「あの人」の正体
「一度も話したことはないが……普通知っているだろう。有名だからな」
心底不思議そうに首を傾げるアルファンスを、思わずマジマジと見てしまった。
「有名って……それはアーシュがあんなに恰好しているからかい?」
「確かにあいつの恰好は、貴族らしくないがそんな問題ではなくて……ああ、そうか。レイリア。改めて、お前本当に精霊から好かれないんだな」
……なんでここで、精霊の話が出るのだろう。
確かに私は精霊の姿形を見ることは勿論、声を聞くこともできないし、精霊学に関してはいつもあまり点数は取れないけれども……。
「お前は『関わる知識を得ることすら、制限される』程好かれていないのか。……まあ、じゃなきゃほぼ暗記科目の精霊学があれほど苦手な筈ないものな。属性適正は水、地、風に関してはそれなりに高いのに、何でこれほどお前が精霊に受け入れられてないのか疑問だ」
「……意味が分からないよ。何の話をしているんだい? 私は精霊の話ではなく、アーシュの……」
「だから、アーシュの話をしているんだよ」
アルファンスはどこか哀れむような視線を私に向けながら肩をすくめた。
「忘れているんだろう? いや、忘れさせられているのか。アーシュが俺同様に『愛し子』と呼ばれる存在だということすら」
……アーシュが、愛し子?
「え……愛し子って、単純に属性適正が突出した人間のことを指すのではないのかい?」
「……既にそこから把握できてないのか……」
……そんな残念なものを見るのはやめてくれないかな。
知らないものは知らないのだから、仕方ないだろう。
「属性適正が極端に高いから愛し子と呼ばれているわけではない。愛し子と呼ばれる存在だからこそ、属性適正が極端に高いんだ」
「……それってどこが違うんだい?」
「全然違う。属性適正は通常ならば生まれた時から決まっていて上下することはない。だけど『愛し子』は特定の属性の精霊達に愛され、特別な加護を受ける。精霊達に愛されれば愛されるほど、属性適性が無限大に増えていくんだ。上限なく」
「……何故、そんなことが?」
「俺も、知らん。生まれた時から、既に火の精霊に好かれて『愛し子』と呼ばれていたからな。単に精霊の好みでもあるんじゃないのか? ……という話も、昔したと思うんだがな」
何だか頭を抱え込みたくなった。
自分の記憶が、知らぬ間にこんなに操作されていただなんて。
ショックを隠せないでいる私に、アルファンスは溜息を吐いた。
「……言っておくが、レイリア。別にお前が特別嫌われているわけではないぞ。俺やアーシュが異常に好かれているだけで、本来精霊は人にはあまり関わりたがらないものだからな。だからこそ、テストでも精霊学単体のテストは行わないだろう? 精霊達が、特別な人間以外に自らのことを知られることを厭うが故にな」
「………」
「……その様子じゃ、やっぱり俺が昔『精霊憑き』に合ったことも、忘れているんだろうな」
「……『精霊憑き』?」
アルファンスは私の問いかけには応えずに、図書館の棚から一冊の古い本を抜いて、机の上に置いた。
本のタイトルは『精霊学の基礎辞典』
……あれ、こんな本、さっきまであったかな? 見た覚えがないのだけど。
「どうせお前のことだから、どうせこの本も見つけられなかっただろう。……元々の素養だけでテスト結果が決まるのもつまらないから、お前に見せようと思っていた本だ。精霊学のことが分かりやすく短くまとめられているから、あまり知識を保てないお前でも、短期間ならある程度は覚えることが出来る筈だ。読んでみるといい」
それだけ言って、アルファンスは私に背を向けた。
……精霊学でテストに点数の差がつくことを、気にしていたのか。精霊に好かれているという元々の素養だって、言ってしまえば地の頭の良さと変わらない才能なのだから、それほど気にすることはないと思うのだけどな。
本当、変な所で気を使うのだから。
「あ、アルファンス、ちょっと待ってくれ!」
そのまま立ち去ろうとしたアルファンスを慌てて引き留めた。
「……何だ? 別に礼ならいらな……」
「アーシュが精霊に好かれる属性は、一体何なのかだけ教えてくれないか? とても大事な事なんだ」
……うん? なんかちょっと、アルファンスの機嫌が悪くなったな。雰囲気的に。
私、何か悪いことを言ったかな?
「……あいつの属性は、水だ。そして、アーシュの腹違いの兄は、大量の水を飲んで溺死していたらしい。溺れたとはとても思えない、膝ほどまでしかない浅い川の中でな。……あまりあいつには、近づかない方がいい」
アルファンスが去った後、私は抱きしめていたフェニを置いて、本を開いた。
親しくないものから忘れ去られていく筈のアーシュを、アルファンスだけが覚えていた理由。
「愛し子」という、二人の共通点。
覚える人間によって、記憶を操作させる精霊達。
全ての答えは、この本の中にある気がした。
「……『精霊憑き』……『精霊憑き』……あった」
深呼吸をして、辞典に目を通した。
【『精霊憑き』……精霊が特別に気に入った人間を、自らの眷族に迎えいれようとする現象を指す。
精霊よりも下位の種族にあたる妖精も、対象を乳児に限定して類似した行動を行う。しかし『チェンジリング(取り替え子)』(p20)と呼ばれる現象の場合は、必ず同種族の妖精を代償として差出す必要があり、取り替えられた妖精が笑わせられれば、元の乳児を親元に返さなければならないという制限がかかるが、精霊、特に人型の高位精霊の精霊が行う場合は、彼らの固有の能力の高さ故にそのような制限が一切存在しない。
高位精霊は、気に入った人間の周囲の記憶を徐々に忘れさせて、その人間が存在していた痕跡を全て消し去ることが出来る。そして、誰からもそうと悟られることがないままに、この世から一人の人間の存在が抹消されてしまうのである。
なお、その対象は妖精のように乳児に限定されることもなく、老若男女関係なく起こりうる。しかし大抵の場合は元々精霊に愛される素養を持った『愛し子』(p116)と呼ばれる存在であることが多い為、家族に『愛し子』がいる家庭では注意が必要である。精霊の記憶操作は、対象に親しくない者から徐々に行われていく為、周囲の反応に気をつけてさえいれば、自ずと『精霊憑き』が起こっていることに気が付くことが出来る】
そこに書かれていたのは、まさにアーシュの身に降りかかっている事実そのものだった。
……同じことが、アルファンスの身にも起こっていただって?
駄目だ……少しも思い出せない。
「……アルファンスのことは今はいい……それより今は、アーシュのことだ……水の高位精霊。水の高位精霊は……ああ、きっとこれだ」
【『ウンディーネ』……女性型の水の高位精霊。非常に美しい外見をしていて、穏やかで情が深く、しばしば人間の男性を愛することがある。
しかし一方で激しい気性も有しており、愛した男性が自らを裏切った場合、その命を奪う】
「あの人」の正体が、分かった。