第七話:あるものすべてはうつくしく。(その4)
さて。
他にも色々と問題はあったが、世間一般でよく問題とされたのは、山岸鷹士の容姿とその作品のギャップであった。
山岸鷹士は、大男である。
身長は百九十センチに近く、また牡牛のように頑丈でもあった。
日本人ばなれのしたその風貌は、誰に似ているかと問われれば答えに困るが、例えばハンフリー・ボガードやジーン・ケリーを引き合いに出すものもいれば、日本の往年の名コメディアンを持ち出して来るものもいたし、「横顔がそっくりなのよ、キリストに」と言ったバーの女店主などもいた
言葉は時に乱暴だが、目は澄んでいて、そこに変な底意や悪意がひそむということもほとんどなかった。
彼の作品を知らずに彼を知ったひとは、彼のことを細身の格闘家かアメフトの選手、少なくともなにか身体を酷使するような職業に就いている人間だと考えたし、逆に、彼の作品をよく知ったうえで現実の彼に会った人物は、その見た目と精神のギャップにおどろくことにもなった。
そう。
山岸鷹士の作品――例えばそれは、『高い家の白いバラ』や初期の短編集など――から想像される彼は、まるで華奢な、どちらかと言えば繊細で女性的な人物のように想える。
が、しかし、実際の彼は、先に書いたような容貌風姿を擁しており、且つよくしゃべり、大酒呑みで、しかも大方の予想に反してホモ・セクシュアルではなかったし、それどころか、実の妹をして、「この人とにかく、女ぐせが悪いんだから」と言わしてしまうタイプの人間ですらあった。
であったのだが――、あ、しかし、これではすこし語弊があるな。
そう。
山岸鷹士は、いくつかの例外を除いて、自ら進んで女性を口説きに行くタイプの男ではなかった。
もちろん女性に興味はあったし、積極的な好意を示されればそれに応えることもあるにはあったが、それはあくまで女性側からのアプローチが主であり、それが彼の妹に「この人とにかく、女ぐせが悪」く見えたのは、ただただ、あまりに男性然とした鷹士の風貌と、それとはよい意味で対称関係にあるその内面に心惹かれ、彼と親密な関係を築きたくなってしまう女性が、それだけ多かったということでもあった。
*
「こんど僕の恋人を口説くような真似したら、兄さんとはきょうだいの縁を切るからね、一生」
まひろが突然、らしくない強い口調でそう言ったときヤスコは、はっとなって顔を上げ、先ずはまひろの横顔を、次に鷹士のおどろく顔を見、それからふたたびまひろの方を向いた。
「ちょ、ちょっと、まひろくん」彼女は言った。「お兄さんにそんな言い方」――鷹士は単純に、自分の作品を評価してくれていただけではないか、と。
「それがこの人の手なんだよ」まひろは応えた。まるで思春期の中学生のように、「こんな男くさい顔で、さっきみたいな繊細なこと言い出すでしょ」まるでヤスコを鷹士の毒牙から守ろうとでもするかのように、「それにみんな、コロッと騙されちゃうんだよ」
「お、おい」鷹士は言った。「それじゃあまるで俺が――」
「恵さん、青柳先生、杉浦さん」まひろは続けた。「この人たちと連絡は?」ジンジャエールをひと口飲んで、「僕が直接知ってるのは、この人たちだけだけどさ」――他にも色んな人とうわさになっては、彼女たちを泣かして来たじゃないか。
すると鷹士は言葉に詰まり、ウィスキーをひと口飲んだ。うすい透明なヴェールの向こう側から、洞窟の凍る冷気のようなものを吹きかけられた気分だった。
「恵や青柳さんとは――」そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
自分とのことをまひろに相談する彼女たちのことを想像し、軽い嫉妬に捕らわれそうになったが、その想いはすぐに消した。
もうひと口、ウィスキーを飲んだ。
それから続けて、ひと息にそれを飲み干し、ウェイターを呼んだ。声は出さずに、目と手振りだけで。そうして、
「すみません、樫山先生」とヤスコの方を向き頭を下げた。「本当に、そんなつもりはなかったのですが」――もしそんな風に取られたのだとしたら、はっきりとお詫びします、と。
「いえ、そんな」ヤスコは応えた。とても恐縮した身振りで、「どうぞ、頭をあげて下さい」――まひろくんも、ちょっと興奮しただけでしょうし、と。
「ね、まひろくん?」彼女は続けた。つないでいた手を、より強く握りながら、「ちょっとほめ過ぎのような気はしたけどさ」――まひろくんの想っているような感じは、お兄さんの言葉からは感じ取れなかったわよ、と。
ウェイターがやって来た。
「ウィスキーをロックで」鷹士が言った。「ふたりは?」
「わたしは、炭酸水を、もう一杯」
「僕も、ジンジャエールを、もう一杯」
「かしこまりました」
ウェイターがもどって行き、それに合わせるように鷹士が、
「ちょっとすまない」と言って席を立った。「すこし飲み過ぎたようだ」
それから彼は、再度ヤスコに謝ると、横を向いたままのまひろに何かを言おうとし、それを止め、店の奥へと消えて行った。
「まひろくん?」鷹士の姿が完全に見えなくなるのを待ってから、ヤスコは言った。「ありがとね」
すこしの間があった。
恥ずかしさのせいだろうか、横を向いたままでまひろは訊いた。
「なにがですか?」自分の幼さに、自分で腹を立てていた。
「言ってくれたでしょ?」ヤスコは言った。そんなまひろを、愛しく想いながら。
「なにをですか?」まひろがくり返した。まるで、小学生の女の子みたいに。
「うれしかったのよ」ヤスコは続けた。まひろの耳に口を近づけ、ちいさな声で、「“僕の恋人”って、はっきり言ってくれて」
まひろの耳が赤くなって行くのが分かった。
とても素敵な、可愛いひとだな、とヤスコは想った。
それから彼女は、先ほどまでの鷹士の態度と、以前読んだ彼の『あるものすべてはうつくしく。』、それに、とても素敵なまひろの横顔に、すべてを理解することになった。鷹士のヴェールの向こう側、そこに眠る、対象の本質というようなものに。
「ヤスコさん?」まひろがこちらを向いた。
照れているその顔を、このまま抱きしめたいと想った――が、彼女はためらった。
鷹士のヴェールの向こう側、彼が本当に愛した、愛しているひとは、彼女の目の前にいる、このひとだけなのだろうから。
(続く)




