第十話:誰も、寝てはならぬ。(その5)
山岸の家の祖母が、奥の部屋から、ひとつの鳥かごを運んで来た。それには、日除けと風除け (魔除け?)のための布が掛けられていた。
そうして、それから彼女は、その布をサッと取りのけ消すと、赤い顔の男に目で合図をし、陽のあたる場所にぶら下げるよう言った。
その鳥かごには、青色のオスのカナリアが、ひとり入っていた。
この青色のオスのカナリアは、窓から入ってくる風を感じると、その中で羽根をふるわし、くちばしでそれを梳き始めた。
「風とひかりが好きなのよ」山岸の祖母は言った。「きっとすぐに――ほら、歌い出したわ」
まどから吹き込む風にゆれるように彼は歌い、花盛りの家の裏庭では、真夏の太陽の下、いくつかの白い花たちが、歌に合わせるよう風にゆれていた。北の空に見える「壁」は、すくなくともこの家にいる者たちには、より濃く、より厚くなったように見えた。
そうして、それからしばらくして、カナリアの歌は終わった。のどの毛は立ち、ふたたび彼は、羽根をふるわした。くちばしを下げ、ふたたびそれを梳き始めた。
「ニアちゃん! ジアちゃん! ヒトミさん!」山岸の家の祖母が叫んだ。「冷たい紅茶を入れたから! 一度もどって来て!」裏庭のさきで「壁」を見ていた三人に向かって、「行くのは! それからにして頂戴!」
*
「そのスマホ、どういう理屈なんですか?」とサラが訊いた。「――アプリ?」
「アプリも色々つくりましたけどね」ジアは応えた。右手に問題のスマホを、左手に小さなチョコクッキーを持ち、「本体になにをしたかは、言ってもよく分からないと想いますよ」
彼女たちはいま、花盛りの家のダイニングに座り、山岸の家の祖母特製の紅茶を飲み、クッキーを口にしているところであった。
ジジ、ジジジ、ジジッ。
ジジ、ジジジジッ、ジジッ。
そうしてジアは、問題のスマートフォンで、柳瀬ヒトミのペンダント――その先に付けられた奇妙な黄色いカットガラス――を、スキャンし分析しようとしているところでもあった。
「と言うか、よく分からないという意味では、こちらの石? 結晶体? の方が、よっぽど意味不明ですけどね」
それから彼女は、左手のクッキーをひと口かじると、「本当に?」と、となりに座るサラではなく、部屋の反対側で外を見ている山岸の家の祖母らに訊いた。彼らに呼び掛けるよう、すこし、大きな声で、
「本当に、どこから来たとか、どんな理屈だとか、分からないんですか?」
「まったくね」山岸の家の祖母は応えた。となりに立つヒトミに目を遣り、「ヒトミさんが少しは、解明してくれてるかと想ったけどね」
「まったくですね」柳瀬ヒトミは応えた。ジアの方を向き、「いろいろ使えるのは分かったけど、原理も素性もまったく不明」
「はあ……」と、ジアはつぶやき呆れ、「よくまあそれで、「壁」に飛び込めましたね」すこし皮肉気味に、「さすがは樫山さんのお母さまというか何と言うか――」いっこうに終わらぬ分析に、眉をしかめながら。すると、
「まあ、でも、しかし、魔法ってのは、そんなもんだろ?」と山岸の家の祖母は言った。ちいさく笑いながら、「ねえ? 不破さん」
が、訊かれた男はこれには応えず、ただ、「それは、私にはなんとも」と、首を傾げるだけだった。
そう。
少々信じがたいことではあるが、実際のところ、この黄色の結晶体は、赤い顔の男の技術・能力・出身領域その他とも、まったく関係していなかったし、そうしてそれはもちろん、値打ち物のネックレスでもなかった。
「あの人にもらったのさ」
それは、山岸の家の祖母の連れ合いが、戦争が始まるずっと以前、信州の山奥で花札をして大いに勝ち、あぶく銭代わりに貰って来たものだった。
猫の掌球ほどの大きさで、トパーズやイエローサファイアや琥珀のような色をしていたが、それでもやはりこの結晶体は、普通の水晶のかたまりを削り、磨き上げ、淡黄色の色付けをしただけの代物であった。
ジジ、ジジ、ジジッ
ジジ、ジジ、ジッ、ジッ、ジー――――ッ
と、スキャンと分析が終わり、杏奈ジアは、ため息とも質問とも取れる声で、「ああ、たしかにこれは」とつぶやいた。
「たしかにこれは水晶で、しかも、あまり質のよいものではないですね」
