第十話:誰も、寝てはならぬ。(その1)
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『あわれ、初心な娘さん。
油断大敵、ご注意肝心。
男も女も、ただの狼。
ことが終われば、
それでおしまい。
わが身が大事と、
おもうのならば、
その手に指輪をもらうまで、
守りはしかりと固めなさい。』
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最近では、気温が上がり過ぎたためでもあろうか、昼の日中の真夏の外から、セミの鳴き声が聞こえて来る――という場面もめっきり少なくなったように想う。
いま彼らは、気温の下がる夜や夕方、まるで想い出したかのように声を上げては、愛を歌い始める。
「彼らのオスは幸福である。なぜなら彼らの妻たちは、なにも喋らないのだから」
と語ったのは、大昔のギリシャだかローマだかの賢人だが、この言葉を受けて――かどうかは分からないが――19世紀フランスのとある博物学者は、次のような疑問を抱いた。
「それでは一体、彼らはなんの為に鳴くのだろう?」
きっと、かつての彼の地の夏の日も、セミの鳴き声であふれていたのだろう。博物学者は続ける。
「きっとメスを呼ぶためだろう。なぜなら鳴くのはオスだけだから」
この仮説を確認するため彼は、セミに近付くと大声を出したり、なにか物を叩いてみたりした。
「メスを呼ぶ声ならば、メスはそれを聞いていて、オスにもそれは、聞こえているはずだ」
声を邪魔して、それに対する反応を見ようとしたのである。
が、しかし、セミたちに動じる気配はなかった。まったく。
「これは、音が小さいからかも知れない」
もっと大きな音の出るものはないだろうか? 博物学者は考え、しまいには、村祭りに使う大砲を持ち出して来た。そうして、
ドッゴォオォ――――――ン。
と、村中に大砲の音はひびき渡った。が、
「ミーン、ミンミンミン」なのか、
「ジー、ジジジジジ、ジッ、ジー」なのか、
「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」なのか、
その土地のセミの種類までは分からないが、それでも結局、この大砲の音を聞かされても、かつての彼の地のセミたちは、何事もなかったかのように、歌をうたい続けていた。
「ふーむ」博物学者は結論を出した。「セミに、音は聞こえない」そうして、「彼らはただただ、楽しいから鳴いているだけなのである」と。
が、もちろん、皆さま既にご存知のとおり、この博物学者の結論は間違っている。
オス・メスに関わらず、セミにも音は聞こえており、先にも書いた通り、オスは愛のために歌をうたい、メスは、少しでも自分に合うオスを見付け、つがうため、彼らの歌を、真剣に聴き分けているのである。
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「うん?」と、ここでニシナが声を上げた。不思議そうなウマヅラ顔で、「だったらなんで、セミは大砲の音が平気だったんスか?」
彼はいま、やっと携帯のつながった柳瀬ヒトミの指示に従い、サラと一緒に花盛りの家へと移動、そうしてそこの、不思議な会合に参加することになったのだが、
「ってか、これはいったい、なんの話ですか?」
いま、この家のリビングに集っているのは、この家の主である山岸の家の祖母と、その友人である赤い顔の男・不破、それに人形のような顔をした双子の杏奈姉妹と、樫山の家から弾き飛ばされて来たばかりの柳瀬ヒトミ、それにニシナとサラである。
「可聴範囲のちがいだろ?」とニシナの横でサラが言った。
「“カチョウハンイ”?」と、引き続きのウマヅラ顔でニシナ。
「聴き取れる音の範囲のことだよ」とサラは続け、それから、「セミと人間では、それが違うんだろうよ」と言って、ザッと周囲を見渡した。「人にはうるさい大砲も」と、集った顔ぶれに改めて首を傾げつつ、「セミには聴こえないってことなんだろうが――」
