第九話:人形/あるいは東京市営食肉処理場第五号(その7.5)
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『いちをとおにし、にはけして、
さんとしたなら、これもうけ。
よんはてばなせ、ごとろくならべ、
ななとはちあり、これじょうじゅ。
ここのつありて、これまたひとつ、
とおはてにあり、はたしてきえる。』
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柳瀬ヒトミが彼らの前に歩み出たとき、娘の顔はたしかにこわ張り、娘の恋人は、はた目には分からないかたちでだが、たしかに驚いていた。
彼らのソファにいた猫は、いつの間にやら姿を消して、代わりに彼女が抱いてた猫が、元の主人の下へとはしった。
「おかあさま?」先ず声を出したのは、山岸まひろだった。「すみません、来られていたのに、気付かずに」
まひろは、自分が何に驚いたのか、自分でもよく分かっていない様子だった。そのため彼女は、壁の掛け時計を見て――「あ、でも、たしか、」
「たしか、お約束は午後からの――」それからヤスコの顔を見て、「あ、でも」と、すこしでも場がなごむようにと注意して、「ご用件なら、僕からヤスコさんにお伝えしていますし――」そう続けようとして、
「まひろくん」そう言うヤスコに言葉を切られた。「そうね、話は分かってるわね」彼女は、この家の猫を肩に抱き上げたところだった。「さっさとすませましょう」
そう言うとヤスコは、まひろの横をとおり、リビング扉のそばに立つヒトミのところまで行った。猫は、様子の変わった彼女から逃げ出したい様子だったが、それはヤスコが許さなかったし、またまひろも、自分では気付かない部分で、そうなることを望んでもいた。
「父さんの本とノートですよね」ヤスコは言った。不必要なほどに、他人行儀な口調で、ヒトミの返事を待たずに、「部屋から持って来るので、そこで待っていて下さい」
それから彼女は、猫と一緒に階段を上り、その途中で立ち止まり、
「柳瀬さん」ヒトミにそう声を掛けた。「本とノートは差し上げますから」先ほどまでの幸福を、すべて壊された。というような口調で、「それを持ったら、すぐにお引き取り下さい」
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と、これより時間を前後して、ジアとニアの杏奈姉妹は、花盛りの家を出、問題のふたつの墓、その傍の緑の木の下に立っていた。
姉のジアはなにやら考えている様子で、とおく東の方角、樫山家のある方角をながめていた。
妹のニアは、彼女にしては珍しい表情で――怒るでもなく嘆くでもない、どちらかと言えば憮然とした表情で――、こちらもとおく、樫山家のある方角をながめていた。
「あのさ」ニアは言った。「ジアには分かんないかもしんないけどさ」ある意味、自分とまひろは、似た境遇にあるのかも知れない、と。「もちろん、それを知ってるかどうかの差は大きいとは想うけどさ」
「うん」ジアは応えた。但し、半分うわの空で、「しかし、にわかには信じられない現象だな」
「めずらしいの?」ニアが訊いた。
「少なくとも」ジアは応えた。「少なくとも私は初めてだし、山岸さんに会ったときも、なにも気付けなかった」
「言った方がいいわよね?」続けてニアが訊いた。「すくなくとも、お姉さまには」
「それは分からんよ」ジアは応えた。「樫山さんなら大丈夫なような気もするが」すこし間を置き、小首を傾げて、「女ごころは分からんからな、私には」
「なに言ってんだか」ニアが笑った。「女の子のくせに」
「お前だって」つられてジアも笑った。「女は女だろう」それから少し考えて、「ただ、まあ、それでも、確認が先だ」ふたつの墓を交互に見つつ、「おばあさんのウソや、妄言の可能性だってある」
が、すると、ここで突然、
「それは聞き捨てなりませんな」と言う声が、彼女たちのうしろ――いや、目の前に現われた。唐突に。「私のちからをウソや妄言にされては困ります」問題の、赤い顔の男だった。
「ふん」ジアが応えた。ニアをうしろに下がらせながら、「しかし、「嘘つき」って意味でもあるんだろ?」父親譲りの碧い目と引かない態度で、「あんたの名前」
「それは、ひとの勝手な解釈で」男は答えた。ウソ吐きの顔に、サッと顔を変えながら、「名前の意味なぞ、そもそも誰にも、ありはしません」
そうして、それからふたりは、黙ってしばらく、向き合っていたのだが、
「ごめんね、お待たせ」という山岸の家の祖母の声に、同時にそちらをふり向くと、「お気に入りの日傘が見当たらなくって」
ドッオォォォオオォンッ!!!
