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第七話:あるものすべてはうつくしく。(その7)

 それから先は、ほぼほぼ坪井南子の独占状態だった。


 彼女は喋った。


 鷹士の作品のどこが素晴らしいのか、いや、どうしてよく売れるのかを。


 彼女は喋った。


 彼が必要以上に照れ、彼女自身、自分の口や歯が、1mほども上空に浮かび上がるのを感じながら、


「先生の作品の主人公は、例えば生き別れた父親の影を探し求める、『砲声止むとき』の少年をはじめとして、繊細で孤独、群衆からはどうしても離れてしまう異人、部外者、第三者として描かれる場合が多いですが、」


 それとは逆に、彼らの相棒・あるいは敵対者たる人物は、アクのつよい、派手なパフォーマー・実際者として登場し、


「そうして、こういう言い方をすると怒られるかも知れませんが、彼らはどうも、岳井先生のパブリックイメージに、より近い」


 権力者や上流階級に平気でケンカを売るような、騒々しいピエロのような、そんなキャラクターとして彼らは描かれている。


「その両極さ加減が、先生の作品を、一見わかりにくいものにしてしまっていたりもしますが、」


 大人と子ども、孤独と喧騒、精緻・繊細でありながら豪快かつ大胆、その両極性が、鷹士の小説のひとつの推進力にもなっていて、


「読者にとってはそこが魅力的で、」と坪井は言う。「且つそこに、先生ご自身の姿が重ねられもするわけですからね」


 それから彼女は、イエローのジントニックをひと口、ゴクリと飲むと、ワザとらしくしなを作って、


「そりゃあ、女性読者の人気も高いハズですよね」と言ってわらった。「実際の先生も、ここまでのハンサムさんだとは想っていませんでしたよ」


 さて。


 もし、いま、この場に、彼女の上司・本田文代がそばにいて、こんな姿の坪井を見たら、彼女はすぐさま目を見開き、世界中にひびき渡るような声で、


「バッカモーーーーーンッッッ!!!!!」


 と、彼女に解雇を言い渡していたかも知れない。


 と言うのも、最後の「しなを作って」は論外だとしても、それ以前の彼女の論評、鷹士の作品に対するうっすい理解は、どこかの職業批評家――それはつまり、彼女たちにとっては、素人に毛が生えたような“評論家もどき”のことを言うのだが――から借りて来たかのような言葉の陳列・羅列であり、それは作家に届かないどころか、逆に彼らの不興を買ったり、悪くすれば、彼らを深く傷付けることになるからであった。が、するとここで、


「失礼します」と突然、わかい悪魔のようなウェイトレスが鷹士に訊いた。「お代わりは?」


「え?」と、鷹士は応えた。不意を突かれた感じで、「なんだって?」


「お代わりは?」ウェイトレスはくり返した。


 テーブルを見ると確かに、自分のグラスも坪井のグラスも、いつの間にか空になっている。


「あ、ああ、そうだな」鷹士は言った。「おなじものを、私にも彼女にも――坪井さん、よかったですか?」


「あ、はい、お願いします」坪井は応えた。その長広舌を一旦とめて、「美味しいですね、ここのお酒」


「ありがとうございます」わかい悪魔は応え、ほほ笑み、「特別のレシピを使っておりますので」と言って去って行った。


 それから、そんな彼女のうしろ姿を眺めながら坪井は、「自分はすこし、しゃべり過ぎているのかも?」と想った。


 本田の呆れた怒声が聞こえてくるようだったが、彼女にも、自分が喋っていることの愚かさは、十二分に分かっていた。


「怒りに任せたとは言え、これはやり過ぎでしたかね?」


 そう。彼女は怒っていた。自分でも、その怒りがどこからやって来るのか分からないまま。


 あ、いや、怒りのきっかけならはっきりしていた。ヤスコが鷹士と――と言うよりは、まひろ以外の人物と、唇を重ねていたことが、彼女の怒りのスタートラインであった。


「私のヤスコ先生に」


 と、坪井が想ったかどうかまでは分からないが、それでもとにかく彼女のこころと身体は、まひろとヤスコの間にはいり込もうとしているこの男――ベストセラー作家でなければ、パンチのひとつぐらい喰らわせてやりたいこの男――を、彼女たちからどうにかこうにかひき離したい。そう考えているようであったし、そうしてそれは、“特別なレシピ”で作られたこの店のカクテルに、想いを強くさせられているものでもあった。


 坪井は続けた。


 鷹士との契約がどうとか、そんなことはもうどうでもよくなっている感じだった。


 坪井は続けた。


 想い付くままに、過去に彼が起こした有名女優とのスキャンダルにすら触れそうな勢いで、


「ヨーロッパ行きの成果は結局――」


「初期の短編がいまでも一番の――」


「私なら観察者としての先生は――」


 とかなんとか、それこそ想い付くままに。毒舌ギリギリ一歩手前で云々かんぬん。


 が、しかし、困ったことに、というか彼女の予想に反してというか、目の前の男、山岸鷹士は、彼女のこのお喋りを嬉しそうに――と言うよりは助かったというような顔で聞いていた。


 もちろん。彼女に圧倒される形ではあったし、この店のビターズが余分にはいったウィスキーのせいでもあったのだが。


「たしかに」鷹士は言った。つぶやくように。坪井のお喋りの合間を縫って、「たしかに私には、自分の本を、熱心に読み返す習慣はありませんね」


「そうなんですか?」坪井が訊き返した。意表を突かれた感じで、「そんな風には感じませんでしたが」――どう想います? ヤスコ先生。


 つい、そう問い掛けそうになって坪井は言葉を飲み込んだ。


 テーブルの向こう側では、ヤスコとまひろが、楽しそうな顔で話をしていたからである。


 そうして、そんなヤスコの横顔を好ましく想いながら坪井は、ふたたび鷹士の方を向いた――「理由は?」


「理由?」鷹士が訊き返した。


「なにか理由があるんですか?」坪井も繰り返した。「読み返さない理由」


「いや、それは、」鷹士は答えた。すこし考えて、「結局、すんだことはすんだことだからじゃないでしょうか」


 それから、もうひと口ウィスキーを飲んで、


「私もジンにしようかな?」そうつぶやいてから、「それに――」


 それに、この仕事をしていると、悪意のある批評をもらうことがよくあるが――好意のこもった批評などは、誰も表には出さないだろうから――しかも、昨今の批評精神の不健全さと言ったら……、


「あ、いや、すみません」鷹士はわらった。苦い顔で、「問題はそこじゃあないですね」更にウィスキーをひと口飲んで、「心配なのは」と言った。


「心配なのは、私を厳しくけなす人、私の過去や行為を指摘する人の方が正しくて、私の作品が実は、自分が想い込みたいほどの傑作でもなければ、真実を描いたものでもないことが分かることなんです」と。



(続く)

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