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第二話:雨の中のネコ (その3)

     *


 さて。


 たとえば三尾千佳子の特長を訊かれたとして、彼女との付き合いが浅いものたちは、父親ゆずりのその広い肩幅や、母親ゆずりのその大きな口を上げるだろうし、またあるいは、彼女に恋するものたちならば、その整った目と鼻、それから細やかながらも大雑把なやさしいその性格を想い出すのかも知れない。


 が、しかし、彼女との付き合いが長くふかいものたち――彼女の四人の兄弟姉妹や、彼女の過去の夫たち (彼女はこれまで、正式なものだけでも3度は結婚している)、それに彼女の友人たち――にとっての彼女・三尾千佳子のいちばんの特長と言えば、それは、「お菓子作りの名人である」ということであった。


「あいつと結婚したおかげで、俺はここまで太ったんだ」


 と、二番目の夫は言い、


「姉さんの作るフルーツケーキ。あれがないとクリスマスが来た気がしない」


 と、彼女の末の弟は言った。そうして、


「あの子のオートミールレーズンクッキー。あれがなかったらわたし、自殺してたわよ」


 と、彼女のお手製オートミールレーズンクッキーが、ひとりの友の命を救ったことは、誰もが知る事実でもあった。


     *


「うわ、もう、最&高」


 と、そのオートミールレーズンクッキー (長いので以下、ОRCと略す)を、口いっぱいにほおばりながら樫山ヤスコは言った。「もっといっつも作ってよ」


「だーめ」


 と、三尾千佳子は応えた。コップにミルクを注ぎながら、「めったに作らないからありがたがるんじゃないか、あんた達」


「そんなことないわよ」ヤスコは続けた。ミルクを受け取りながら、「いつ作ってくれても、ありがたがるものはありがたがるわよ」


 それから彼女は、次の一枚に手を出そうとしたのだが、


「あ、こら」


 ペシパシ、ペシパシ。


 と、その手を千佳子に止められることになった。「詢くんとまひろさんの分も残しておきなさいよ」


「えー、これ、わたしのために焼いてくれたんでしょ?」とヤスコ。


「落ち込んでるって聞いたからね」と千佳子。ОRCをタッパーごと取り上げると、「それがあんた、お付き合い初日に家に連れ込むってなによ」


 それからそれを一枚かじって、


「ほんとにいいのー?」と、年相応のおばさんくさい口調になって、「一緒にはいらなくて。お・ふ・ろ♡」


 すると、この最後のハートマークに樫山ヤスコは、ちょっとそこから目をそらし、片目とくちを固く閉ざすと、すこしのあいだ考えてから、隣の部屋でマリオカートに興じる子供たちのクラッシュ音に背中を押されるかっこうで、


「あのさ、」と、千佳子の手を取りながら応えた。「ひょっとしたら、気付いてないかもなんだけど――」


     *


 さて。


 ちょうどその頃、東石神井のほそい路地――道のすみには聖母と海賊王の映画ポスターが並んで貼られ、ごつごつとしたアスファルトの上では、なにかの果物の皮とグズグズになった新聞紙が一枚、風にあおられ舞っているようなせまい路地――では、雨はずいぶん弱まっていたものの、風の方は相変わらずの勢いで、あっちへ行ったり、こっちへ来たりをくり返していた。


 ゴロゴロ、ゴロゴロ。


 と、東の空で雷が鳴り、樫山詢吾は、すこしためらいはしたものの、手の中のカサを、バサッと開いた。雨やどりに隠れた公園の記念碑からそろそろと歩き出しながら、


「それで、千佳子さんがケーキも焼いてくれててさ」と、カサとは反対側の手に向かって語りかける。「俺は俺で、夕飯の買い出しから帰るとこなんだけど――」


 肩に掛けたエコバッグの重みで、スマートフォンを落としそうになったが、それでもそのまま体勢を立て直すと、


「っと、ごめん」そう通話相手に謝ってから、「こっちも千佳子さんの指示でトリとかブタとかたくさん買い込んだし。よかったらおいでよ、ジアさんとふたりで」


 どうやら彼の通話相手は、千佳子やヤスコもよく知る人物のようであり、


「なんなら俺が、迎えに行ってもいいし」


 と、どうやら彼女に会いたいのは、彼自身のようでもあった。


 が、まあ、それでも、


「やっぱ姉貴も、落ち込んでてさ」


 と、それ以上に今日は、姉・ヤスコのことを心配しての弟・詢吾でもあるらしかった。詢吾は続ける。


「ふたりが来れば姉貴もよろこぶだろうしさ」先ほどの姉と同じように、鼻の頭をかきながら、「なぐさめてやってよ、ニアちゃん」



(続く)

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