「覚悟しろ」
「……ミーア。ちょっとフェ二を強めに抱いていてくれるかい?」
「あ……はい!!」
今にも臨戦態勢に入りそうだったフェ二の様子に、先回りしてミーアにお願いをしておく。
フェミニストなフェ二は、流石に女の子の膝の上で暴れたりはしないだろうと思っての行動だったが、案の定フェ二は大人しくなってくれた。
……さて、問題はこっちだな。
私はいつかと同じように怒りで顔を真っ赤にして、目を吊り上げるアルファンスを前に、小さく溜息を吐いた。
「……テストがどうしたんだい?」
「なんで、なんで、今回もまた、お前の方が俺より高い点数を取っているんだっっっ!!!! ……というか、全教科満点ってどういうことだ!! 今回だって精霊学はあっただろう!?」
……なるほど。それでまた押しかけてきたのか。
「今回は前よりもテスト勉強の時間が取れたし。それに……」
「それに!?」
「……何でなのかは自分でも不思議なんだけど、精霊学の知識が覚えられるようになったんだよね……君が紹介してくれた精霊学の辞典のおかげかな?」
アーシュが消えた翌日でも、私はアーシュのことは勿論、水の精霊ウンディーネに対する知識もしっかり覚えていた。
精霊に対する知識は、ディアンヌの記憶操作とは関係ないのに、一体何故? そう疑問に思って精霊について色々調べてみたのだが、調べた知識は以前とは違って、結構な時間が経った今なお覚えているままだ。
精霊に関する知識を保てない理由を知っている私としては、火の大精霊が私に対する妨害をやめたのだということは理解できるが、それにしたってどうしていきなりそんな風に気が変わったのかが分からない。ディアンヌの件で、水の大精霊から何かしらの口添えでもあったのか? いくら考えても答えはでない。
……何にせよ、高位精霊嫌いのアルファンスには、あまり言わない方が良さそうだ。幸いアルファンスは火の大精霊のせいで精霊学の知識が保てなかったことも、気が付いてなさそうではあるし。……私のせいでこれ以上、大精霊との関係を悪化させるようなことは避けたいからね。
「くそっ……敵に塩を送るような真似、するんじゃなかった! 精霊学の減点があれば、間違いなく俺の方が勝っていたのに!!」
「……まあ、今回はたまたまだよ。次回は多分また、」
「苦手な精霊学を克服したからって、勝ったつもりでいるなよっ、レイリア!! 次は、剣で勝負だ!!」
……いや、人の話は最後まで聞こうよ。アルファンス。
君だって、一、二問落としただけだから、次は私に勝ってもおかしくないだろうにって続けようと思っていたのに。
「本番は今度の月末の大会だが、まずは明後日の授業で腕試しだ!! 覚悟してろよ!!」
捨て台詞のようにそれだけ言うと、アルファンスはそのまま部屋を飛び出して行ってしまった。
……相変わらず嵐のような男だなぁ。
「……アルファンス王子は相変わらずですね」
「うん、相変わらずあんな感じだよ。……ミーア。フェ二をありがとうね」
ミーアからフェ二を受け取り、その体を抱きしめながら深々と溜息を吐く。
アルファンスは相変わらずだ。……アーシュのことが起こる前と、何も変わっていない。
精霊に対する憎悪も、アーシュの失踪も、何も無かったかのように以前と同じ態度を振る舞うのだ。
アーシュが消える前日、私に対して言いかけた言葉の続きを教えてくれることもなく。私がそれらのことについて触れようとしても、何だかんだではぐらかされてしまう。私が踏みこむことを許してくれない。
いつもそうだ。アルファンスはいつも、そう。
けして口数が少ないわけではないのに、肝心なことは貝のように口を閉ざしてちっとも言ってくれない。肝心な彼の本音は。
家族を除いては誰よりも長く共にいる、幼馴染とも言っていい、私の婚約者。
だけど、私は今もなお、彼の考えていることはよく分からない。
昔も、今も。変わらずに。
――少し前までは、それでもいいと思っていた。
アルファンスが口を閉ざすなら仕方ないと、私が踏みこむようなことじゃないと、そう思っていた。
だけど、先日のことがあって思いがけなくアルファンスの本音に触れて、私は自分の本心に気が付いてしまった。
私は、知りたいんだ。
アルファンスのことを、アルファンスの本音を、もっともっと知りたい。
私が何か忘れているというのなら、ちゃんと全部思い出して、改めてアルファンスと向き合いたい。
