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第九話:人形/あるいは東京市営食肉処理場第五号(その4)

「あの、ちょっとすみません」


 お昼どきの住宅街にひとかげはまばらで、その女性に声をかけたとき、時刻はすでに13時をいくらかまわっていた。


「はい? なんですか?」気のよさそうな、小柄な老婦人であった。


「実は奇妙なお願いなんですが」柳瀬ヒトミは言った。サングラスをはずし、きれいな瞳で、「ここの道を、向こう側まで、わたって頂けませんか?」


 この依頼に老婦人は、しばし言葉に詰まっていたようだが、下手に関わり合うよりは、とでも想ったのだろうか、


「わたれば、よろしんですか?」と、ヒトミ以外まわりに誰もいないことを確認しながら、「はあ、まあ、それぐらいなら」


 と、縁石から車道に下り、そのまま、スタスタスタと、道の向こう側へと歩いて行った。


「これで、よろしいかしら?」老婦人はふり返り、


「あ、はい」柳瀬ヒトミは応えた。ある意味予想どおりだなと想いながら、「どうも、ありがとうございました」


「はあ、まあ、それでは」と小走りに、ある種気味悪そうに老婦人は去って行き、そのうしろ姿をながめながら柳瀬ヒトミは、ドレスのポケットから、スマートフォンを取り出した。


 本日今日の彼女のスタイルは、昨日よりは落ち着いた、いくらかは年相応に見える、くすんだカラーのサマードレスで、「もしもし? サラちゃん?」


 いま、ニシナとサラは、ヒトミを一人ここに残し、他のルート、樫山家へと通じる他の路地を調べに行っているところであった。が――、


     *


「ちっくしょう、ここもかよ」


 と、ヒトミのいる場所から300mほど先、樫山家をはさんでちょうど真南に当たるうす暗いY字路では、右の道に入って行ったはずのニシナが、左の道からもどり、スーツ姿のサラを見つけたところであった。彼の額からは、きっとこの暑さのせいだけではないであろう、大粒の汗が流れていた。


「こちらも同様です。ヒトミさん」ニシナの姿を認めてからサラは言った。手もとのスマートフォンで、300m北にいる柳瀬ヒトミに向かって、「いま四ヵ所目ですが、どこも同じでした。きっと残りもそうでしょう」


「ほっんと、なんだよこれ」滝のような汗をふきながらニシナは言った。それから、彼お得意のスラングを巧みに使いながら最後に、「これも、アレの類いとかって言いませんよね?」と電話向こうのヒトミに訊いた。


「アレ?」とヒトミが訊き返し、


「アレッスよアレ」とニシナは答えた。「陰謀論とか陰謀だとか、娘さんを俺たちに会わせたくない何者かの仕業だったりするんスか、これ?」


     *


 つぎに山岸まひろが目を覚ましたとき、時計は11時をすこし回ったところだった。


 まひろの胸のすぐ横に、幸福そうにねむるヤスコの顔があった。カーテンのすき間からはいり込んだ光が、彼女の髪をすこしだけ照らし、波のようにゆらいでいたかと想うと、とつぜん消えたり現れたりをくり返した。


 まひろは、ヤスコの両腕をほどいて自由になると、ソファのへこみを直してから、彼女の頭をそっと、そこに置いた。ソファの下に脱ぎ捨てておいた衣服をひろい、それらを身に付け、はいり込んだ光のひとつが、まひろの右手の甲に止まった。右手が、かすかにふるえた。


 しかしここでも山岸まひろは、それに臆することはせず、すぐに右手を裏返すと、光は、まるで転がり込むように、その手の中へとはいって行った。手を握り、もういちど、時計を見上げた。


 時計の針は、相も変わらず、11時をすこし回ったところで止まっていた。目をつむり、十まで数えて目を開けた。が、それでもやはり、時計の針は、相も変わらず、11時をすこし回ったところで止まっていた。安心して手を開くと、手の中の光たちは、うれしそうな量子螺旋を描きつつ、天へと向かって伸びて行った。


