから、ザイード……!! 例え姿が人ならざるものに変じたとしても、心だけはちゃんと人間のままでいろ……!! 俺との決着が着くまでは、ちゃんと理性を保ち続けろ!!」


 ザイードは、理性を失くして攻撃する素振りを見せることもなく、ただ立ちすくみながらアルファンスの言葉を聞いていた。

 アルファンスの言葉は、ちゃんとザイードに届いているのだ。

 ザイードはまだ、心まで人間でなくなっているわけではないのだ。


「――例え一度相応しくないと判断しても、最終的にお前が俺に勝てば、ヘルハウンドがお前を主と認めるようになるのだろう? 主と認められれば、お前は人のままでいられるのだろう? ……ならば俺は、お前が俺に勝つまで、戦い続けてやるさ。お前なら、強過ぎる力に慣れさえすれば、俺に勝つのなんて難しくないと思っているからな。そう時間はかからない筈だ」


 そう言ってアルファンスは、くしゃりと顔を歪めて笑った。


「……とことん付き合ってやるよ。お前が心まで人でなくなって、この場から強制退場させられない限りは。俺だって、好敵手だと思っていたお前を失くしたくないからな」


「……っ」


 ザイードの赤い瞳が、彼の人間としての理性の残滓を宿して揺れる。

 私はザイードの背後に佇むヘルハウンドを見やった。

 ヘルハウンドはその赤い瞳で、見定めるかのように静かにザイードを見つめていた。

 契約を結んだものに、闇の力を与えるヘルハウンド。

 ヘルハウンドは、相応しいと判断した主にのみ力を与え、相応しくないと思った相手は人ならざるものに変えてしまうと言う。


 ……本当に、そうだろうか?


「……違うよ。アルファンス。ザイードが勝つべきなのは、君じゃない……君に勝っても、ヘルハウンドはザイードを主だと認めるわけじゃない」


 森で出会った下位の精霊達は、闇の精霊が人間に近づかないのは、浸食する力が強過ぎるからだと言っていた。

 闇の力に浸食されれば、心の中の闇まで大きくなり、人間は耐えきれずに壊れてしまうから近づかないのだと。

 ならばきっと、ヘルハウンドが与える闇の力だって、きっと同じだ。

 ヘルハウンドは自らの意志で主を選んでいるわけじゃない。彼はただ、主になった人間に求められるがままに力を与えているだけで。

 人ならざる者に変わってしまった人が出るのは、与えられる力の大きさに比例して浸食する闇に、心が耐えきれなかったが故の結果で、ヘルハウンド自身が望んでいることではない。

 浸食する闇に耐えきって、力を使いこなすことが出来た人間が、ただ自分達をヘルハウンドに選ばれたのだと言っているだけで、そこにヘルハウンド自身の判断は介入しないのだ。


「……ザイード!! 君が勝たないといけないのは、アルファンスじゃなくて、君自身だよ!! 君の心に浸食する闇に、勝たないといけないんだ!!」


 叫んでから、違う、と思った。

 頭の過ぎるのは、先ほどのザイードの試合で闇蛇に浸食された時に見た光景。

 認めたくない、身勝手で感情的なもう一人の私の姿。

 私は、彼女に勝ったわけではない。

 剣で、切り捨てたわけでも、言葉で打ち負かしたわけでもない。

 ただ、抱きしめて、受け入れた。

 醜い自分と、真っ直ぐに向き直った。

 そうすることで、闇蛇の魔法から戻ってこられた。


 ――ああ。そうか。


 ザイードだって、きっと同じだ。


 無理に、心の闇を切り捨てて、倒そうとしても、胸の奥底で蓄積していくだけで、根本的な解決にはならないんだ。


「……勝つんじゃ、ないな。勝とうとしたら、駄目なんだ。――君は、君の闇を受け入れる、べきなんだ!! 認めたくない自分を、まず認めないといけないんだよ……!!」


 私の言葉に、ザイードは大きく目を開いた。

 ザイードは普通の人間の二倍近くに巨大化した体を震わせながら、鋭利な爪が生えたその手で顔を覆った。


「……あ……ス……おれ……は……俺……は……――俺はっっっ……!!」


 途切れ途切れに何かを言いかけたザイードは、そのまま獣化した時と同じように……否、一層大きな断末魔のような咆哮をあげた。

 ザイードの体から、闇が煙のようになって吹き出し、広がっていく。


「……今度こそ、理性を失って……っ」


 血相を変えて今にもザイードの元に飛び出しそうなネルラ先生を、手で制して止めた。


「……違うと思います。ネルラ先生。きっと、もう大丈夫です」


 ……だって先程まで、ザイードの後ろに控えたまま動くことがなかったヘルハウンドが、嬉しげに尻尾を振りながらザイードの元に近づいているのだから。


 ヘルハウンドだって、本当は望んでいたのだ。

 ザイードが、自身の闇の力に耐えきれることを。

 下位の精霊達は言っていた。召喚獣だって、同じだと。

 同じ属性が強い人間が好きで、好きだから話しかけたいと思うし、役に立ちたいと思うのだと。

 そんな相手を、人ならざる者に変えたいわけがない。


 包み込んだ闇が晴れた時現れたのは、ぼろぼろになった武具を身に纏った、元の人間の姿に戻ったザイードだった。


「アルファンス……俺は……」


 ザイードは赤から戻った黒い瞳で、真っ直ぐに向かい合って立つアルファンスを見据えながら、絞り出したかのような声で言った。


「……俺はずっと、お前を妬んでいた。……俺よりも、全てにおいて優れているお前が妬ましくて、目障りで……羨ましかったんだ」


 ザイードは泣きそうに顔を歪めて、叫んだ。


「――アルファンス……俺はお前のように、なりたかったんだ……!!」




 ――生まれて来た時から特別な存在だと、言われて来た。


 レパーディア家の当主の息子として、誰よりも高い闇属性の適正を持って生まれて来た俺を、闇属性の一族の皆は大喜びで迎えた。


 きっと、この子ならば今よりも一層一族を繁栄させてくれる。


 差別されていたかつての惨めな境遇なんて、完全に忘れさせるくらいに偉大な人物になってくれる。


 闇属性がどれほど力がある、特別な属性であるのか、知らしめてくれる筈……!!


 注がれる過剰なまでの周囲の期待を、それでも俺は裏切ることなく健やかに成長していった。

 身分も。魔法適性も。魔力量も。身体能力も。知性も。容姿も。

 全てにおいて、俺は恵まれた存在で、そしてそれが当たり前だった。

 周囲からは、憧憬や嫉妬交じりの視線を向けられ、賞賛の言葉を囁かれるのが、俺にとっては日常で。それに対して特別な感慨を持ったことはなかった。


 だって、俺は特別な存在なのだから。人より全てにおいて、優れてしかるべき存在なのだから。


 強すぎる闇の力に呑まれない為、感情を殺すように訓練されてはいたが、そんな高慢な思考はいつの間にか俺の胸の奥に芽生えて根付いていた。

 実際、俺は全てにおいて優れた特別な存在であることが、求められていたのだ。

 闇属性の人間が差別されていたかつての歴史は、闇属性の一族の人間の心を歪めて、選民思想を抱かせた。

 闇属性の中で一番の名家であるレパーディア家の次期当主である俺が、他のどの属性の人間よりも優れていることを彼らは望んでいたのだ。

 それは、王族に対してもまた、例外ではなかった。


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