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打ち砕かれた幻想の末に

 幼い頃から、絵本に出てくる王子様に憧れていた。

 中性的で美しい姿に、柔らかい物腰。

 誰にでも優しくて、それでいて勇敢で。

 命を賭けて、一人の女性を一途に愛し抜く熱い心を持っていて。

 自分を、お話のヒロインに投影させて、うっとり物思いに耽るのが、幼い私の毎日の習慣だった。

 だけど、絵本の中の王子様のお相手は、いつもお姫様ばかりで。

 いくら高位貴族とはいえ、ただの貴族令嬢の私が王子様と結ばれるはずないと、諦めていた。


 だけどある日、お父様は私に言った。


「レイリア……もし、この国の王子との婚約の打診が来ていると言ったら、お前は受けるかい?」


 思わず、耳を疑った。


 私が、王子様と? お姫様じゃ、ないのに?


「先の流行病で王族の数が少なくなっている現状で、他国と婚姻を結んだ結果、王位継承権を主張する他国に侵略されるようなことがないようにしたいと王様がおっしゃられたんだ。我がフェルド家は、遠縁ながら王族の血も引く由緒正しい名家だ。王子とは齢も同じだし、国内における彼の結婚相手として、お前程うってつけの相手はいないと判断されたようだよ」


 当時の私には、お父様の言っている言葉の意味がほとんど分からなかった。

 分からなかったが、憧れの王子様と結婚できるならと、一も二もなく頷いた。

 絵本の中の王子様と結婚して、絵本の中のお姫様のようになれるのだと、幼い私は信じて疑うことなく、王子様と対面できる日を、胸を弾ませて待っていた。




「紹介するよ。レイリア嬢……この子が、私の一人息子、アルファンスだ」


 穏やかそうな、父より幾分か年上の王様から紹介されたアルファンスは、まさに絵本の中の王子のミニチュア版だった。

 鮮やかに輝く金色の髪に、エメラルド色の瞳。

 中性的で、愛くるしい、整った顔立ち。

 すっと、背筋が伸びた、美しい立ち姿。

 一目で、恋に落ちた。この人が、自分の将来の旦那様になることが、嬉しくて仕方なかった。


「……なんだ、このでかい可愛げがない、女は」


 ――王子様が顔を顰めて、そう吐き捨てるまでは。


「国の為とはいえ、こんな女と婚約しないといけないとはな……俺もつくづく運がない」


 アルファンスの言葉に一瞬で、その場の空気が凍った。


 ……今、目の前の王子様は、一体なんて言ったの?


 耳では聞き取れた筈なのに、脳が理解を拒絶した。


「あ、アル!! お前はレイリア嬢になんてことを!!」


「なんだよ。本当のことを言ったまでだろ。俺より背が高いなんて、生意気にも程がある」


「っ生意気にも程があるのはお前の方だ!! だいたいなんだ、その口のきき方は!! 王族の一員として、ちゃんと敬語を使えと何度言えば分かる!!」


「……父上がそう言うから、ちゃんと公式の場では使ってるだろ」


「公式の場だけではなく、普段からだ!!」


 目の前で始められた親子喧嘩に、私の王子様……ひいては王族に対するイメージががらがらと崩れていくのが分かった。


 確かに、私は背が高い。同年代の中でも、それなりに身長があるだろう王子様よりも、頭一個分高いだろう。

 だけど、私も王子様も、まだ幼い。身長なんて、もっと大きくなればきっと逆転する筈だ。

 顔だって……確かに私は可愛いと言われるよりも寧ろ、綺麗だって言われることのほうが多い。目元が涼しげで、幼い割に鼻が高めだから、男の子みたいだって言われることもある。もしかしたら、王子様の方がよっぽど可愛い部類の顔かもしれない。

 だけど、みんな。みんな綺麗な顔だって、将来は絶世の美人になる筈だって、そう言ってくれるんだ。大きくなったら、きっと絵本のお姫様にも負けないくらい、綺麗になるだろうって。王子様よりは白っぽい、ブロンドの巻き毛の髪も、海のような青い瞳も、絵本のお姫様と一緒なのだから。だから、いつか私もお姫様のようになれるって、信じてたのに。


