夢で見る過去
『……あれ、おかしいわね』
目が醒めて、クローゼットを開けてお気に入りの服を取り出そうとして、唖然とした。
『――ねえや、ねえや。ちょっと、来てくれないかしら』
『どうされました? お嬢様。それに、その口調は一体……』
『クローゼットを開けても、何だか男の子の服ばかりで、礼服を除いたら私のドレスが一着もないのだけれど……洗濯でもしているの?』
今日は、お気に入りの裾が広がったモスグリーンのドレスが着たかったのに。
思わず唇を尖らせる私に、ねえやは唖然と目を瞬かせた。
『何をおっしゃっているのです? ドレスなんて、四年前に全部お嬢様が捨てられて以来、正式な場用の礼服以外はずっと買ってないではないですか』
『……捨てた? 私が?』
……そう言えば、お気に入りのあのドレスを着ていたのは、もっとずっと昔だった気がする。確かあれは、6歳の誕生日にお兄様からプレゼントして貰った物だもの。あのドレスじゃ、とても小さくて、今の私にはとても入らないわ。
……あれ。それじゃあ、私はこの四年間、一体どんな格好をして過ごしていたのかしら?
おかしいわ。全く、思い出せない。
思い出せない記憶に眉を顰めながら、手慰みに髪を弄ろうとして、そこに存在している筈の物がないことに気が付く。
……自慢の長い、巻き毛がない?
慌てて部屋の鏡を覗きこんだ瞬間、思わず叫んでしまった。
『っ私の髪が、私の髪が、男の子みたいに短くなっているわ!! せっかく綺麗に伸ばしていたのに!!』
鏡の中に映る自分の姿は、着ていた寝間着も含めて、男の子のようにしか見えなくて。
背が高くて、男の子みたいな外見が嫌だったから、せめて髪の毛だけは女らしく綺麗にしていようと思っていたのに、どうしてこんなことになっているの!?
『ああ、どうしよう。こんな頭じゃ恥ずかしくて、外も歩けないわ』
『お嬢様……もしかしてお記憶が……』
『記憶? 何を言っているの? ねえや』
『……旦那様!! 旦那様!! お嬢様が!!』
ねえやの声が、屋敷中に響く。
……不思議だわ。
なんだか、前も同じようなことがあったことがする。
『レイリア……お前、自分のことはちゃんと覚えているのかい?』
メイドのねえやに呼ばれてやって来たお父様が、何故か険しい表情で私にそう尋ねた。
『当たり前でしょう。お父様。レイリア・フェルド、10歳。お父様の、三番目の子どもで一人娘よ』
『……昨日、君が新しく学んだことは何だったかな?』
『昨日は召喚獣について学んだわ。ヴェルツ先生が、私の魔法適性を測ってくれて、適性が高い属性の召喚獣を教えてくれたの。私は、土と風、水が同じくらい高いから、ちょっと種類が多すぎるって、先生がぼやいていたわ』
『そうか……単純に記憶がなくなったわけではないのか』
お父様は苦々しい表情で顎鬚をなぞりながら、次の質問を口にした。
『レイリア……君は、アルファンス王子のことは覚えているのかい?』
『アルファンス王子? ……ごめんなさい。お父様。私は人の名前に対しては記憶力が良い方だと思っていたのだけど、その方はわからないわ。……もしかして、何かの絵本の王子様かしら?』
『……やっぱり【精霊憑き】の影響か……』
お父様は私の返答に溜息を吐くと、暫くなにかを思案するかのように黙り込んでしまった。
……私がそのアルファンス王子? と言う方を覚えていなかったから、お父様を呆れさせてしまったかしら。
でも、いくら頭を捻っても、そんな名前の人をちっとも思い出せないの。
『……しかし、大精霊のわりには、まだ記憶操作は未熟なようだな……しかも真っ先に王子の婚約者であるレイリアを狙うあたり、感情的で計画性が足りないようだ……まあ、それも仕方ないか。あの大精霊では』
『お父様、さっきから何をおっしゃっているのか分からないわ……というよりも、言葉が聞き取れないの。こんなに近くにいるのに』
