第八夜:『カウント・ダウン』
「一枚、二枚……」
暗い井戸の底から、欠けた皿を数え上げるお菊さんの声。
古くから伝わる『番町皿屋敷』は、主君の宝を失くしたと濡れ衣を着せられ、殺された下女の悲劇です。
現代の私たちは、皿ではなく「時間」や「数字」を数え続けています。
SNSの通知、未返信のメール、積み上がるタスク。
もし、あなたが「効率」のために切り捨てた何かが、夜な夜なスマホの通知と共に、一つずつ数え上げられるようになったら。
今夜は、数字に憑りつかれた男が、終わらないカウントに飲み込まれる物語です。
若手起業家として名を馳せる佐々木は、効率こそが正義だと信じていた。
彼は自社で開発したタスク管理アプリを使い、1分1秒を無駄にせず、不要な人間関係や「利益を生まない部下」を容赦なく切り捨ててきた。
そんな彼に、ある日、古い屋敷の跡地に建つオフィスへ移転してから、奇妙なバグが届くようになった。
深夜、誰もいないオフィス。佐々木のスマホが「チーン」と、タスク完了を告げる通知音を鳴らす。
画面を見ると、身に覚えのないタスクが並んでいた。
【未完了:残存する『誠実』……あと九枚】
「なんだ、この悪質な悪戯は」
佐々木が舌打ちして削除ボタンを押した、その瞬間。
スピーカーから、砂嵐のようなノイズと共に、低く震える女の声が響いた。
「……いちまーい……」
直後、佐々木が今日手に入れたばかりの大口契約が、相手方の都合で白紙になった。
「……にまーい……」
声が響くたび、彼の「実績」が、まるで割れた皿のように一枚ずつ粉々に砕けていく。
恐怖に駆られた佐々木は、アプリを強制終了しようとしたが、画面には、かつて彼が「効率が悪い」と切り捨て、その後過労で倒れた秘書の女性の顔が、ノイズ混じりに浮かび上がっていた。
彼女は、青白い指を折り曲げながら、冷たく数え続ける。
「……ななまーい…………はちまーい……」
佐々木の資産は凍結され、フォロワーはゼロになり、築き上げた名声は砂のように指の間からこぼれ落ちていく。
「やめろ! 返せ! 俺の積み上げた数字だぞ!」
佐々木が叫ぶが、彼女は止まらない。
「……ここのまーい……」
ついに、彼の周囲には何一つ残らなくなった。高級なオフィスも、高価なスーツも、自分を慕う部下も。
すべてを「効率」という名の井戸へ投げ捨ててきた彼に、残されたのは「最後の一枚」だけだった。
「……じゅうまーい…………足りない…………」
スマホの画面から、濡れた長い髪が溢れ出し、佐々木の喉元へ絡みつく。
「お前の『命』で……やっと、十枚目……」
翌朝、静まり返ったオフィスで、自分のスマホを握りしめたまま動かなくなった佐々木が見つかった。
彼のスマホの画面には、たった一行、完了通知が表示されていた。
【ALL TASK COMPLETED(すべての清算を完了しました)】
【住職解説】
お菊さんが皿を数えるのは、失われたものを確認するためではなく、相手を呪い殺すための執拗な「執着」です。現代では、数字や効率の積み上げに夢中になり、その陰にある「人の縁」や「思い」を忘れがちです。
効率が削ぎ落とすもの
佐々木は「無駄」を削ぎ落とすことで成功を追求しました。しかし、その無駄こそが人生を支えていた縁の皿でした。欠けた皿は、いくら新しい成功を積んでも元には戻りません。
奪った数字の重さ
どれほど積み上げた財産や評価も、死という井戸の底には一つも持っていけません。最後に数えられるのは、あなたがどれだけ人を大切にしたか、という一枚だけなのかもしれません。
あなたの手元のスマートフォンに流れる通知。
それは本当に「完了」したものですか?
それとも、あなたが置き去りにしてきた縁や借りを数える声でしょうか。
最後の一枚を数える前に、あなたが本当に大切にすべきものを、一度数え直してみてください。
※本稿は、著者が住職として経験してきた事象を背景に、仏教的教訓を伝えるために再構成した「フィクション」です。