と、それから彼女は、先ほどのニシナと同じ質問をくり返すことになった。自分で自分に、困ったな、と想いながら。
「というか、いったいこれは、何の話ですか? 山岸さん」と。
そのためニシナも、「あ、それ、俺がさっき言った」と即座にツッコミを入れそうになったが、
「あの壁と、まひろの能力さ」と応える山岸の家の祖母にそれを止められた。「おそらくだけどね」
「山岸さんの?」杏奈ジアがつぶやいた。彼女はいま、山岸の家の祖母がすわる揺り椅子から見て丁度正面にある長いソファに、妹のニアと並んで座っているのだが、「あ、なるほど」と、なにやらやっと、得心が入ったようであった。
「能力そのものはね」山岸の家の祖母は続けた。「例えば、お嬢ちゃん達には効かないだろうけどね」――さっきのあんた達の話を聞くかぎりだとね。「あと、いまはそれを抑えさせてるはずだから、あそこで使ったとしても、ヤスコ先生にしか使わないし、使えないはずだよ」
「お姉さまにだけ?」と、これは杏奈ニア。「なんで?」
すると、この質問に山岸の家の祖母は、「は?」と、ついつい、呆けた声を上げそうになったのだが、まわりの自分を見る目に「ああ、」と気付くと――「あのね、ニアちゃん」
「あのね、ニアちゃん」苦笑混じりにこう続けた。小さな子どもに、噛んで含んで言い聞かせるような口調で、「そりゃあ、まひろが、ヤスコ先生のことを、愛しているからだよ、こころの底からね」そうしてそれが、問題の壁を作ってもいるのではないか? と。「ヤスコ先生の“ために”、使っちゃったのかも、知れないねえ」
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と、それからまたしばらくして、山岸まひろと樫山ヤスコは、まひろの作ったトーストと目玉焼きを食べていた。前回同様、ゆっくり、談笑し合いながら。
ただ、前回と少しちがっていたのは、そのテーブルには弟の詢吾と、テーブルの下には、飼い猫のフェンチャーチが加わっていることだった。
この一人と一匹は、よほどお腹が空いていたのだろうか、詢吾はトーストを三枚も平らげたし、フェンチャーチは、まひろから分けてもらった目玉焼きの白身部分がよほど気に入ったのだろう、「もっとないのか?」と、まひろにお代わりをねだるほどであった。
「ほんと、美味しかったですよ、まひろさん」満足そうに詢吾は言った。お皿を運びながら、「焼き方ひとつでこんなに変わるんですね」
それから彼は、よほど食欲が増進されたのだろうか、冷蔵庫の扉を見ながら、
「よかったら、ヨーグルトアイスでも食べませんか?」昨日たまたま作ったのがあるのだが、「どうだよ、姉貴も一緒にさ」
「あ、それは是非」まひろは応え、
「あー、わたしは」とヤスコは遠慮した。お腹まわりを気にしつつ、「いまは止めとくわ」
「なんだよ、めずらしい」詢吾は言った。「いつもなら自分から言い出すのに」
「ちょっとね」ヤスコは応えた。が、これは、先ほどのまひろとのことを想い出し、やはりは日々の節制と、鍛錬こそが必要なのでは? と考え始めたからであった。が、まあ、そんなことを弟に言えるはずもなく彼女は、「パンを食べ過ぎちゃったみたい」そうして、「そろそろ着替えもしなくちゃだしね」と言ってはぐらかした。実際、午後からなにか用事があったような気がしたからでもある。
「着替え?」詢吾は訊いたが、この問いはすぐに、
「大丈夫ですよ」と言うまひろの声にかき消された。「だってほら」
そう言われて壁の時計を見上げると、針はまだ11時をいくらか過ぎたところだったし、彼らの飼い猫も、みたびソファの下でうずくまってはあくびをし、弟は弟で、「昨日たまたま作っておいた」ヨーグルトアイスを出そうとしているところである。
「大丈夫ですよ」と、まひろはくり返し、そうしてヤスコは、そう言いつつ自分を抱き締め、髪のにおいを嗅ごうとしてくるまひろを、とても愛しく、それと同時に更に、不思議な不安と安堵を、何故か感じてもいた。
「大丈夫ですよ」まひろはくり返した。「あの人なら、もう入って来られませんから」
(続く)




