囚われの姫君10
「……まさか、あの炎龍が、己の矜持を傷つけられてなお許すほど、アルファンス王子を慕っているとは……」
【……不本意な勘違いをするな。地の人間】
それまでずっと黙っていたディールが、不愉快そうに顔を顰めて口を開いた。
【アルファンスとは守護契約を結んでいるが、我はまだ完全に此奴を主と認めたわけではない。認めるには、此奴はまだまだ青過ぎる】
「……それでは何故……」
「--簡単なことだ」
アルファンスは不遜な様子で腕組みをすると、にいっと口端をつりあげた。
「主を主と思わないこいつを従えるには、こいつの望みが叶う方向に話を持って行けばいい。俺はただ、ディールが俺を背に乗せてレイリアを迎えに行かなければならない理由づけをしただけだ」
「炎龍の望み……? ……っ!」
ハッとしたように目を見開いたアイン兄上は、次の瞬間苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
「……それはつまり、まだ式までには十分時間があるにも関わらず、現時点でタイムオーバーでならないような用事を、別に作った、と。そういうことだな」
「まあ、そういうことだ」
「アルファンス王子……私は、君を式の直前でも送り返せるように、ここと王宮は転移魔具一つで往復できるようにしていたし、君からの申し出があれば魔具の場所まで案内するように、王宮の者には指示しておいた。……君はそれを敢えて無視したな」
「さあ、何のことやら。……ただ言えるのは、俺はお膳立てされた答えにそのまま乗るような人間ではないということだな。伊達に俺も王族をやってないんだ。あまり俺を侮らないで欲しい」
「……本当に、君は生意気だな……」
アイン兄上は大きく舌打ちをすると、ふて腐れた表情で私を見た。
「と……っっっても認めたくないが、ここまでされたら私も諦めるしかないだろう。本気で戦えば結果は分からないが、たかが嫌がらせの為に炎龍を敵に回すほど私は愚かじゃない。見た目は厳つくてかわいくはないが、何だかんだでかわいがっている弟の領地を荒らして、怒らせたくもないしな」
「それじゃあ、アイン兄上!」
「……さっさと炎龍の背にまたがりなさい。レイリア。ぐずぐずしていると、炎龍を怒らせるぞ」
……正直、どうしてアイン兄上が納得したのか分からないけど、よかった……! これで私も無事結婚式に出られるぞ!
「俺のことを認めて下さりありがとうございます。義兄上」
「……君のことを認めたわけじゃない。ただ、君が私の想定よりは幾分愚かでなかっただけだ」
「今はそれは十分です。……さあ。レイリア」
「あ、ああ。……また背に跨がらせてもらっても良いかい? ディール」
【ああ……早く乗れ】
ディールの了承をもらったので、あの時と同じようにアルファンスの隣に乗る。
「……レイリア」
飛び立つ前に、拗ねたような表情のアイン兄上が話し掛けてきた。
「……例え私を懐柔する為でも、ちゃんと口にしたことは守りなさい。父上が何と言おうと、エスコート役は譲らないからな」
「……はい! もちろん!」
……とは言ったものの、お父様も簡単にエスコート役を兄上に譲ってはくれないだろうなあー……。
エスコート役を二人にするか、二度エスコート場面を作るかして、何とか調整してみよう。
「それと……」
「はい?」
アイン兄上は少し口篭もった後、顔をぷいと背けながら、こう続けたのだった。
「……私の反対を押し切って、アルファンス王子と結婚するのだから、責任持って幸せになりなさい。お兄様との、約束だ」
--素直ではないアイン兄上の祝福の言葉に、自然と笑みが漏れた。
「はい。必ず。--アイン『お兄様』と、約束します」
アイン兄上とヨルド兄上を残し、ディールは緩やかに上昇して行った。
「あの……アルファンス。ディールはどうして……」
「その話は後だ……その前に見せたいものがある」
見せたいもの……? 一体何だろう。
「………それにしても、ずいぶん上昇するな」
下界の景色が、ミニチュア模型のように見える。
こんなに高い所まで来たのは、初めてかもしれない。
特別高所恐怖症なわけではないけど、もし万が一落ちたらと思うと少し怖いな。
「……よし、この辺りで良いぞ。ディール」
【……承知した】
アルファンスの言葉に上昇をやめたディールは、ゆっくりと水平に飛行を始めた。
「……見てみろ。レイリア」
アルファンスは大きく右腕を広げながら、左手で私の肩を抱いた。
「あそこに見える東の山から、西の海。北の砂漠から、あの南の森。……これが、俺達が住む、この国の全てだ。いずれ、俺が治めることになる国だ」
「…………」
「この広大な土地の中で、何百万、何千万もの民が、毎日生き死にしているんだ」
改めてそう言われると、あまりにも規模の大きな話だと思った。
フェルド家の領地も大概広大ではあるが、それすら包括する王家の支配地は、その何倍、否、何十倍も広い。
王は……そして未来のアルファンスは、それだけ大きなものを背負わなければならないのだ。
「……『王子様とお姫様は結婚して、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました』」
「え……?」
アルファンスは小さく苦笑いを漏らすと、真剣な瞳で私を見据えた。
「お前の好きな絵本の物語は、大抵その一言で終わりだ。苦難を乗り越えて愛し合い、結婚さえすれば、それだけで幸せになれる。……だが現実はそんな生易しいものじゃない」