「理想」の教師
「魔力が、なくなる……」
魔力がなくても、人間は生きていける。実際平民の中には、生まれながらに全く魔力がない状態で生活している人も、少数派であるが存在している。外国では、魔力がない人々ばかりで形成された国だって存在しているくらいだ。
けれど、魔力の強さがステータスになっている、この国の貴族社会において、魔力の喪失は致命的な問題だ。そうなればザイードがレパーディア家の次期当主の座を追われるのは勿論、貴族としての地位さえも危うくなってしまいかねない。
そして、勿論ネルラ先生も同様だ。
「ネルラ先生は、それを了承されているのですか……?」
私の問いかけに、ネルラ先生は眉尻を垂らしながら頷いた。
「私はいいのよ……光属性の貴族にとって、最も尊ばれる行為は、誰かを救うことだもの。私の行為を一族は誇りに想いこそすれど、謗ることはないわ。……そもそも光属性の人間の本来の役目は、不安定になって魔力を暴走させた闇属性の人々を救うことだったのよ。光属性の民は癒やしたり、防御する魔法を使うことは出来ても、攻撃魔法は使えない。だからこそ、代わりに闇属性の民に攻撃の役目を担って貰っていたの。暴走した彼らを鎮める代わりにね。そうやって、太古から光属性の民と闇属性の民は、互いに足りない部分を補い合いながら協力して生きていたのに、ある時光属性の民の方がその関係を壊した。……攻撃魔法を補って貰うだけなら、他の属性の人でも構わないと、自身の魔力を失わせる恐れがある闇属性の民から離れて行ったの。……その結果、闇属性の民が力を暴走させて人を傷つけ、迫害されるようになっても、見て見ぬふりをしたのよ。自分たちの保身の為に」
ひどい話よね、そう言ってネルラ先生は泣きそうに顔を歪めた。
「闇属性の人々が迫害を受けて苦しんでいたのは、元を正せば私達の先祖のせいだわ。だからこそ、私達は今彼らに償わなければならないの。誇り高い彼らはけして口だけの謝罪なんて受け取ってくれないから、彼らが危険な目に遭っている時こそ、私達が自分から動かなければならないの。例え彼らが、それを望んでいなくても。……それが今の私達が出来る、精一杯の償いだから」
「でも、それはネルラ先生のせいじゃ……」
「それにね。……ザイード君が闇属性じゃなくても、私はきっと同じ事をしたわ」
私の言いかけた言葉を遮って、ネルラ先生は笑った。その目には強い意志が籠もっていた。
「だって、私は『教師』だもの。……教師が生徒を体を張って守るのは、当然でしょう?」
そう言って胸を張ったネルラ先生は、まさに私が理想とした「教師」そのものだった。
私自身の価値観に照らし合せれば、そんなネルラ先生の姿は感動して然るべきところなのに、実際の私の胸のうちには苦い感情がただ広がるばかりだった。
多分、それは先程のヴィッカ先生の言葉があったから。
教師だって、聖人君子でない、ただの人間だとヴィッカ先生は言ったから。
それはあくまでヴィッカ先生個人の意見ではあるけれど、もしそれがネルラ先生も同じなのだとしたら。もしかしたらネルラ先生はネルラ先生で、自身の理想の姿を貫く為に相当無理をしているのではないかと、思ってしまった。理想を、贖罪を語ることで、魔力を失うことは仕方ないことだと自分自身に言い聞かせているのではないかと、そう思わずにはいられなかったのだ。
「…………」
だけど、それを口にすることは、ネルラ先生のせっかくの決意を邪魔することで。
そして、化け物に変ずるザイードを見捨てるように進言することでもあって。
私は何も言えないまま、ただ唇を噛むことしか出来なかった。
「私はいいわ……だけど、魔力を失ったザイード君が絶望してしまわないかだけが、心配なの」
ぽつりと一人呟くようにそう口にしながら、ネルラ先生はどこか遠くを眺めた。
