アルファンスの憂鬱6
婚約破棄、か?
婚約破棄が目的なのか?
部屋の中にいる女に、俺を誑かせて、レイリアと婚約破棄をさせるべくレイモンドが仕組んだのか。
だったら、残念だったな! 俺は今まで散々美しい女を見たが、もう十年以上もレイリア以外の女になんて、心を動かされていない……はずだったのに。
「……どうして、俺。こんなにどきどきしているんだ」
たった一瞬垣間見ただけの、素性も性根も分からない女。
それなのに、俺の心臓はどうしようもなく早鐘を打っていて。
……魔法か? あの女魅了魔法かなにかを使ったのか?
そうに決まっている……じゃなきゃ、ありえない。
十数年以上も俺を苛み続けた初恋の呪いが、一瞬にして散らされてしまうだなんて。
「……落ち着け、俺……いくら美しかろうが、あんなの絶対化粧で誤魔化しているだけだ……化粧とドレスがなければ、あんな女……」
俺は自身のあまりに不誠実な心変わりを信じたくなくて、必死に自分自身に言い聞かせた。
……ちゃんと化粧をして、ドレスを纏えば、あんな女より、レイリアの方が美しいに決まっている。
化粧もせずに男装をしていた学生時代でさえも、レイリアは他のどんな女より美しかったのだから。
今は記憶がある以上に髪の毛が伸びているだろうから、もっと女らしく……うん?
――そこで、ようやく俺は、とんでもなくアホな勘違いをしている可能性に気がついた。
大きく深呼吸をして、心臓を鎮める。
頬を軽く叩いて、できる限り、従来の表情に務める。
平常心。平常心。
絶対に、動揺を露わにしてはいけない。
俺は、再びドアノブに手をかけると、ゆっくり扉を開いた。
さっき一瞬垣間見えただけの女性が、扉が開いた瞬間再びこちらを向いた。
その美しいサファイアの瞳を見た瞬間、再び心臓がおかしくなりそうになったが、俺は必死に平静を保った。
女は見れば見る程、美しかった。
どうしようもなく、惹きつけられる。
こんなに美しい相手は、他にはだれもいないだろう。……俺にとっては。
紅で彩られた、艶やかな女性の唇が、見慣れた笑みを浮かべる。
「……よかった。アルファンス。お父様が、パーティの主役であるアルファンスは席を外せないかもしれないって言ってたから、会えないかと思っていたんだ」
この二か月弱の間、焦がれに焦がれた、懐かしい笑みを。
「レイリア……何でお前、女装しているんだ」
――くっそ、レイリア、お前、綺麗すぎんんだよ……っ! 畜生!
「女装って……私は元々女だよ」
「知っている……知っているけれども」
「正式にパーティに参加するわけじゃないけど、他の参加者の人に会わないとも限らないからね。今後の練習も兼ねてドレスを着ることにしたら、メイド達がやたら張り切ってさ。すっかり隅々まで着飾られてしまったよ。髪の毛まで」
……ああ。レイリアだ。見掛けが変わっても、間違いなくレイリアだ。
だけど、だからこそ余計に、なんか色々なものが溢れそうになって困る。
真っ直ぐにレイリアの顔が、見られない。
なんか、直視したら、とんでもないことをやらかしてしまいそうで。
「アルファンス……?」
……だからこそ、レイリアの不安そうな顔に気がつくのに、一瞬遅れた。
「あは、は……やっぱり、そうか」
「……うん?」
「……やっぱり、私にはこんな格好、似合わないよな」
そう言ってレイリアは苦笑いを浮かべた。
「自分でも、鏡を見た時に違和感あったんだよね。どう見ても、男の人が女装したようにしか思えなくてさ。メイドやお父様達はお世辞で褒めてくれたけど、やっぱりみっともなくて、人前では見せられないよな。こんな格好……変なもの見せて、悪かったよ」
レイリアは笑みを浮かべていたが、その目は僅かに潤んでいた。
『……なんだ、このでかい可愛げがない、女は』
『国の為とはいえ、こんな女と婚約しないといけないとはな……俺もつくづく運がない』
俺は、自分の考えなしの態度が、あの時と同じようにレイリアを傷つけてしまったことを悟った。
「……ちが、そういう意味じゃ……」
「ちょっと使用人に頼んで代わりの服を貸してもら……ああ、でも君にそんな時間ないよな。アルファンス、少しだけ我慢してくれるかい」
「違う! 俺は……」
「あ、ごめん。気にしないでくれ。ただ単に、私がまだまだお妃修行が足りないだけで、君は何も悪くないんだから。……難しいな。女性らしくなるのは!」
「違う! レイリア、話を聞け!」
――ええい、俺はもう、自分の失言も挽回できない六歳のガキじゃないぞ!
俺はレイリアの手を掴むと、そのサファイアの瞳を真っ直ぐに覗き込みながら、叫んだ。
「綺麗だ! レイリア、今のお前の姿は、他のどんな女よりも綺麗だよ!」
「……っ」
「綺麗過ぎて、まともに直視出来なかっただけだよ! 見たら、抱きしめたくなるから! 抱きしめて、キスして、それ以上のこともしたくなるから! ずっとずっと会いたくて会いたくて仕方なかったお前に、不意打ちにみたい会わされたうえに、普段よりもっと綺麗になってるから、今の俺はとんでもなく動揺してんだよ! ……分かれよ!」
……そしたら、今度は余計な本音まで、うっかり口に出ていた。