助けに来た王子様
……避けられない。
迫りくる衝撃に耐えるべく、歯を食いしばった。
しかし、ウンディーネが放った鉄砲水が私にぶつかることは無かった。
「――レイリア!!」
頭上から振って来た声と共に、音と煙を上げて鉄砲水が消え去った。
何が起きたのか分からないうちに、落下する私の体は素早く私の元に戻ってきたフェニの背中に受け止められる。
一体、何が起きた?
そして、この聞き覚えがあり過ぎる声は……。
次の瞬間、頭上に大きな影がさして星明りを遮った。
顔を上げて、影を作りだしたものを確かめ、息を飲んだ。
「何とか間に合ったな。……また何か面倒ごとに首を突っ込む気だろうと思って後を着けていたら、急に転移の魔法陣の中に飛び込んで消えたから、焦っただろうが。事前に当たりをつけていたから良かったものの……」
「……アルファンス」
顔を上げた私の視界に飛び込んで来たのは、大きく羽根を広げた炎龍の背に跨り、ゆっくりと地上に向かって滑空してくるアルファンスの姿だった。
【……何、何なの……どうして私の水が、突然消えてしまったの?……炎龍!! あなたまで私の敵に回るというの!?】
【いや……我はただ、頼まれてアルファンスをここに連れて来ただけで、水の精霊殿に敵対をする気はない。――それでいいのだろう。アルファンス】
「ああ。十分だ。ディール。ここまで連れて来てくれてありがとう。……ここにいて都合が悪いならば、一度元の場所に戻ってもいいぞ」
【遠慮する……どうせ、またそう時間が経たぬうちに、また我を呼び戻すのだろう。わざわざ帰るだけ手間だ。……言っておくがアルファンス。今回は応じたが、ゆめゆめ我を気軽に乗り物代わりに使おうだなんて考えるでないぞ。高貴な高位の龍である我を、下級のワイバーンのように扱う気ならば、我は即座に守護契約を破棄するからな】
「分かっている。ディール。……非常事態だったから、今回だけ特別だ」
困惑を露わにヒステリックに叫ぶウンディーネを一瞥することもないまま、アルファンスは炎龍の背からとび降りて、私の元に近づいてきた。
「……怪我はしてないようだな」
「……あ、うん。君が助けてくれたから……だよね。……ありがとう。アルファンス」
「全く……お前のことだから碌に反撃もすることなく、口で話せば分かってくれるだろうとか、生温いことを考えていたんだろう。だからお前は駄目なんだ。平和主義の甘ちゃんもいい加減にしておけよ」
うん……いつものアルファンスだ。
こんな状況なのに、いつもの私に突っ掛ってくる時のアルファンスのままだ。
……アルファンス、君、今の状況ちゃんと分かっているのかい?
