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第四話:酒とバラと沈黙の音(その3)

 月曜の朝は憂うつだ。


 それは不思議なことに、専業小説家だなんていう世間一般の皆さまから見ればヤクザこの上ない仕事をしている樫山ヤスコにとっても同じだった。


 服を着替えながら、今日の仕事の段取りを考える。


 トーン、トーン。


 窓の外から、誰かの何かを叩く音がして、それに工事の人の声が続いた。


 すこし背伸びをして見てみると、草が茂ったちかくの空き地に、いよいよ新しい家が建つようだった。


 いつもよりきれいなシャツを選び、袖をとおすと、仕事机の、いつもは絶対に開かない引き出しが目にはいった。


 携帯の写真はすべて消せたが、紙の写真は、焼くのも捨てるのも、なんだかちょっと気が引けていた。


 引き出しを開けようとして、このシャツに彼女が触れた時のことを想い出した。


 目を閉じ、口を閉じ、立ち止まり、机から一歩あとずさった。


 意識して、まひろの顔を想い出した。


 シャツを脱ぎ、別の服を探した。


 どれもこれも、色あせてたり、老けて見えるものばかりだった。


 やっと一着、きれいな夏物のワンピースを見付けた。


「なんだか、お出かけでもするみたい」


 自分で自分をわらったが、とにかく、まひろが来るまで汚さないよう気を付けよう。


 そんな風に想った。


     *


 月曜の朝は憂うつだ。


 それは不思議なことに、専業マンガ家だなんていう世間一般の皆さまからは実在を疑われても仕方がないような仕事をしている樫山詢吾にしても同じことだったし、特にこの日の月曜の朝は、そこに怒りや不安や戸惑いなどがブレンドされていて、ひと言に「憂うつ」と書いてよいものかどうかから悩んでしまうような、そんな月曜日の朝だった。


 しかも昨夜は、それこそ明け方近くまで友人の原稿のお手伝いをしていて完全寝不足だし、その友人・江崎清一にしても、完全な好奇心まる出しで、我が家に来ていたりするのであるから。


     *


「あら、清一くん。来てたの?」リビングに降りて来るなり詢吾の姉・ヤスコは言った。「この時間に起きてるなんてめずらしいわね」


「ええ、詢吾と一緒にちょっとした調べ物というか……」江崎は応えた。「フィールドワーク? 現地調査? みたいな?」と、必死で本来の質問を誤魔化し飲み込みながら、「それが済んだら、すぐに退散します」


「ふーん?」ヤスコも応えた。キッチンに向かい、冷蔵庫を開け、「ま、無理しない程度にね」ちょっと算段を立ててから、「朝ごはんは?  トーストと目玉焼きぐらいなら出せるけど」


「あ、はい、それはもう」と江崎。ヤスコの方に向きなおるが、


「おい、こら、江崎」と、そんな彼を止めるように詢吾は言う。江崎の袖を引っぱり、ちいさな声で、「長居はしないって約束だろ?」


「朝めしくらいいいだろ?」と江崎。こちらも声のトーンを落としつつ、「それに食事しながらの方が聴きやすいじゃん」


「メシ食いながらするつもりか?」


「いいからいいから、事情聴取は俺がやるから、おまえは横でお姉さんの幸福をだな――」


 と続ける江崎だが、そんな言葉に詢吾は、さらに色んな感情が乱れ飛んではダンスを始めそうになっている。が、ここで、


「なにふたりでコソコソ話してるのよ」と、台所のヤスコがふたりに声をかけた。「トースト一枚ずつでいい? バター塗るなら先に言ってよね」


「あ、はーい」江崎が応えた。なんだかとっても楽しそうに、「僕、バターなしで」


「はいはい。詢吾は?」


 しかし詢吾は答えなかった。胸のあたりで両手をもみ合い、目を閉じ、口も閉じたまま。


「詢吾?」ふたたびヤスコが訊いた。「トースト、一枚でいい?」


 しかしそれでも、詢吾は答えなかった。


「詢吾?」みたびヤスコが訊いた。「どうかしたの? いるの? いらないの? トースト」


 しかしそれでも、詢吾は答えなかった。代わりに、


 ガバッ


 と突然、リビングのソファから立ち上がると、


 クルッ


 と、台所のヤスコの方を向き、彼女の顔を見つめ、なぜかいつもよりキレイな服装の彼女に、


「?」


 と、一瞬戸惑いはしたものの、すぐにその理由に想い至ると顔を赤くし、どもり、それから、意を決したように、


「あ……、姉――ヤスコさんよ」


「なに? 急に?」とおどろくヤスコ。「あんたホント、どうかしたの?」


「実は」と詢吾は続ける。「ゆうべニアちゃんからメールが――」


 そう、いつにも増して真剣な表情で彼は言った。


 言ったのだが――それはさておき困ったことに。ここで、


 ガラガラガラガラガラッ


 と、玄関先で扉の開く音がして、


「おっはよーございまーーーすッ!!!」


 と、真夏のような、南国のような、明るいというか、暑っ苦しいというか、そんな元気な、体力のあり余ったウェルシュ・コーギーのような、そんな女性の声が聞こえて来た。


「ヤッスコせんせーッ! いらっしゃいますか―?」


 ヤスコの担当編集者、ムダな元気と胸の大きさ、それに口の軽さと無意味な行動力でおなじみの、《超高気圧ガール》坪井南子だった。


「もうもうもうもう、おはなし聞きましたよー、一緒に暮らすことにしたんですってー、先週あったばかりのあの方とー」



(続く)

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