とこちらも同時に、東の方角、ちょうど樫山家のある辺りから、なにかが大きく、破かれ砕かれ引き裂かれる音がした。
四人はおどろき、四人が同時に、そちらを向こうとした瞬間、今度は、
ドォオッ!
と、なにかの空気の破く音、続いて、
ドォォオンッッッ!!!
と、そのなにかの、彼らのいる緑の木にぶつかる音が聞こえた。
「いってーーーッ」
と、そのなにかは叫んだ。
杏奈姉妹は会うのが初めてだったが、その雰囲気には見覚えがあった。
山岸の家の祖母と赤い顔の男にとっては、かつて知った顔のひとりであった。
「あら、まあ、」が、彼らも会うのは数十年ぶりであった。「変わらないわね、ヒトミさん」
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つぎにヤスコが目を覚ましたとき、時計は11時をすこし回ったところだった。
なんだか嫌な夢を見た気もするが、顔を埋めたソファには、恋人のにおいが残っていて、直接肌にふれるその感触は、とても気持ちのよいものだった。
「あ、起きました?」恋人の声が聞こえた。すぐに彼女の耳元で、「朝ごはん、忘れてたでしょ」ヤスコの顔をのぞき込みながら、「パンと目玉焼き焼いたんで、一緒に食べませんか?」
「まひろくん?」彼女は応えた。なんだかまだ夢のなかにいるような声で、「起きてたの?」
それからヤスコは、いまの自分のすがたを想い出し、すこし恥ずかしい気持ちになったのだが、それでもまひろへの愛しさの方がまさったのだろう、青いタオルケットで胸もとを隠すと、すぐそばにある恋人の柔らかなほおに小さな口づけを与えた。「ありがと、起こしてくれて」
この口づけにまひろは顔を赤らめると、「じゃ、ほら」と恥ずかしそうに立ち上がり、「服着て下さい。詢吾さんも呼んで来ますから」
するとヤスコは、「えー」と、わざとすねた様子で、「詢吾はまだいいんじゃない」もう少し二人きりの余韻にひたりたいし、「どうせ今日は、誰も来ないし、なんの用事もないんだからさ」と言った。
*
「いや、あの子にそんなちからはないはずだよ」
と、これとほぼ同じころ、ちいさな丘の墓のそばでは、山岸の家の祖母と柳瀬ヒトミが、再会の挨拶もそこそこに、ヒトミが経験し観測した奇妙な現象について話し合っていた。
「あの子が持っているのはさ」山岸の家の祖母は続けた。「魅惑というか魅了というか、必要以上に他人を引き寄せてしまう能力で」しかもその能力のせいで、「富士夫の――あの子の兄の家でごたごたがあって」いまはほとんど封印されているはずなのだが――「不破さん?」彼女は訊いた。
「たしかに、」赤い顔の男は答えた。とおく見通すその紅い目で、「奇妙な“壁”が出来ていますね」と、樫山家の周囲を確かめながら、「が、ただ、どうやらそれより先は、私の目でも見られない様子」
それから男は、すこし考えると、「柳瀬さん?」と、東の空を眺めたまま訊いた。
「なに?」ヒトミは応えた。彼への嫌悪感を隠さないまま、「これもあんたの策なんじゃないでしょうね?」
「まさか、」男は応えた。彼女の嫌悪は無視したまま、先ずは自分が訊きたいのは、「そもそも何故、お家にもどろうと?」
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『いちをとおにし、にはけして、
さんとしたなら、これもうけ。
よんはてばなせ、ごとろくならべ、
ななとはちあり、これじょうじゅ。
ここのつありて、これまたひとつ、
とおはてにあり、はたしてきえる。』
*
(続く)