ウンディーネのこと、さっきからずっと視界にすら入れてないけど。
私、一応さっきまで、絶体絶命のピンチに陥っていた筈だったのだけど。
【――誰だか知らないけれど、貴方も私からアーシュを奪う気なのね!! だったら、貴方にも消えて貰うわ!!】
業を煮やしたウンディーネによって再び鉄砲水が放たれた。
しかし、勢いよく向かってきた水は、瞬時にアルファンスによって放たれた巨大な火の玉にぶつかった瞬間、霧散して消え去った。
【そんな……ど、どうして……】
唖然と呟くウンディーネにアルファンスは冷笑を向けた。
幼馴染として長い間一緒にいた筈の私でも、今まで見たことがないくらい、冷たい笑みだった。
「――高位の精霊というのは、どいつもこいつも頭がないのか。一度失敗したなら、それだけで学習しろ。同じことを繰り返させるな」
【どうして……私の水が、火に負けるの……水は火を消し去るものな筈でしょう……】
水属性は火属性に勝る。一般的にはそう言われているし、ほとんどの相手の属性に勝る強い水属性を持つウンディーネにとっては、それが当たり前のことだったのだろう。
だけど、水はどんな状況でも、必ずしも火に打ち勝つわけではない。
「どうして?……それは俺の火が、お前の水より強いから以外に理由はないだろう」
強い炎は、弱い水を蒸発させる。
水を気体に変え、霧散させることが出来る。
強い火の力があれば、水の存在そのものは完全に消し去ることは出来なくても、その力を霧散させて弱体化することは可能なのだ。
「……なんせ俺は、高位精霊の中でも、更に特別に強い力を持った大精霊から加護を受けている『愛し子』だからな。加えて王族として生まれ持った固有の魔力量もずば抜けている。ウンディーネ程度の水じゃ俺には勝てないさ」
そう言ってアルファンスは、何故か自嘲するように笑ったのだった。
「……それで? レイリア。今はどういった状況なんだ? 俺が推測するに、アーシュ・セドウィグに憑いたウンディーネが、無理矢理自身の眷属にアーシュを引きずり込もうとしているのを、無謀にもお前が止めに入って返り討ちに合っている所ではないかと思うんだが」
「……私が説明するまでもなく、もう十二分に理解しているじゃないか」
「それでも確認は必要だろう? ……やっぱり馬鹿だな。お前は。精霊相手に、まともな説得が通じると思うだなんて」
アルファンスは温度が感じない低い声で吐き捨てた。
「人型の高位精霊は、どいつもこいつも、身勝手で人の気持ちなんか考えないような奴らばかりだ。ただ、自分の欲望にばかり忠実な利己的な生き物だ……話して分かるような相手じゃない。力で抑え込むしかないんだ」
アルファンスのあんまりな言い方に、思わず眉間に皺が寄った。
確かにウンディーネの行動は身勝手と言えば身勝手だが、それでも彼女の状況を考えると仕方がない行動とも言える。
そんな風に、利己的で話が分からない存在だと、切り捨ててしまっていいのだろうか。
けれど私が何かを口にする前に、アルファンスの視線はウンディーネの方へ向いてしまった。
「……ウンディーネ。お前は愛した男に裏切られた場合、殺すか自分が死ぬかの二択しかないと勘違いしているようだが、他にも術はあるぞ」
【え……】
唐突なアルファンスの言葉に、ウンディーネは驚いたように顔を上げた。
だけどその瞳は、先ほどの悲壮に満ち溢れたものとは違う輝きが見て取れた。
もしかしたら、愛する相手の裏切りに脅えなくてもよい日が来るのかもしれない。
宿命に縛られることなく、普通の人間の男女のように愛せるのかもしれない。
そんな希望が、ウンディーネの瞳には見え隠れしていた。
「ああ。簡単なことだ。――お前が、力を失くした状態で、第三者によってこの地に封印されればいい。愛した男が死ぬ、数十年先の未来まで。目が醒めた時に殺すべき相手が既に死んでしまっていたならば、どうやっても殺しようがないから宿命も発生しないだろう? 人間の寿命は精霊に比べてずっと短い。どんなに長生きしたとしても、せいぜい百年。途方もない年月を生きるお前達精霊にとっては、瞬きをするような短い時間の筈だ。簡単だろう?」
しかしアルファンスは、そんなウンディーネの希望を無残にも打ち砕いたのだった。
【そんな……】
「何を被害者ぶった顔をしているんだ? 人一人の存在を消滅させて、無理矢理自らの手元に置こうとしている時点で、お前はただの加害者だ。状況がどんなものであれ、同情には値しない。それにも関わらず、俺はお前が宿命に踊らされなくてもいい、一番平和な解決策を提示してやっているんだ。感謝こそされても、そんな風な顔をされる筋合いはないぞ」
【それじゃあ、私はアーシュと生きることは出来ないじゃないの!】
「自分の宿命に巻き込んで人一人の運命を狂わせておきながら、愛する者の幸福を祈って身を引くこともできないのか……本当にお前達は身勝手な生き物だな」