     *


「はて?」


 と、ちょうどそれと同じころ、花盛りの家のリビングでは、赤い顔の不思議な男が、妙な波動を感じていた。


「どうかしたかい? 不破さんや」


 と、彼のそのつぶやきに、山岸の家の祖母は訊いた。外出用の、メイクの手を止めて。


「あ、いえ」不破は応えた。「なにか……、感じませんか?」


「なにか?」と、山岸の家の祖母は言い、「なにかって――」と、すぐにその奇妙な気配に気が付いた。「偶然かい? 狙ってかい?」


「偶然にしては、すでに三分の二ほどはいって来ていますね」不破は応えた。「偶然なら、よほどの幸運? の持ち主でしょうし」と、笑顔で顔を歪めつつ、「ほんとに狙ってはいったのなら、よほどのバカか賢人でしょうね」


 山岸の家の祖母は言った。「でも、だとしたら」と、彼女の悪魔に、歪んだ顔を元に戻せと促しながら、


「でも、だとしたら、よほどのバカなんだろうねえ」と鼻で笑って、「すき間なんか通らず、チャイムのひとつも鳴らせばいいのに――どうする? しかもふたりもいるじゃないか」


     *


 さて。


 そのふたつの墓はとなり合い、しかし離れて、小高い丘のうえに立っていた。


 ひとつの墓には、そばになにかの木があって、背は低いが葉ぶりのよい、その緑の枝が、このふたつの墓を、道の側から隠して見えた。


 彼らはいま、夏の草花に囲まれ、手入れは行き届き、彼らに寄り添う黄色い花は、彼らのために、枯れるまでの命をどうにか引き延ばそうとしているようであった。


 が、しかし、それでも、それらの墓が、いったい誰のものなのか、いったい何時のものなのか、いったい誰の、何のための墓なのか、等の情報については、透きとおるようなその石の表面には、決してなんにも、刻まれてはいなかった。


「ねえー、ただの石だってば」


 と、杏奈ニアは言った。緑の木のそばに立ち、問題の墓石を調べるジアに向かって、「さっさと家に、行きましょうよ」


 その石がただの石か、それともなにか、彼女たちが捜している機械仕掛けのなにかなのであれば、それはニアにはすぐにわかるハズだから、「そんな調べてもなんにもないって」


「それでも一応だ」と杏奈ジアは応えた。例のスマートフォンで石の中や表面を探りつつ、「この場所自体、どんな理屈で動いているか分からないからな」


 彼女の足もとでは、働きもののアリたちが、真夏の葬送行列よろしく、白いなにかのかたまりを、担ぎ、運び、行進していた。


 ビジ、バジジジ、ビジ。

 ビジ、バジジジ、ビジ。


 と、ジオのスマートフォンが鳴り、石の計測結果を彼女が確認しようとしたとき、


「あらあら、まあまあ、どうしたの」とひとりの老婆が、彼女たちに声をかけた。「こんな、だれも来ないような場所に」


 するすると伸びた鼻に、ほそい、アルミフレームの眼鏡をかけた、山岸の家の祖母だった。


「お参りしてくれるのはうれしいけどね」彼女は言った。「そのへんは虫も多いからね、あんま長くいないほうがいいよ」


 それから、ニアとジアの顔を交互に見つつ、


「あらまあ、きれいなお嬢ちゃんたちだこと」やたらとながいその顎をさわり、「ほらほら、そんな草むらからははやく出て、きれいなお顔がかぶれでもしたら大変よ」と、彼女たちに道に出るよう促した。そうして何故か唐突に、「よければウチで、お茶でも飲まない?」


 すると、この申し出にニアとジアはほとんど同時に、


「え?」と、つい声をあげてしまったのだが、すぐにジアが、「すみません、私たちは」と警戒の言葉を発しようとして、しかしまるで、それを打ち消すかのように、


「あ、いや、その」と山岸の家の祖母は、「お墓を見てくれたことがうれしくてね」歌か呪文でも唱えるようにふたりにささやいた。「そこは、もう、あたし以外、だれも来てくれないとこだからさ」


 するとこの歌、あるいは呪文に、杏奈姉妹は、姉のジアですら、警戒心をゆるめてしまうと、


「それでは」と、これもほぼほぼふたり同時に、山岸の家の祖母に向かって応えた。「お言葉に甘えて――」



(続く)

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