VS ウンディーネ
ウンディーネの心に連動するように、湖から水柱が上がった。
星明りに煌めいて舞い上がる飛沫を目にしながら、もし、私がウンディーネの立場だったらどうしただろうか、と考えた。
愛する人に裏切られたら、その命を奪わなければならない宿命を持っていて。それから逃れるには、数多の生き物を道づれにして自らの死を選ぶことしか術はなくて。
それでも、そんな運命を知っていてもなお、恋に落ちてしまったら。誰かと愛し合ってしまったのなら。
受け止めて貰えなかったら、宿命に抗えなくなると分かっていてもなお、真実を告げることが出来るのだろうか。
ウンディーネのように、相手の意志を無視する形で、自らの傍にいさせる道を選びはしないだろうか。
彼女の立場になって考えると、仕方がないのかもしれないと思う私もいる。これしか選べる道はなかったのだろうと。
――だけど。だけど、やっぱり。
「――それでもやっぱり、君はアーシュに真実を打ち明けるべきだったと思うよ」
それでもやっぱり、私はウンディーネの行動を肯定は出来ない。
「強制的に自らの眷族にして……他の道を全て断ち切って、否が応がなく傍にいさせて、それで本当に君は幸せになれるのかい? 最初は嬉しくても、きっと段々アーシュに対する罪悪感に苛まれるようになるよ。そして眷族にしてもなお、いつかアーシュが自分から離れてしまうんではないかという疑心暗鬼に囚われて……最後には考える意志さえも奪って、人形のようになったアーシュを傍にいさせるしかなくなってしまうのじゃないかな。……相手の意志を無視して、無理矢理傍に置くというのは、そういうことだよ」
【……っ】
ウンディーネの表情が変わったのが分かった。
……少し、気持ちを揺らすことができたようだ。
すぐに畳み掛けるように言葉を続ける。
「ウンディーネ。……アーシュのお兄さんは、確かに君を裏切ったのかもしれない。だけど、それは君がウンディーネだったからではなく、家が用意した縁談を裏切れなかったなのだろう? ……アーシュはね、もう既に婚約者より君を選んでいるんだよ。君の傍にいたいからと言って、幼馴染だった婚約者に結婚できないことを告げている。……だから私はアーシュなら、君の正体を告げても、君から離れることはないと思う」
タイミングが悪くて、残念ながらアーシュ自身の意志はちゃんと聞きだせなかった。
だけどあの時のアーシュの言葉から察するに、アーシュはきっとウンディーネの正体を知っていたのだと思う。知っていて、それでもウンディーネが好きだから、眷族になる道を受け入れたのだと。
だからこそ、ウンディーネは、アーシュが人間であるうちに、ちゃんとアーシュの意志を確認すべきだ。一人で暴走するのではなく、話し合って道を決めるべきだ。……そうでなければ、この先二人の関係はけして対等な恋人にはなりえないのだから。
「ねえ、ウンディーネ。……アーシュのことを愛しているというなら、もっとアーシュのことを信じてごらんよ。アーシュなら、きっと大丈夫だよ。受け入れてくれるよ」
【――さい……っ】
「きっとこのままだったら、君は後悔する。今ならまだ、間に合うんだ。……だから、アーシュを起こして一度話を……」
【……うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!!】
――どうやら、説得は失敗してしまったらしい。
怒りを露わに、目を見開いて叫ぶウンディーネの背後で、先ほどより高くなった水柱が、まるで蛇のように大きくうねった。
【きっと大丈夫? そんな不確かなものに賭けて、大丈夫じゃなかったらどうしてくれるの? 私がアーシュを殺さなければならない運命に陥ったら、あなたは責任とれるというの?】
「それは……」
【取れないでしょう? 取れるわけないわよね……だったら、もう黙っててよ。私とアーシュのことに、口出ししないで】
ウンディーネの足元の辺りの水面が高く盛り上がり、ウンディーネの体と魔力に包まれて眠るアーシュの体を高く持ち上げる。
ウンディーネは氷のように冷たい目で、私を見下ろした。
