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第十話:誰も、寝てはならぬ。(その4)

 それは、春というにはいささか寒い、ある四月の土曜日のことだった。


 山岸家の富士夫夫妻、それに妹のまひろは、ある知り合いの結婚式に招かれていた。


 こじんまりとした式だと言うことで、富士夫夫妻のふたりの子どもは呼ばれず、彼らは、花盛りの祖母の家で週末を過ごすことになっていた。


 披露宴で彼らと同じテーブルに座ったのは、明石夫妻という、五十代前半の、人当たりのいい夫婦者で、夫の頭は見事に禿げ上がり、夫人の腕は、まひろの三倍はするほどであった。


 教会同様、披露宴会場も確かに“こじんまり”としており、どうにも手狭で、なにやら花婿の親戚の知り合いの連れ合いの更に関係者が、節税対策で譲り受けたような場所であるらしかった。


 そうして、その“こじんまり”の代わりというわけでもないのだろうが、披露宴では大量の酒類が、ほぼほぼ無尽蔵にふるまわれることになっており、しかも、件の明石夫妻は、どちらもが、底なし沼の大酒仙でもあった。


「なあ、おい、すまない」


 乾杯とケーキ入刀が済むか済まないかのタイミングで富士夫が言った。外の廊下から会場のテーブル席へと戻って来て、妻の肩に手を置きながら、「いまの電話、親父からだったんだが――」


「え? なに? また仕事?」と、これに応えたのは、彼の妻ではなく、その横に座る妹・まひろだった。兄と父、両方を非難する口調で、「今日くらい断れないの? それ」


 しかし、この非難には、富士夫でなく彼の妻・美樹が、「そうもいかないのよ、まひろちゃん」と、彼に代わってこう答えた。「富士夫さんじゃないと出来ない仕事がいっぱいあるの」


 それから彼女は、富士夫の頬と、高い鼻にキスを贈ると、新郎新婦に失礼を詫びる彼をロビーまで送ってから、テーブルへともどって来た。


「大変ですわね、旦那さま」明石夫人が言った。三杯目のシャンパンを飲み干しながら。


「いつものことなんです」美樹は返した。まひろの手を握りつつ、「仕事が生きがいみたいな人ですから」改めてまひろの方を向き、「自分の分も楽しんでくれって」シャンパンをひと口すすった。「あと、おふたりのことをしっかり祝うようにって」


 ところが、この依頼を十分に引き受けたせいなのか、それとも、件の大酒仙・明石夫妻と同じテーブルに座ったためだったのかは分からないが、彼女たちは結局、パーティーの最後まで――それはつまり、夜の十一時を過ぎるまでという意味だが――その会場にのこることになった。彼女たちの前には、出された酒の半分は飲んだであろう明石夫妻が、それでもとぼけた表情で、二次会の段取りを考えていた。


 そうして、そんな彼らの、まったくの素面に見える、その顔を見た美樹とまひろは、ふたり顔を合わせると、静かに、素早く、手に手を取って、披露宴会場を後にすることになった。


     *


「ま、いちばん大きいのは私よね」と柳瀬ヒトミは言った。右手を上げ、「まひろさんの暴走の原因」そのまま鼻の頭をかきながら、「要は、ヤスコを守ろうとしてるってことでしょ?」


 花盛りの家の話し合いは続いていた。


「壁」を作っているのがまひろ本人であること、「壁」が弾くのはヒトミら関係者だけであり、他の一般人――そもそも彼らは、「壁」も、その中心にある樫山家のことも認識出来なくなってはいるだろうが――に危害を加えている様子はないこと、更に、まひろが当の発動者である以上、中のヤスコや詢吾は安全だろうこと、等の理由から、このまま様子を見守る――まひろの暴走が止み、「壁」が自然と消えるのを待つ――という案が出て来てもよさそうなものだったが、


「それでもまひろが、アレをコントロールし切れているかは分からないのよね」とか、


「言葉は悪いですが、お嬢さん達を人質に取っている――と見えなくもないですよね」とか、


「って言うか、誰もはいって来られない空間で、山岸がお姉さまになにしてるかって想うと、そっちの方が気が気でならないわ」とか、


 と、最後のひとつはさておいても、「壁」および山岸まひろ本人の不安定さを危惧する声も大きく、先ずは、暴走原因の特定と、それと並行して、壁内部への侵入方法の検討が急がれていた。


