愛される人
理屈ではアルファンスの言うことは分かる。だけど、感情がその意見を否定する。
恋に落ちるというのは、理屈ではないから。
恋は、理屈を、理性を、裏切るものだから。
宿命を承知していても、初めて愛した人に愛し愛されることを望んだディアンヌ。
愛した人に裏切られ、宿命故に殺すしかできなくて。
そのことを悔い、一生愛した人を想い孤独を生きる決意をした所に、アーシュと出会って再び彼を愛してしまって。
今度こそ、悲しい結末にならないように無理矢理彼を眷族に選ぶしかなくて。
……第三者から見れば勝手としか言えない思考かもしれないけれど、それでもやっぱりディアンヌの立場になって考えてみると、私はその行為を批難できない。
それぞれどれ程の痛みを持って選択した結果なのかが、よく分かるから。
ディアンヌがどれだけ苦しんで来たかを、分かってしまうから。
……苦しんで来た彼女には、どうしても幸せになって欲しいと思ってしまう。
アーシュのお兄さんを知らないからこそ言えることなのだろうとは、思うけれど。
「――恋? あんな身勝手な執着が、恋だなんて言えるものか」
けれど、アルファンスは、そんな私の意見をけして認めない。
「そもそもあいつらを人間と一緒のように扱うこと自体、間違っているんだ……精霊ならば精霊同士で勝手に仲良くしてればいいものを、どうしてあいつらは人間に関わりたがるんだ……人間側としては実に迷惑だというのに」
頑なにディアンヌを……否、高位の精霊全てを否定し続ける。
「……アルファンス。君のその言葉は、ディアンヌ個人に対してというよりも、高位精霊全てに向けているように私には聞こえるよ。何で君はそんなにも、高位精霊に対して冷たいんだい? そんなに否定するんだい? 君は『愛し子』だから、人間の中では誰より彼らに近い存在だろうに」
「……『愛し子』だからこそ、だよ。『愛しい子』だからこそ、あいつらと関わりが深いからこそ、あいつらの醜い部分がよく分かるんだ」
「でも、同じ『愛し子』である、フルーリエ先生やアーシュは、精霊を愛しているじゃないか。君も同じとまではいかなくても、せめてもう少し理解を……」
「そんなの、あいつらが異常なだけだ!!」
アルファンスは歯を剥き出しにして、吼えた。
「あいつらが特殊なだけで、大抵の『愛し子』は、俺と同じ意見な筈だ……愛し子なんて、なりたくなかったと、高位精霊なんてと関わりたくないと、そう思っているに決まっている。……与えられる恩恵なんぞより、害の方がずっと大きいのだから」
「でも、それは高位精霊が愛し子を愛しているから故で……」
「――それが愛だというのならば、俺は愛なぞいらない」
低い声で発せられたアルファンスの言葉に、どくんと心臓が鳴ったのが分かった。
「望まないのに、一方的に向けられる重い愛情なんて、ただ迷惑なだけだ。愛なんていう美しい言葉で取り繕っても、受ける側からすれば、そんなものは害でしかない。想いを寄せられている、その事実そのものがまず災厄なんだ……!!」
冷たく言い放たれたその言葉は、きっと炎の大精霊に対して、向けられて筈の言葉だった。
だけど、その言葉はアルファンスの意図ではないとは理解してもなお、私自身の胸に深く深く突き刺さった。
『……なんだ、このでかい可愛げがない、女は』
『国の為とはいえ、こんな女と婚約しないといけないとはな……俺もつくづく運がない』
初めて出会った時にアルファンスから言われた、あの言葉のように。
「――そうやって、君は高位精霊を否定するけれど、そのわりに恩恵だけはしっかり受けているよね」
だから、いけないと分かってはいても、ついそんな言葉を口にしてしまった。
「『炎の愛し子』としての恩恵を受けるだけ受けて、活用しているのに、そうやって精霊を否定する君も、結構身勝手じゃないかい?」
ただ、自分が傷ついたのと同じだけ、アルファンスを傷つけたい一心で、口が勝手に動いた。
一瞬虚をつかれたように目を見開いたアルファンスだったが、すぐに怒りで一層顔を歪ませた。