【……さあ、アーシュのお友達。もう十分に、話は聞かせたでしょう。話はこれで終わりよ。もう帰りなさい。私はここで、アーシュと二人きりで朝を待つのだから。……アーシュのことは、もう気にしなくていいわ。あなたがお察しの通り、明日になればあなたはアーシュのことを忘れているのだから】
「……っウンディーネ。落ち着いて、もう一度私の話を……っ!!」
【――話すことなんて、もう何もないわ!!】
鉄砲水のように猛スピードで跳んできた水の塊を、寸でのところで何とか避けた。
直撃した木が、すぐ脇で音がたてて倒れ込む。
もしあれが直撃していたら……うん。あまり考えたくないな。
【ただの脅しだとは思わないでね……私は生き物の命を奪うことは嫌いだけれど、あなたがいつまでも帰らないならば、あなたを殺すことだって躊躇わないわ。……私は愛した人だって殺したのよ。あなたを殺せないわけ、ないでしょう?】
「……そのようだね。今の攻撃を見れば、君の本気が良く分かったよ」
緊張から乾いた唇を舐めた。
幸運なことに今までの人生で私は、これほどまでに自身の死を身近に感じるようなことはなかった。……実に嬉しくない初体験だ。
正直言えば、このままウンディーネと対峙し続けるのは怖い。諦めて帰ってしまいたいとも思う。
私の考えが正しければ、アーシュはどの道ウンディーネのことを受け入れているのだ。ならば、ウンディーネの報告が事後になったとしても事態はそう変わらないのかもしれない。私が無理にここに残る意味は、ないのかもしれない。
「それでも……このままにしちゃ、いけない気がするんだよ。こんな形の決着じゃあさ」
だって、これはきっと、誰にとってもハッピーエンドではないのだから。
【……早く帰ってよ!!】
「――フェニ!!」
私の呼びかけに、フェニは心得たとでもいうようにその背中を向けた。
私は火事場の馬鹿力でフェニの背中に飛び乗ると、再びこちらに向かって来た鉄砲水を避けながら叫んだ。
「――アーシュ!! 私の声が、聞こえるか!?」
【っ何を……】
「君は本当に、こんな終わり方でいいのかい!? このまま自らの意志と関係なく、水の眷族にされてもいいのかい!? そうなったら、君の本心はきっと永遠にウンディーネに伝わらないよ!!」
【黙って!!】
「目を醒ませ、アーシュ!! 目を醒まして、ちゃんと一度話し合うんだ!!」
フェニの背に乗ったまま、ウンディーネが跳ばす水を避けながら、眠るアーシュに向かってひたすら呼びかける。
アーシュは魔法で眠らされてはいるが、聴覚をはじめとした感覚器の機能が麻痺されているわけではない。……外的な刺激で目を醒ますことはある筈だ。
【帰ってよ! 早く帰って! ――私の邪魔をしないでよおぉ!!!!!!】
泣き叫びながら、ウンディーネは私に向かって鉄砲水を発射し続けた。
興奮したウンディーネは気づいていないが、ウンディーネが鉄砲水を私に発射する度、湖は激しく揺れて、私の声以上に大きな音を立てている。……このままなら、きっとそう時間が掛からないうちに、アーシュは目覚めるだろう。私はただ、それまでフェニと共に鉄砲水を避け続ければいいのだ。
「アーシュ!! ミーアは、言っていたよ。君が幸せであればいいって、確かにそう言っていた。……でも、だからこそ、君はちゃんとミーアに幸せになるということを、目に見える形で示すべきだ!! こんな風に、何も言わずに黙って記憶からいなくなるなんて、卑怯だよ!!」
恋愛でなくても、幼馴染として、家族として、ミーアを大切に想っているのなら。
ならばちゃんと、相応しい別れ方がある筈だ。
自分の意志を曖昧にしたまま、ウンディーネにされるがままに身を委ねて、流されるがままに眷族になるのではなく。
「アーシュ!! 君のしていることは、ミーアにとってもウンディーネにとっても……っ」
前方に迫っていた鉄砲水を避けるべく、フェニが急旋回したことで体勢を崩した。
……っしまった。
【これで、終わりだわ!!】
そのまま宙に投げ出された私は、続けて発射された鉄砲水が真っ直ぐ迫っているのを、ただ見ていることしか出来なかった。