「ヤスコ先生を守ろうとしているのは確かさ」山岸の家の祖母は言った。「それは、ヒトミさんが弾き出されたことからも分かる。悪いけどね」それからすこし考えて、「あと、それに加えて、まひろが、まひろ本人を守ろうとしているのかも知れないね、たぶん、無意識に」


     *


 それから、タクシーはすぐにつかまった。大柄で恰幅のよい運転手が、会場横のマンションに、客を下ろしたばかりであったから。


「よほど盛り上がったんですな」大通りへと曲がりながら運転手は言った。「こんな遅い時間まで」


 それから彼は、この質問への回答の様子から、後部座席のふたりが少しく酔い、且つ、相当につかれていることを理解すると、その口を閉じ、代わりに、ラジオのスイッチを入れた。「仲のよいご姉妹だな」と、そんな風に想いながら。彼の見上げるバックミラーには、まひろの肩へ、埋まるように顔を置く、美樹の姿が映っていたから。


 そうして、それから、タクシーのラジオはまず、知らない誰かの悲しいニュースをいくつか流し、その後、クラシック音楽を紹介する番組へと変わった。


 窓の外では、早咲きの桜を散らす、冷たい雨が降っていた。


     *


「はあ?」杏奈ニアは叫んだ。はっきりと怒気のこもった声で、「だれよ! そのタカシってのは!!」


「お、お嬢さん、落ち着いて」赤い顔の男は応えた。彼の服の襟はニアに引っつかまれ、彼の右足は今にも、地面から浮き上がりそうだったが、それでも、冷静な口調で、「お、奥さまのお孫さまのひとりで、まひろさまの二番目のお兄さまで御座います」


「はあ?!」杏奈ニアは叫んだ。ふたたび。「山岸だけでも許せないのに?!!」と、赤い顔の男の首を、グワングワンとふり回しながら、「そんなッ! 一話しかッ! 出て来ないようなッ! 三下ッキャラにッッ!! お姉さまの唇が奪われていただなんてッッッ!!!」


 いま、赤い顔の男・不破は、山岸の家の祖母に代わり、まひろの暴走原因の説明を試みる中で、一昨日に起きたある事件――山岸鷹士による樫山ヤスコへの接触――を皆に説明していたところなのだが、


「なんか、モテモテですね、娘さん」とニシナも言うとおり、「こりゃあ、まひろさんも気が気がないかも」


 いくら当事者たちの記憶を消したとは言え、また、通常時のヤスコが、“モテモテ”とはほど遠い見た目と性格をしていたとは言え、誰かに彼女を奪われるかも知れないという恐怖は、たしかにまひろに、モヤッとした状態で入り込み、それが彼らを、外界から遮断する動機のひとつになってしまっていることも、十分に考えられる。


「うちのヤスコもそうだけどさ」ヒトミは応えた。ニシナに返す形で、苦笑まじりに、「まひろちゃんもまひろちゃんよね、それくらいのことで嫉妬して、まるで純真素朴な中学――」


 が、するとここで柳瀬ヒトミは、自分で自分の言った言葉にハッとなった――“当事者たちの記憶を消した”? って言った? いま。


「ちょっと待ってよ、不破さん、山岸さん」ふたりの方に顔を向け、「ひょっとして、まひろちゃんの記憶も消してたりするの? あなたたち?」


    *


 『あわれ、初心な娘さん。

  油断大敵、ご注意肝心。

  男も女も、ただの狼。

  ことが終われば、

  それでおしまい。

  わが身が大事と、

  おもうのならば、

  その手に指輪をもらうまで、

  守りはしかりと固めなさい。』


     *


 それがどのような経験であったか? いまのまひろは当然覚えていないし、また、その日の深夜、兄夫婦のベッドで目をさました当時のまひろにも、それはあやふやな、しかし生とした、感触だけがのこる経験でしかなかった。


 天井にはちいさな常夜灯が、とおいつかめぬ月のように、ぼうっと照っているだけであった。


 披露宴用に新調したドレスも、お気に入りの下着も、その時の彼女の肌には感じられなかった。


 が、その代わり、窓の外の雨音が強まり、同じベッドの上には、誰かの呼吸と心臓の音、それに、柔らかな体温があることだけは確かだった。


 いくつもの記憶を継ぎ接ぎしつつ彼女は、隣で眠るひとを見た。


 彼女の兄の妻、美樹が、肌もあらわに、そこに横たわっていた。



(続く)

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