「……俺は、高位精霊に直接手を貸して貰ったことなぞ、一度もないぞ!! 精霊に頼むこと自体滅多にしないし、あったとしても、その時は下位精霊を頼っている!!」
「だけど、炎の魔法はいつだって使っているじゃないか!! 炎の大精霊からの恩恵によって与えられた属性適性を使ってさ」
やめろ。
……もう、やめておけ。
「そんなもの、お前が自身の属性適性を使うのと一体何が違う!! 俺は生まれながらに愛し子で、生れた時から一方的炎の適性を付与され続けたんだぞ? 元々の適性ですら、既に分からないというのに一体どうしろと言うんだ!!」
「……だとしても、そこまで精霊を否定するならば炎以外の魔法を使えばいいだろう。炎の適性を活用しながら、その適性を与えてくれた相手を否定するのではなくさ」
それくらいに、しておけ。
「勝手に与えられたものを、活用して何が悪い!! 害に比べて安すぎる迷惑料だ!!」
「そうやって、開き直っているところが、身勝手だと言っているんだよ!!」
アルファンスは、私のことを助けに来てくれたんだ。
実際、命の恩人だと言っても良いくらいなんだ。
感謝こそすれ、こんな風に責め立てるのはおかしい。間違っている。
「何だと……」
早く、謝るんだ。取り返しがつかなくなるまでに。
理性は必死に自分自身を抑え込もうと警告を発しているのに、それでも口は止まらなかった。
「恩恵を受けている自覚があるなら、否定するだけではなく、もっと感謝もしたらどうだい? ……今の君はまるで、衣食住不自由ない生活を親から与えられて甘受しながら、感情だけで親に反発している、愚かな貴族の子どもみたいだよ」
途端にアルファンスの顔が、怒りから耳まで真っ赤に染まった。
「っお前に、何が分かるんだ!!」
そのまま、怒りを露わに怒鳴り続けるのだと、思った。
怒鳴られたら、なんて言い返そうかと喧嘩腰に身構えていた。
しかし、アルファンスの表情を見た瞬間、湧き上がっていた闘争心が一気に冷えていくのが分かった。
「……何が、分かるんだ……忘れている癖に……っ……全部、全部、忘れている癖に……っ!!」
怒りしか表れていないと思っていたアルファンスの顔が、今にも泣きだしそうに歪んでいたから。
何か言おうにも、喉に言葉が貼りついて、何も言えなくなる。
「………」
黙り込んだ私に対して、アルファンスもまた何も言わずに、ただ唇を噛んで顔を背けた。
それからは、互いに一言もしゃべらなかった。
沈黙のうちにいつの間にか学園は近くなっていて、ディールはそのままゆっくりと下降して地面に降り立った。
「……ここで、大丈夫か」
「……あ、ああ。女子寮はすぐ、傍だから……ありがとう」
「いや……それじゃあ、また明日、な」
視線を合さないままに、ぎこちない会話を交わして、アルファンスと別れた。
「……何を、してるんだ。私は」
後ろを振り返っても、既にアルファンスの姿が見えなくなったのを確かめてから、一人両手で顔を覆った状態で、空を仰ぐ。
「助けて貰ったのに、自分に向けられたものでもない言葉に勝手に腹を立てて、説教臭い言葉を吐いて、アルファンスを傷つけて……身勝手で最低なのは、私じゃないか」
分からない。分からない。
アルファンスが、あれほど精霊を忌み嫌う理由も、あれほど傷ついていた理由も、私には分からない。
アルファンスが言っていた「忘れている」という言葉の真意も。
一体、私が何を忘れているというのだろう。……きっとそれは、記憶を忘れさせた精霊にしか、分からない。
ただ、今の私が分かるのは。
アルファンスが精霊の想いを否定した瞬間、関係ない自分までが傷ついた理由。
とおの昔に忘れ捨てた筈の、胸を締め付けるこの、想いの名前。
「……初恋の、呪いか」
一方的な想いを迷惑だと拒絶された精霊に、自分自身を重ねあわせてしまうくらい、未だにアルファンスと初めて出会った時の胸の高鳴りに、囚われているということだけだ。
理想とは、中身が全く違うと分かっても。
私のことなんて、好きになる筈がないのだから諦めた方がいいと自身に言い聞かせても。
それでも未だ解けることがない初恋の呪いに、未だ縛られ続けている。




