分からないもの
予想していなかったであろう、アルファンスの登場にラファは目に見えて狼狽えた。
【アルファンス……その……わらわは……】
もごもごと口の中で言葉を言いあぐねた後、泣きそうな目が縋るように私に向けられる。
……ごめん。ラファ。そんな顔をされても、今は、私は何も口を挟まないよ。
アルファンスが、一対一で、君と話すと決めたのだから。
「……ラファ」
アルファンスの手が自分に向かって伸ばされた途端、ラファはびくりと体を震わせて目をつぶった。
しかしアルファンスの手は、そんなラファの頭にそっと置かれただけだった。
「……さっきは悪かったな。ラファ。……あれは、ただの八つ当たりだった」
ラファの目が驚いたように見開かれる。
【アルファ……】
「――だけど、俺が未だにお前を許せないのは、事実だ」
一瞬の希望が湧き上がった途端、再びまた突き落される。
そんなラファの心情がその表情から伝わってきて、胸の奥が痛くなった。
「ラファ。俺は、俺から大事なものを奪おうとしたお前を、十年経った今でも許せない。俺の許可を取らずに、無理矢理、人ならざるものに変えようとしたことも」
【………】
「だけどそんな俺に、レイリアは言ったんだ。……許すふりだけでも、いいと。お前は俺にとって有益な存在だから、許すふりで良いから、傍に置いておくべきだと。お前を利用しろと、な」
【……っ】
ラファの目が再び、私の方に向けられる。
その瞳には、ありありとショックが現れていて、一層胸が苦しくなった。
「ラファお前は、どう思う? そんなレイリアの言葉を聞いて、どう思った? ……何て、聞かなくても分かる顔をしているな」
【……べ、別にわらわは……わらわは、レイリアなんぞ……レイリアがわらわのことをどう思っていても……】
「……お前も、俺以外のことでそんな表情を浮かべられるようになったんだな。そんな今のお前なら、俺の話も伝わるかもしれないな」
言葉とは裏腹に、今にも泣きださんばかりのラファの様子に、アルファンスは少しだけ口元を緩めた。
「レイリアは、俺の為にお前を利用すべきだと、そう言った。……だけど、俺はそれがレイリアの本心の全てだとは思わない」
【……っどういう、意味じゃ!? レイリアは、嘘をついたのか!?】
「嘘ではないな。そう言った理由も、確かにあった筈だ。……だけど、それが全てじゃない。人間と言うのは、お前が思うよりずっと複雑なんだよ。ラファ」
その言葉に驚いたのは、ラファだけじゃなく私もだった。
……何を、言ってるんだ? 私はただアルファンスの為に……。
「許せないという感情を置いておけば、俺にとって、それが最善で有益なことであることは確かだ。……だけど、ラファ。お前だって、真実さえ知らなければ、それは一番良いことだった筈だ」
【…………】
「俺がどれほど拒絶しても、けして俺の傍を離れなかったお前だ。俺がどんな種類の感情からでも、お前とまたこうして向き合って話すようになるならば、そっちの方が良かった筈だ。違うか?」
【……それは、そうじゃが……】
「レイリアは、そんなお前の気持ちも分かっていて……そしてどう言えば俺がお前の言葉を受け入れるのかも分かっていて、俺にお前を利用しろと言ったんだ。俺の気分を害することなく、お前の望みを叶える為に」
違う。と、口を挟みそうになった。
私は、そんなラファの為なんてちっとも考えていない。
だって、私はラファを切り捨てたんだ。アルファンスの方がずっと大事だから、切り捨てたんだ。……カーミラの時のように。
私はアルファンスが思っているより、もっと身勝手で、残酷な女なんだ。
……そう、思うのに。
それなのに、どうしようもなく、アルファンスの言葉を肯定したい自分もいた。
本当に、アルファンスだけじゃなく、ラファのことも思いやって、あの言葉が言えていたならどれほど良いだろうかと。自分でも気づいていなかっただけで、本当はそこまで考えていたのではないかと、そう信じたくもあった。
自分自身が、何を考えているのか、分からなくなった。
【アルファンス……主は、何が言いたいのじゃ? ……わらわは、分からぬ。……主が今、何を考えているかも。レイリアが、実際わらわをどう思っているかも……】
「……それならラファ。お前は今、自分が一体何を考えているのか、ちゃんと分かっているのか」
【……当たり前じゃ!! わらわ自身のことなのじゃから、そんなもの分かるに決まっている!!】
「なら、お前は今、俺に対してどんな感情を抱いている? レイリアに対して、どう思っている?」
【それは……】
ラファは、私とアルファンスにそれぞれ視線をやって少し考えてから、そのまま唇を噛んで俯いた。
「……分からないだろう。ラファ。心という物は複雑で、意識と無意識が幾重にも重なって出来ている。何が真実で、何が本心かだなんて、自分自身にだって分からないものだ」
【…………】
「……だからこそ、俺は思うんだ。――俺はいつか、ラファ。お前を許せるのかもしれないと」
ラファと私の視線が、同時にアルファンスの方へ向いた。
「俺は、俺のことを完全には理解していない。だからこそ、俺は俺の中にある、お前を許せない感情が、一体いつまで続くのか分からないんだ。それは十年後かもしれないし、今この瞬間にも消え去ってしまうのかもしれない。分かるのは、可能性が0ではないことだけだ」




