アルファンスの憂鬱9
……というか、俺自身がそもそもこの事態を予測してしかるべきだった。
つくづく自分の未熟さに、うんざりする。
悔しいが、それなりに気配に敏感なはずの俺に、一切追跡を気付かせなかったレイモンドは、恐らく武闘面でも俺より上手だ。よくよく考えれば、あのレイリアの父親だ。優男に見えても、実はかなりの使い手なのだろう。
知識や、精神的な成熟さでも敵わないのに、武闘まで敵わないなんて。
……父上も、レイモンドもだが、俺とレイリアの周りには、理想を軽々と上に行く存在が身近にいて困る。
いつか、これを越えていかねばならないのだと、思い知らされるから。
だからといって、白旗を振って諦める気はさらさらないが。
「……本当に、調子が狂う」
レイモンドは小さく苦笑いをしてから、優雅に一礼をした。
「プレゼントを気に入って頂けたようで、恐悦至極です。……二度も娘を助けて頂いた、お礼も兼ねて、精一杯手配させて頂いたもので」
「……助けた? 俺が?」
「ええ……あなたに娘の命を救って頂きました。……先日の悪魔の襲撃の際と……十二年前の火事の際に」
上目づかいに言われた言葉に、どきりと心臓が跳ねた。
口内が、どうしようもなく乾いた。
「……命を脅かしたの、間違いではないではないですか」
「いいえ。間違いではありませんよ。実際、あの場に貴方がいなければ、あの娘は助からなかったのは事実です。……ありがとうございました。改めて、感謝を申し上げます」
「だが、十二年前の火事の原因を作ったのは、俺だ……! そして先日も、俺が先に火の大精霊と契約さえしていれば、レイリアの命が危険にさらされることもなかった!」
十二年前、レイリアの命を救ったのは火の下級精霊達で、先日レイリアの魂を黄泉から呼びもどしたのはユニコーンが角を犠牲にしたからだ。
俺は、何も出来なかった……俺は、どうしようもなく、無力だった。
「……だけど火の下級精霊は貴方が助けを求めなけば、きっとあれほどの数は動かなかったでしょう。それにあの時貴方が火を放たねば、レイリアは賊に誘拐されて、もっと危険な目に遭っていたかもしれない。こないだのこともそうだ。貴方が、大精霊と契約して悪魔を打ち倒さなければ、レイリアはユニコーンの角をもってしても、戻ってこられなかったかもしれない。そして貴方が口移しで角を飲ませなければ、手遅れだったでしょう」
「だが……!」
「――もちろん、父親として勝手なことを言わせて頂ければ、目の前にいながら娘を二度も死なせやがってとか、お前がもっとしっかりしていれば被害はもっと少なかったのにとか、思うところもありますけどね。……それでも感謝しているのも、嘘ではないのです。レイリアが、今、生きて私達の前にいてくれるのだから」
まあ、だからと言って簡単に娘をくれてやる気はないですけどね。
そう言って、レイモンドは「父親」の顔で、笑った。
「……私も、期待してますよ。四か月後の貴方が、娘をあげてもよいと思えるくらい、成長なさることを」
「レイモンド殿……」
「……まあ、人間そう簡単に変われないので、恐らく期待は裏切られるでしょうが。及第点とは言えなくても、せめてもっとスマートにレイリアに愛を囁けるくらいにはなって下さいね」
……一言よけいだ。一言。
顔を引きつらせる俺に、レイモンドは笑みを深めた。
「じゃあ、そろそろ戻りますよ、アルファンス殿下」
「……そうですね。急がないとパーティが終わってしまう」
そのままレイモンドと連れ立って、部屋を後にしようとしたが、扉の前でレイモンドは足を止めた。
「……ところで、殿下」
「はい?」
「来月は我が領地で、フェルド家主催の式典があるのですが、アルファンス殿下は出席されるつもりですか」
「……ああ。当然、そう思ってましたが」
「そうですか……なら、やっぱり四か月後というのは誤りですね」
「……え」
「外に出すのは未熟な娘とはいえ、一族として我が家主催の式典には参加させないわけにはいかないですからね」
「……っ!」
――それじゃあ、俺は……俺は来月もレイリアに会えるのか!?
ぱあと明るくなった顔は、しかし、次の瞬間、引きつった。
「……しかし、我が家に来るなら、覚悟していてくださいね。我が家の息子たちは、私以上に末の妹を溺愛しています。特に、自他とも認めるシスコンの長男は、再びまた女性らしい格好をしはじめたレイリアに咽び泣いて感動し、一生結婚しないで家にいてくれと毎日レイリアに言っては、宥められている始末です。……貴方が来たら、私以上にきつく当たるはず」
フェルド家長男アイン……「銀狐」の噂は、俺も嫌になる程聞いている。
次期宰相候補と噂されていた優秀な文官だったが、レイリアの卒業と同時に「フェルド家管轄領地の業務に専念したい……レイリアが戻ってくるから」と言って、実家に舞い戻った筋金入りシスコン。
レイリアが髪を切った時には三日三晩号泣し、せっせと使われることがないカツラや、ドレスを、いつかレイリアが男装をやめる日の為に買い集めていたらしい。
「……もしかして、今日のドレスは」
「ドレスに限らず、アクセサリーから化粧品に至るまで、全てアインのコレクションの一部ですね。髪の結い上げまで、緩み切った顔で自分でやっていたのを見たら、我が息子ながら、結構引きましたね、一体どこでそんな技術を仕入れたのかと」
「……」
「あと、火事や悪魔の件はともかく、私も息子も、婚約の顔合わせの時に貴方がレイリアに吐いた暴言に関しては許しておりませんからね。アインにいたっては一時期『私の天使から性を奪った殿下を抹殺する』が口癖でしたから……あ、あと、式典では娘の守護獣が、おそらくずっと貼りついて、異性の接近を威嚇すると思われますので、折れた角の攻撃にお気をつけ下さい」
レイリアに会えるのは、嬉しい。……だが、どこを向いても敵だらけになるであろう未来に、くらくらする。
「……それでは、殿下。お待ちしてますよ」
にやりと笑って、レイモンドはさっさと先に行ってしまった。
俺は一人部屋に立ち尽くしながら、前途多難な未来に頭を抱えた。
果たして、俺は四か月後、無事に花嫁姿のレイリアをこの腕に抱けるのだろうか。
――いや、絶対、抱いて見せる。陰険狐親父も、シスコン兄貴も、変態獣も、全て、蹴散らして、レイリアを手に入れてみせる。
なんせ、十二年ものの初恋が叶ったのだ。今さら、誰にも譲ってたまるか。
「――待ってろよ。レイリア」
俺は、一人小さくつぶやくと、レイモンドの後を追うべく、扉を開いた。