巻き込むなら
そうか、アルファンスもザイードのこと、ちゃんと心配してたんだ。
そう思うと、少しだけ心が軽くなった。ザイードを案じているのが、自分だけではないことが嬉しかった。
……だけど、だったらなおのこと、ヘルハウンドとザイードの契約のことをアルファンスに言う訳にはいかないかな。
今度の大会で、私と同じ葛藤をアルファンスにさせることになるし。
「そうか……まあ、アルファンス。君が欲しい情報が手に入ることを祈っているよ」
アルファンスに持っていた辞典を見られないように気をつけながら、さりげなく棚に戻した。
……そのまま、踵を返して図書室を出ようとしたのだけれど。
「――おい。ちょっと、待て、こら」
そんな私を、不機嫌そうなアルファンスの声が呼び止めた。
「……アルファンス。君さ。仮にも王族なんだから、その言葉遣いは……」
「そんなことは、今はどうでもいいんだよ。……そんなことより、レイリア。お前はどうして、俺に何も言わない?」
「何も言わないって……何を言えばいいんだい?」
とっさに惚けてみたけど、やっぱりアルファンスには通じなかった。
「……どうせ、お前のことだから教師に聞きに行くなりして、俺より早くヘルハウンドの情報を集めているんだろ。どうして、俺にその情報を分け与えようとしない?」
「……確かに私は先にヘルハウンドの情報は手に入れたけど……多分君はその話を聞いたら、後悔するよ。それでもいいのかい?」
「それでもお前は、知っているんだろう。なら、俺にも話せ。何で、お前はいつもそうやってただ一人で抱え込んで、周りを頼ることなく解決しようとするんだ。出来もしない癖に」
アルファンスの言葉は、つきりと胸に突き刺さった。……これはきっと、アーシュとディアンヌのことを言っているんだよな。
「だって結局は全部私の自己満足の為なのに……誰かを巻き込んだら、迷惑だろう?」
誰かの為に動いているとは思わない。……ただ、誰かの為に動ける私になりたくて、そんな理想の自分に近づきたくて。そう思ったらいつも動かずにはいられないだけで。それはきっと優しさでも思やりでもなんでもない。偽善ですら、ないのだろう。
私の行動は善意からではなく、全部ただの自己満足に過ぎないことくらい理解している。理解しているからこそ、私は自分の行動に誰かを巻き込みたくなくて、一人で解決しようとしてきた。それが、皆に迷惑を掛けない一番の方法だと思っていた。
アルファンスはそんな私の言葉に、心底呆れたように溜息を吐いた。
「……お前は、馬鹿か。何で学業に関しては俺よりよほど優秀な癖に、そういった事には頭が回らないんだ。……相談に行った時点で、お前は既に、相談相手の教師を、ひいてはこの学園そのものを巻き込んでいるんだよ。話を聞いたという事実がある以上、『知らなかった』という言い訳は存在しなくなるからな。相手が高い地位を持っているなら、猶更だ。この学園の教師は、社会的な地位だけを言えば生徒よりも低い。だからこそ、よけい生徒の声を無視できない。お前はある意味では、身分を笠に着て、教師を使っているとも言えるんだ」
――私が、身分を笠に着て、先生を使ってる?