が、この安物の石の値打ちは、彼女の科学的な分析だけでは分からないのかも知れない。
「でも、だったらなぜ?」
*
戦争が終わり、焼け野原となったこの土地で、身寄りのない山岸の家の祖母が、女ひとりで生き延びていくことは、相当な困難であっただろうことは、想像に難くない。たとえ傍らに、彼女の悪魔がいたとしても。
が、しかし、それでも彼女は生きて来た。家産を作り、そうして増やし、幾人かの後継者をも得て来たが、そんな彼女の成功の元、最初の主な収入源は、他人の相談に乗ることであった。
最初は、ただの偶然だった。
ある老人の遺言状への補足について、たまたま口にした言葉が、その相談者への大きな幸運をもたらしたのである。
するとそこから、似たようなことが何度か続き、うわさがうわさを呼び、町中の人々、いや町の外からも、彼女に助言を求める人々がやって来るようになったのである――もちろん秘密裏に。
家庭の揉め事、息子の縁談、妻や夫の浮気相手、等々等々、さまざまな願いや相談が持ち込まれ、彼女はそのそれぞれに、適切で的確な判断・アドバイスを与えると、相応の謝礼をもらうようになった。
そう。
この黄色の結晶体は、すくなくとも山岸の家の祖母の手にあるうちは、人々が持つありとあらゆる空想をふるいに掛け、その中から、まぎれもない有効な現実・真実を拾い上げる、という特殊な能力を示していたのである。
*
「なるほど」杏奈ジアは言った。それをヒトミに返しながら、「それが何故、樫や……柳瀬さんのところに?」そうして更に、首を傾げて、「同様の使い方はされていない?」
「“出来ない”が正解ね」柳瀬ヒトミは答えた。「いまの使い方も、ずいぶん経ってから分かって来たし」ペンダントを受け取り、首にかけつつ、「あと、賭けに勝ったのよ」
ある時、山岸の家の祖母の不思議な噂を耳にした柳瀬ヒトミ (当時は樫山ヒトミ)は、彼女に近付くと、彼女のちからが問題の石から来ていることを知り、それを借りられないか? せめて触らせてもらえないか? と彼女に相談した。すると、
「よければあげるよ」彼女は応えた。ためらう風もなく、「ただし、あたしから盗めたらね」
それまで、柳瀬ヒトミが物を盗んだことは、一度もなかった。
しかしそれは、驚くほどに上手く行った。
まさに花盛りのこの家で彼女は、昼寝中の山岸の家の祖母の首から、このペンダントを盗み出したのである。
「石が、盗まれたがってたのかもね」部屋の向こう側で、山岸の家の祖母は言った。「他人の相談に乗るのも、真実を知るのも、そろそろイヤになってた頃だったし」
「なるほど」杏奈ジアはつぶやいた。ふたたび。もう一度、先ほどの分析結果を見つつ、「石そのものの力ではない?」それから、問題の「壁」とヒトミを順番に見てから、「樫山さんも、不思議なひとではあるのよね」と、これは口には出さず、こころの中だけでつぶやいた。
ヒトミが夫と別れ、ヤスコをこの地に残していった理由に、この石や山岸家とのことが関係していないことは、先ほど彼女本人から聞いたし、それはウソではないだろう。が、それでも、やはりなにか――、
「ねー、そろそろ行きましょうよー」
とここで、そんな彼女の袋小路な思考を咎めるように、杏奈ニアが叫んだ。縁側から庭へと降りつつ、
「どっちにしろ、お母さまとその変な石に頼るしかなさそうなんだしさ、だったら、やれることからやりましょうよ」
彼女の手には、カナリアのカゴが持たれていた。
「行けるなら行って、会えるなら会って、話せるなら話して、それからまた考えましょうよ――私、考え過ぎてあたま痛くなって来た」
「あ、ああ、そうだな」ジアは応えた。イスから離れ、ヒトミをうながし、他のメンバーにも目で合図をし、「たしかに、やれることからやるか」――どうも、いつもの如く、話が迷走し過ぎているような気がする。
壁の向こうへ向かうのは、まひろの影響を受けにくいであろうニアとジア、それにペンダントのいまの持ち主であり、ヤスコの実の母でもある柳瀬ヒトミ。それに、“炭鉱のカナリア”よろしく、彼女たちに危険を察知してくれるであろう青い鳥、この三人と一羽だけ――ということになっていた。
(続く)




