第二話:雨の中のネコ (その1)
こまったことに、それからほどなくして、彼らの街は雨にみまわれた。
それはさながら、セルバやコンゴやニューギニアといった国々のスコールにも似て、サメやナマズが空中を泳げそうなほどの大雨だった。空はあかく染まり、とおく西のほうでは雷も鳴り始めていた。
「Cosa hai perso? tina」
公園の記念碑の横で、ひとりの観光客が訊いていた。連れの女性に向かって、この雨に負けないほどの大声で。それから、
「Gatto!」
と連れの女性は答えた。こちらも、彼にまけないほどの大きな声で、「C'era un gatto!!」
しかし、彼女のこの言葉は、最初の観光客には、にわかには信じられなかったらしく、その彼はすこし戸惑いながら、
「Gatto?」
と、彼女に訊き返していた。「C'era un gatto sotto la pioggia?」
すると、そんな彼らの横をとおり過ぎながら山岸まひろは、
「あのひとたちは、」
と、自分の手を引く女性――つい、この一時間ほど前、恋人になったばかりのその女性・樫山ヤスコ――に訊ねた。「あのひとたちは、いったい、なんの話をしているんでしょう?」
しかし、問題の恋人・樫山ヤスコは、道はとても暗く、夕闇も押し迫っており、雨だけでなく雷までもが強さを増していたため、
「え? なに?」
そうまひろに訊き返すだけであった。ほんのすこし、うしろをふり返って、「なに? なにか言った?」
なのでそのため、山岸まひろは、さきほどよりもすこしだけ、声のトーンを上げながら、
「あのひとたちは!」
とヤスコに訊こうとしたのだが、ここで、
バァッシィー――ン!!!
と、ひときわ大きな雷が、西の空から落ちたため、まひろは言葉をつなげずに、ヤスコもただただ、
「とにかくッ! いまは家にいそぎましょう!!」
と、まひろの手をさらにつよく握るのであった。
公園を抜け、より東の方角、彼女の家のある方角へと向かいながら、風にあおられ、おぼつかない足取りで。
*
「ねえー! 詢吾―! いるー?!」
それから十分ほどがして、つるつる滑る石段をわたり、自宅の玄関を開くなりヤスコは言った。
まひろの手前、すこし恥ずかしくはあったものの、それでも、雨にさらされ、息を切らせ、骨の髄まで冷たく濡れていたものだから、そこにあまり構っている余裕はなかった。
「ごめんね、まひろくん、ささっとはいって」
ヤスコの自宅は、街のはずれのはずれのはずれにある、しろい壁と、うすい緑の屋根をした、ふるいちいさな二階屋だった。
「詢吾ー! ごめんだけどー、バスタオルもって来てくれないー? 2枚―」
続けてヤスコは叫んだが、弟からの返事はなく、代わりに突然、家の奥から、
ドタドタドタ。
と、はしゃぎ飛ぶような音が聞こえ、
「わあい、ヤスコだ!」
と、くっそ陽気なガ――もとい、元気なお子さまたちのさけぶ声が続いた。
「えっ?」
と、彼らの登場におどろいたのはまひろだけではなかった。この家の主人である樫山ヤスコも同様で、
「ゆう? ゆい? りゅう?」
と、彼女目がけて突進してくる3兄妹に、ついついおどろき身構えてしまうのであった。「だめだめだめだめ、おばさんいま、雨でびしょ濡れなんだから」
するとこのセリフに、先ずは先頭をはしる長男のユウト9才が、
「えー?」と、それでもストップ足踏みをして、「だってヤスコ、ショウシンなんだろ?」
と、彼女に抱きつく気まんまんで言い、次に続いて、長女のユイ7才が、
「お母さんがいっぱいなぐさめてやれってー」
と、彼女の濡れた手をとりながら言った。
そうして最後、次男のリュウヘイ3才は、はしゃぎ、もつれ、いまにもせまい廊下で転がりそうだっ……あ、
スッテン
と、こちらの心配を予想したかのように、その場にすっころんでしまった。泣き出しそうな彼に向かって兄と姉は、
「あー、もー、リュー、はしゃぎ過ぎ」
「ほらほら、立って立って、自分で」
と、なにやら冷たいようすだったが、ここでヤスコが、
「ちょっと、ふたりとも」
と彼らをたしなめようとするのとほぼ同じタイミングで、それまで彼女のうしろで隠れるかっこうになっていた山岸まひろが、リュウヘイの前へとすすみ出ると、
「だいじょうぶ? ぼく?」
と、彼の前にかがみ込みながら訊いた。「どっか、うったりとかしてない?」
すると、そんなまひろの態度に、当のリュウヘイはもちろん、長女のユイや長男のユウトもおどろき顔をあからめかけたのだが、ここで一番おどろいたのは、
「だれだい? あんた」
と続けて出て来た彼らの母・三尾千佳子であった。「しかも、そんなにびしょ濡れで」
(続く)