「……そんな、私はそんなつもりは……」
「そんなつもりがないから、厄介なんだよ。お前はもっと、自分の行動が引き起こすことについて考えるべきだ。それが、高い身分を持って生まれた者の義務だ。背負うものが大きいからこそ、特権は存在しているんだ。……だが俺がいくらそう言ったことをお前に説いたところで、お前が聞かないことくらい、もう重々に理解している。変なところでお前は頑固だし、感情的だからな。先日の件で、それが身に染みて分かった。……だからこそ、俺も腹を括った」
アルファンスは手に持っていた本を机に置いて立ち上がると、そのエメラルドの瞳を真っ直ぐ私に向けた。
「レイリア……巻き込むなら、教師ではなくまず真っ先に俺を巻き込め。個人で済む問題を、学園の問題に発展させないためにも、俺がお前の行動を監督してやるよ。お前が考えられない貴族としての立場も、俺が代わりに考えて教えてやる。お前が被害最小限に、望みを叶えられる道を探してやる。……それならお前だって、安心して行動できるだろう?」
それは、私にとっては完全に予想外な言葉だった。
「……そんな。王族である君を巻き込むわけには……」
「婚約者という立場であるお前が暴走している時点で、もう十分巻き込まれている。同じ巻き込まれるなら、監視下に置いていた方がよほどましだ」
「だけど、私に何かあるよりも、王族である君の身に何かあった方がずっと大きな問題になるじゃないか!!」
「俺はお前と違って、引き際を弁えている。納得いく結末でなくても、それ以上は問題になると思えば深追いはしない。だからそもそも問題自体が、発生しない。……諦めが悪すぎるお前と一緒にするな」
う……自分の諦めの悪さを重々理解しているから、何も言い返せないな。
実際、十年以上前に玉砕した恋ですら、諦められていないわけだし。
思わず視線を逸らして黙り込んだ私に、アルファンスは厳しい表情を緩めて、小さく口端を上げた。
「――本当。仕方ない奴だな」
呆れたようにそう言った、アルファンスの目が余りに優しくて、思わず心臓が跳ねた。
……おかしい。アルファンスって、こんな風だったかな。
さっきまで、いつもの素直じゃないアルファンスだった筈なのに……何だか、今はやけに大人っぽく見える。
「……もしかして、ヘルハウンドについて調べていたのも、私を一人で動かさない為だったりするのかい?」
ドキマギしている自分を誤魔化すべく、慌てて話を元に戻すと、アルファンスはどこかバツが悪そうに頭を掻いた。
「それもあるが……今回は、また。話が別だ」
「話が、別?」
「お前の暴走は置いておいても……俺は、その……ザイードとの試合は、嫌いじゃなかったからな。……べ、別に心配なんかは、してないけどな!! 次の試合が、あの犬のせいで邪魔をされたら、嫌なだけで!!」
……あ、なんだ。やっぱり、いつものアルファンスだ。
さっきまでのアルファンスは幻だったのだろうか。
「……だけど、ちょっと意外だったな」
「……何がだ?」
「いや。アルファンスが、ザイードとの勝負を気に入ってたんだな、と思って」
毎年の大会や、合同授業でザイードと関わることはあるけれど、私は今までアルファンスとザイードが親しく会話を交わしているところを見たことがない。
ザイードは元々そう口数が多いわけではないし、アルファンスはアルファンスで私に突っ掛ってばかりだったから。三人でいても、大抵は私ばかりがどちらかと話していた。
ザイードとアルファンスの試合だって、思い返して見ればずっとアルファンスが勝ってばかりだったし、正直アルファンスはあまりザイードのことをあまり意識していないものだと思っていた。
アルファンスは私の言葉に、怪訝そうに眉を顰めた。
「だって、あいつとの試合、面白いだろ? あいつ、やればやるほど強くなっているし、毎回色々な技を組み合わせて工夫してくるから、色々勉強になる。毎回、次こそは負けるんじゃないかって冷や冷やさせられるから、俺は俺で毎回新しい対抗策を考えているしな」
「……初耳だよ。そんな話。私はてっきり、いつも君があっさり勝っているのだとばかり思っていたよ」
「他の奴相手ならともかく、ザイード相手に無策はあり得ないだろう。去年は去年で、結構苦戦してたぞ。うまく準備していた作戦に、あいつが気付かず嵌ってくれたから良かったものの、あれが失敗していれば危なかった」
……ザイードに関してはそんな念入りに準備して冷静に戦えるのに、肝心の私との決勝戦では手元滑らせて自滅してたよね。君。
君のことが、よく分からないよ。私は。