 それなのに……それなのに、ひどい。

 会えるのを、ずっと心待ちにしてたのに。

 理想の王子様が目の前に現れて、すごく嬉しかったのに。

 生まれて初めての恋に落ちたのに、こんなのって、こんなのって……。


 こんなのって、ないよ。




 それから、家に帰るまでの記憶はない。

 多分、ずっと泣いていたのだろう。初めての恋を知ったばかりの失恋は、どうしようもなく幼い私を打ちのめした。

 気が付いた時には、部屋で絵本を手に蹲っていた。


 鼻を啜りながら、絵本を胸にぎゅうぎゅう抱いた。


 もし今日会ったのが絵本の王子様なら、きっと、こんな私でも受け入れてくれた。

 すぐに、身長なんて、追い越すからって。

 こんな綺麗な人と婚約できて嬉しいって、きっと言ってくれた。

 だって、絵本の王子様は優しい人だから。

 女の子を傷つけるようなことを、けしてしないから。

 もし、仮に誰か他に好きなお姫様がいたとしても、あんな冷たく突き放すような言い方はしない。

 ごめんね、って。

 君は素敵だけど、それでも大切な人がいるからって、そうやって困ったように笑うんだ。そんな反応だったら、悲しいけど私だって受け入れられたんだ。


 あんなの……あんなの、私の王子様じゃ、ない。

 私が好きな、王子様じゃないよ。



 アルファンスからの拒絶が悲しかった筈なのに、泣いているうちに悲しみの矛先は、アルファンスが理想の王子様で無かったことに変わっていた。

 絵本の王子様は、あくまで絵本の中の作り物で。

 現実にはそんなことがいないと証明されてしまったことが、何より私には悲しく思えて仕方なかった。


「……ひどい、顔」


 部屋の鏡にうつる、泣き腫らした自分の顔は、みっともなかった。

 鼻まで真っ赤にして泣き喚いた顔は、ただでさえ切れ長な目元が腫れあがって、零れる程の大きな瞳をした絵本の中のお姫様とは程遠かった。

 こんなみっともない顔をしているから、アルファンスは私との婚約を嫌がったのだろうか。

 可愛くない、男の子みたいな顔だから。


「――男の子、みたいか」


 いっそ、男の子だったら、良かったのに、と思った。

 男の子だったら、背が高いことも、中性的な顔立ちも、良いことだったのに。

 理想の王子様を相手に求めるのではなく、自分が理想の王子様のようになることもできたのに。

 そう思った瞬間、まるで雷に打たれたかのような衝撃が私に走った。


「……私が、理想の王子様に、なる……?」


 それはまさに青天の霹靂だった。

 今まで考えたことがなかった思いつきに、とくんと胸が弾んだ。

 興奮で口の中が乾き、頬が熱くなるのが分かった。


 王子様は、見かけは絵本の王子様だったけど、中身は全然違った。

 絵本のような理想の王子様なんて、どこにもいなかった。


 ……なら、私が理想の王子様を目指してもいいんじゃないか。


 理想の王子様のように、生きたとしても。


 慌てて手の中の絵本を見つめている。

 絵本の中の王子様の髪の色は白みがかったブロンドに、青い瞳。……アルファンスではなく、私と同じ色。


 湧き上がってきた唾を、こくりと飲み込む。


 立ち上がって部屋の中にあったハサミを手に取り、腰まで伸ばしたブロンドの髪に当てた。

 そのまま髪を切り落とそうとして、一瞬だけ躊躇った。


 脳裏に浮かぶのは、今日会った婚約者の姿。

 今の私でさえ顔を歪めたのに、今より男の子のようになった私を見たら、さらに幻滅させてしまうんじゃないか。

 今以上に嫌われてしまうんじゃないか。


「今さら、よ。……初対面であんな風に言うくらいだもの。これ以上嫌われたって、同じだ」


 ――だったら、私は、なりたい私を目指す。


 理想の王子様を、自らの手で創りあげるんだ。


 私は、大きく息を吸って、ハサミを持った手に力を込めた。




「……旦那様!! 旦那様!! お嬢様が!! お嬢様の、大事な御髪が!!」


 メイドの声が屋敷中に響く中。

 私は、絵本の王子様のようにすっかり短くなった髪の自分の姿を鏡に映しだして、満足気に微笑んでいた。

 その日から、私の王子道を究める日々は始まったのだ。




「――と、まあ。これが私の切ない初恋の思い出さ」


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