「ヘルハウンドが、ザイード君が自らの主に相応しいのか試すのは、きっと次の武闘大会だわ。だって他でもないザイード君が、それに対して最も執着を示しているもの。……私は大会の間中、彼が魔力を暴走させても大丈夫なように、すぐ傍に控えている予定よ。……何事もなく、彼がヘルハウンドから認められて主に選ばれればいいのだけど」
「……ヘルハウンドに、主として認められる、か」
ネルラ先生の研究室を後にした私は、先にフェニを魔法で帰らせて、先ほどの辞典を返すべく図書室に向かっていた。
フェニは明らかに機嫌を悪くしていて、次に召喚した時に宥めるのが面倒になりそうだとも思ったが、今はそれよりも一人になりたかった。……明日の朝、ミーアたちに集まって貰えばいいだろう。
窓から差し込む夕日を眺めながら、溜息を吐いた。
ザイードもネルラ先生も魔力を失わない為には、ザイードがヘルハウンドに主として認められるしかない。
武闘大会でザイードが優勝すれば、ヘルハウンドはザイードを主として認めてくれるのだろうか。
……だけど、ザイードが優勝する為に一番邪魔な存在は。
「私と、アルファンスだよな」
勿論、私とアルファンス以外にも出場者はいるから、一概にザイードの敵は私達だけとは限らない。だけど今年の大会も、おおよそ去年とメンバーが同じだとしたら、ダークホースでもいない限り、恐らく最後は私達の戦いになるだろう。
それにザイード自身の勝利の執着も、大会そのものに対してではない気がするのだ。
『覚えておけ……次の大会で勝つのは俺だ……首を洗って待ってろ!!』
先日の授業でザイードが口にした言葉は、明らかに私かアルファンスに対して向けられた言葉だった。
去年の大会の優勝者である私か、去年ザイードを打ち負かした本人であるアルファンスか。
それとも私達両方か。
分からないけれど、私とアルファンスが負けさえすれば、きっとザイードの宿願は果たされるのだろう。
「……だけど、もしわざと手を抜いたりしたとしても、きっとヘルハウンドもザイードも認めないんだろうな」
彼がヘルハウンドに認められるか否かが、私達の勝負に掛かっている。そう考えると、どうしても気が重くなった。
何せ人間二人の人生が、それにかかっているのだ。
どんな気持ちで、大会に臨めばいいのか、分からなかった。
再び溜息を吐きながら図書室の扉を開けると、そこにはヴィッカ先生の研究室に行く前はいなかった筈の、見知った姿があった。
「……随分と図書室で会うね。アルファンス」
集中して本を読みふけっていたアルファンスは、声を掛けてようやく私の存在に気が付いて、焦ったように顔を上げた。
「レ、レイリア!! お前、もう結構前に用が済んで図書室を出て行った筈じゃ……」
「慌てていたせいで、うっかり貸し出しの手続きもせずに本を持ち出してしまったから、返しに来たんだよ。何で君が、私が図書館にいたことを知っているかは取りあえず置いておくけど……君は一体何を調べていたんだい?」
「み、見るな!!」
慌てて本を隠そうとするアルファンスを無視して、脇に積んであった本を一冊手に取ると、それは私がつい数刻前に見ていた召喚獣に関する本だった。
よくよく見れば、アルファンスが隠している本も、全て見覚えがある物ばかりで。
これはもしかしなくても……。
「……アルファンス。君、もしかしてヘルハウンドのことを調べようとしていたのかい?」
アルファンスの顔が、かあっと耳まで真っ赤に染まった。
「か、勘違いするなよ!! 別に俺はあいつのことなんて、これっぽっちも心配してなんかいないんだからな!! ただ、あの時垣間見えた黒い犬が、少しだけ気になっただけだ!! 別にザイードが、どんな目に遭おうが、俺には関係ないからな!!」
……ああ、うん。アルファンス。
こんな状況だけれど、相変わらず素直じゃない君が、私は何だかとても愛おしいよ。