だって、私はずっと。初めて会った時から、ずっと……。
「……自分の気持ちなのに、今頃、自覚するんだもんなあ」
フェ二の鬣に頬を埋めるようにして、目を瞑る。
脳裏に描くのは、アーシュの姿。
アーシュがあの湖で、ディアンヌと寄り添いながら、幸福に過ごす姿。
ディアンヌは、自分が殺したかつての恋人を胸に抱き続けていながら、アーシュを愛して彼の全てを奪おうとして。
アーシュはそんなディアンヌの胸の内を承知で、彼女を受け入れて人間としての生を捨てる決意をした。
そんな二人の関係は、ある意味すごく歪で、人間の倫理に反したもので、多くの人は彼らの愛を批難するだろう。身勝手で、醜悪だと称する人もいるかもしれない。実際ディアンヌの行動はなかなか悪霊じみているしね。
だけど私にはそれでも、彼らの愛が美しく見えるし……羨望すら、抱いてしまう。
それはきっと。きっとアーシュもディアンヌも、自分の気持ちに正直だったからだ。自分の心が赴くままに、愛したい相手を真っ直ぐに愛した。そしてそれを、最後まで貫き通した。それが身勝手だと周囲から批難されることも覚悟のうえで。
「初恋の呪い」……アーシュはそんな風に自分の恋を称しながらも、呪いを解くのではなく、受け入れて縛られることを選んだ。そんな私ができないことをやってのけたアーシュが、私は羨ましい。
貴族の政略結婚に恋愛感情なんて、いらない。夫婦になった後に、二人で夫婦としての絆を作ってさえいければいい。そう、思っていた。そんな風に割り切ることで、求めて再び傷つくことから逃げていた。幼いあの日のように、幻想が打ち壊されるのが怖かった。
だけど諦めたふりをしていても、初恋の呪いは、今でも変わらず私を縛り続けていて。理想と違う人だと理解してもなお……共に長く時間を過ごすうちに、想いは大きくなっていて。どうしたって捨てられなくて。
私はアーシュのように全てを捨てて愛を選ぶことなんて、出来ない。全てを捨てるには、私には家族をはじめに大切なものがあまりに多すぎる。
だけど、私がアーシュの恋の顛末を見て思ったのだ。……それでも、残り僅かな学生時代くらいは、彼のように「初恋の呪い」を受け入れてもいいのかもしれない。
自分の気持ちに素直になって、求めてぶつかってみてもいいのかもしれない。例えそのせいで自分が、再び傷ついたとしても。
だって、そんな情熱、大人でも子供でもない、学生時代だけの特権だから。私が家から離れて、私個人でいられる今だからこそできることだから。
幸い、私がぶつかる相手は、道ならぬ恋の相手ではなく、今のところ結婚予定の婚約者だ。追い求めた所で、世間一般的には問題ないし、傷つける相手もいない筈だ。
そう思ったら、何だか完全に開き直っていた。
……そもそもウジウジ一人で悩んで、膿んでいる姿は私の理想とは程遠くて、格好悪いからね。同じ格好悪さならば、ぶつかって派手に散った方がまだいい。
「……覚悟してろ、ね……覚悟するのは君の方だよ。アルファンス」
自然と口端が上がるのが分かった。
私は必ず、この学生時代の間に君の本心を曝け出させてみせる。
曝け出させて、君のことをもっと理解して……それでもなお、君が好きだったら。
初恋の呪いが、それでも解けることなく私を縛り続けていたならば。
私は政略結婚とは関係なく君に告げるよ。――君が好きだって。出会った時からずっと恋しているから、結婚して下さいって。
その為に、私はもう遠慮はしない。必要だったら何度だって君にぶつかるさ。だからアルファンス、覚悟しておくといい。
一度開き直った私は、あきらめが悪いんだ。
「……ああ。そうだ。マーリーン。ちょっと君だけに言いたいことがあるから、耳を貸してくれないか」
想いを自覚したからって、事態はあまり変わらない。
まだ見ぬ大精霊の問題も、アルファンスの気持ち自体も、私は何も分かっていないのだから。
超えるべき障害は大きいし、タイムリミットも限られていて。……だけど、それでも一歩ずつ進んでいくしかないんだ。きっと。
だから私はまず、自覚した想いを、親友に言葉にして伝えてみることから始めよう。
「あのさ。マーリーン……自分でもあまり自覚はなかったんだけど、私アルファンスのこと好きみたいなんだ。出会った時から、ずっと」
マーリーンは一瞬目を丸くしてから、苦笑いを浮かべて溜息を吐いた。
「――とっくに知っていたわよ。馬鹿」