『……精霊に関する話題ですら、駄目なのか。……全く、うちの娘も嫌われたものだ』
お父様の唇が動いているのは見えるけれど、やっぱり言葉は聞き取れない。
……耳がどこかおかしくなっているのかしら。今までこんなこと、なかったのに。
『何でもないよ。お前は気にしなくてもいい。……それより、レイリア。今からお父様と一緒に、王宮へ出向こうか』
『え、王宮へ? 王宮はどこもかしこも美しくて見ていて飽きないから嬉しいけど、でもどうして? こんな急に?』
『……お前の婚約者に、顔合わせさせようと思ってね』
『婚約者!? ……いやだわ。お父様。そんな方が決まったのなら、もっと早くに言って下さればいいのに!! ……ああ、どうしましょう。服は礼装のドレスを着ればいいけれど、髪の毛ばかりはどうしようもならないわ!! こんな男の子みたいな髪で会ったら、初対面で嫌われてしまう!!』
『……その点に関しては、ちゃんとウィッグを用意するから大丈夫だよ……私と息子たちが、再三お前に着けるように言っても、頑なに断られて未使用な状態で放置されたウィッグが山ほどあるからね……メイドのルルシィに頼んでつけて貰うと良い』
お父様が用意してくれた、私の髪と全く同じ色と質感のウィッグをつけて、私はお父様と一緒に馬車で王宮に向かった。
これから初めて会う私の婚約者は、なんと本物の王子様らしい。
幼い頃から、絵本の王子様に憧れていたけど、まさか本当に王子様と結婚できるだなんて……!!
ああ、どうしよう。こんなことなら、もっと前から会いに行く為の格好を整えておいたのに。
今の私の服や、頭は変に見えないかしら? ちゃんと、ふつうの女の子のように見えるかしら。
お姫様のように……とまではいかなくても、せめて、みっともなくだけは見えませんように。
どきどきしながら面会の間で、王子様が来るのを待った。
王様は忙しいらしくて、会えるのは王子様だけらしいけど、どきどきし過ぎててそんなことは別に気にならない。
しばらく待った後に、扉が開いて現れた人は、まさに私が理想の王子様そのものだった。
『レイリア……お前』
『――初めまして。王子様。私の名前を知っていて下さったのですね!! 改めまして、私はレイリア・フェルドと申します。お会いできて、光栄ですわ!!』
ああ、どうしよう。ついつい声が上擦ってしまったわ!!王子様が、呆れていないといいのだけど。
ちらりと王子様を見ると、王子様の顔は蒼白に染まっていた。そのまま王子様は唇を噛んで、俯きながら体を震わせる。
……私じゃ、やっぱり、駄目なのかしら。気に入られなかったかしら。
『その……えと……』
何一つ言葉を発さずに黙り込んでいる王子様に、言葉が喉に詰まって出て来なくなる。
……やっぱり、こんな背が高くて可愛げがない女の子、嫌よね。
うかれていた気持ちが急速に萎んで、泣きたくなった。
婚約なんて、家の為に結ばれたものでしかないのに、ロマンスを期待するだなんて、私、なんて馬鹿なのかしら。
そう、思った瞬間、突然体を引き寄せられた。
『……きゃっ』
何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
そんなロマンス小説みたいなことが、実際自分の身に起こるだなんて、思っていなかったから。
私……私、今。
初対面の王子様に、いきなり抱きしめられているの!?
『――レイリア……』
どこか切なげな声色で耳元で囁かれる自分の名前に、脳みそが沸騰しそうになる。
心臓がばくばくとうるさくて、顔が熱い。
出会ったばかりで、こんなことをするなんて無礼だと怒るべきなのかしら。
ああ、でもどうしようもなく、胸が高鳴ってしまう。
もう私、恋に落ちてしまいそう……!!
しかし、思いがけなく降って湧いたロマンスに浮かれる心は、続く王子様の言葉で一瞬にして引き戻された。
『レイリア……頼むから、俺を……俺を、忘れるな……!!』