第四話 お姉さまはまたずるいことをして!
王宮の庭園で、エレーナはクロヴィスと並んで薔薇を見ていた。
薔薇は盛りを過ぎていたが、散り際の美しさがあった。
「エレーナ」
「はい、殿下」
「俺の妃になってくれないか」
エレーナは薔薇を見つめたまま、少しだけ沈黙した。
「殿下。それは正式なお申し込みですか?」
「そうだ。俺が自分で言っている。これより正式なことがあるか」
「……殿下のお言葉は、いつも簡潔ですね」
「お前のほうが、いつも言葉が多い」
「それは失礼いたしました」
そして、夜会で作る微笑みではない、本当にやわらかな笑みを浮かべた。
「はい。喜んで」
クロヴィスは小さく息を吐く。
「よかった。少しだけ、不安だった」
「殿下にも、そういうことがおありなんですね」
「お前のことになると、少しだけな」
そのあとで、エレーナは半分だけ過去を打ち明けた。
異母妹のこと。婚約を奪われたこと。一滴だけ流した涙のこと。
クロヴィスは最後まで黙って聞き、聞き終えると短く言った。
「その妹を、今後お前に近づかせるな」
「殿下……」
「それと侯爵夫妻にも、きちんと話を聞かせる。俺の妃になる女性に、それだけのことをしておいて、知らぬ顔はさせない」
エレーナは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます」
「礼は要らない。俺が、そうしたい」
婚約が正式に発表されたのは、それから半月後のこと。
王太子の婚約者は、ヴァルトハイム侯爵令嬢エレーナ。
王宮の発表は社交界に嵐を巻き起こし、最も激しく飲まれたのはその場に居合わせた、ヴァルトハイム侯爵家の面々だった。
父は青ざめ、母は卒倒しかけ、アルフォンスは石のように固まった。
そしてルーシーは泣いた。
「ずるい!ずるいずるいずるい!お姉さまはまたずるいことをして!」
しかもその叫びは、王宮の廊下で第三者にしっかり聞かれてしまった。
侍女たちが目を丸くし、噂はあっという間に広がる。
王太子の婚約者の異母妹が、婚約発表の場で駄々をこねた、と。
父は頭を抱えた。
「エレーナ……」
おそらく謝罪か、懇願の言葉を続けたかったのだろう。
だがエレーナは先に言った。
「お父様。王太子殿下より、今後のヴァルトハイム家とのお付き合いについて、正式にお話があるそうですよ。ご準備なさってください」
クロヴィスの言葉は丁寧だったが、きわめて明確だった。
「ヴァルトハイム侯爵には今後、王太子妃となるエレーナを然るべき礼節をもって遇していただきたい。また、過去の件については、侯爵自身が誠実に向き合うべきと考える。そうでなければ、侯爵家との王家の縁は改めて検討せざるを得ない」
父は初めて、本当に初めて、エレーナの前で頭を下げた。
「……すまなかった、エレーナ」
「あなたに、ひどいことをしたわね。ルーシーのことばかり見て……本当にごめんなさい」
エレーナは二人を見た。
怒りはある。悲しみもある。
だが憎しみは、不思議ともう濃くない。
「謝ってくださるのなら、受け取ります。ただ、もう同じことが起きないようにしてください」
それだけ言って、彼女は終わらせた。
アルフォンスとは、後日一度だけ話した。
「……恨んでいるか」
「いいえ。ただ、あのとき、あなたがご自分の口でわたくしに話してくださればよかったとは思いますわ」
「……そうだな」
「ルーシーを幸せにしてあげてください。あの子は、欲しいものを与えられるより先に、失うことを怖がる子ですから」
それは憐れみだったかもしれないし、最後の皮肉だったかもしれない。
どちらに取られても、もう構わない。
婚約式の日、ルーシーはまた小さく『ずるい』と言ったのが聞こえた。
エレーナはただ微笑み、王太子の隣へ進む。
「まだ何か言っているのか、あの娘は」
隣でクロヴィスが低くつぶやく。
「ずるい、と」
「ずるいのか?」
「そうらしいです」
クロヴィスはわずかに口角を上げた。
「ならば、もっとずるくしてやろう」
そうして彼はエレーナの手を取り、誰の目にもわかるほど大切に指輪をはめた。
会場がざわめき、やがて大きな拍手に包まれる。
その後、エレーナは王太子妃教育を受けながら、少しずつ政務の補佐にも関わり始めた。
彼女の語学力と観察眼は、外交の場でも役に立った。
「よくそこまで気づく」
「殿下こそ、よくそこまで先を読んでおられます」
二人はそうやって、少しずつ互いを知り、支え合う。
異母妹に婚約者を奪われ、両親の愛も薄れ、孤独のなかで立ち続けた日々は、確かにエレーナを傷つけた。
だが同時に、彼女に多くのものを与えた。
観察する力。言葉を選ぶ力。感情に溺れずに立つ力。ひとりでも折れない力。
だから、ルーシーに感謝しているかと問われれば、エレーナは首を振りこう答える。
「あの子が、わたくしに足りなかったものを教えてくれたのはたしかです」
ある春の午後、王宮の庭園でクロヴィスがふいに尋ねた。
「エレーナ」
「はい」
「幸せか」
クロヴィスらしくない、ひどくまっすぐな問い。
エレーナは少しだけ笑って、答えた。
「ずるいほどに」
クロヴィスは、珍しく声を出して笑った。
その声は低く短い笑いだけれど、たしかに本物だった。
「それでいい。ずるいほど幸せでいてくれ。それが俺の望みだ」
エレーナはそっと彼の腕に寄り添う。
薔薇の香りが風に乗って流れていく。
空は青く、高く、どこまでも広がっている。
かつて『ずるい』と言われ続けた少女は、今日もまた、どこかで誰かにそう呼ばれるのかもしれない。
でも、どうしようもないくらい、本当のことだから仕方ない。
わたくしは少し、ずるいのだ。
ずるいほど、幸せなのだから。
最後までありがとうございました。
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