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静まりかえった階段を僕は登っていた。
さっきまで彩の母親と話していたのが嘘のように誰の気配も感じない。
彩の母親は僕に任せて座っているのだろうか。
それにしても本当に彩は部屋にいるのだろうか。
物音ひとつ聞こえない。
聞こえるのは僕の足音だけ。
テレビの音も聞こえても良さそうなのに、彩はテレビをあまり見ないのであろうか。
考えてみると、彩の事はまだ全然わかっていない。
好きなテレビ、好きな映画、好きな色、好きな食べ物。
彩の方から話しかける事が多く話の主導権はいつも彩が握っていた。
自分のオオカミの話しをしたくなく、僕に話の方向を変える隙を与えなかったのか。
僕は彩と会ったら、彩の事を知ろうと思った。
普通の人は初めて会ったその時に知ろうとするものだと思うが、僕はそういうコミュニケーションが苦手だった。
その反面彩は僕の事を知ろうとしていた。
僕のコミュニケーション能力の低さを思い一人沈みながら彩の部屋の前にたどり着いた。
部屋の前にたどり着いても何の物音も聞こえず、寝ているのだろうかと思い、起こすのは何か気が引けたが、ここで引き返したら取り返しのつかないことになるような気がしてドアをノックした。
「僕だけど、駿だよ。大丈夫かい」
呼びかけても中からの反応はない。
ドアノブを捻ってみると、鍵は開いていないようであった。
了承も無く女の子の部屋に入るのは気が引けたが、意を決してドアを開けた。
すると部屋の中は真っ暗で電気も点いてなかった。
「声をきかせてほしいな」
呼びかけても反応がなかったので、前回来た時の記憶を頼りに電気を点けた。
するとベッドの前に体育座りで膝の間に顔を埋めた彩がいた。
寝ているのかとも思ったが肩が小刻みに震えていたので泣いているのだろうと僕は認識し、彩の横にそっと座った。
そのまま黙っていると、彩の方から話しかけてきた。
「何か喋ってよ」
僕は何の準備もしていなかったので「こんにちは」とあいさつしかできなかった。
「何それ」
思わず彩は笑ったようであった。
少しは僕のコミュニケーション能力の低さが役に立ったのかもしれない。
「また来てくれたんだね。もう来てくれないかと思ってた」
「なんでそういう風に思うのさ」
「だって、満月を見るとオオカミになるだなんて普通の人が知ったら引くもん」
僕は一呼吸置いて返した。
「確かにビックリしたけど、君は君だよ。彩という人間はこの宇宙の中に一人しかいないし、満月を見るとオオカミになるというのも彩だよ。僕が人とコミュニケーションを取るのが苦手なのもそれも僕。同じ事だよ」
彩は顔を上げると泣き笑いのような表情をして「駿君って時々良い事言うよね」と言った。
僕は気恥ずかしく目をそらした。
「私、駿君のそういうところ好きだったよ」
ん?
僕は何か聞き間違えたのだろうか。
――好きだったよ。
異性から『好き』という言葉を言われたのは人生で初めてだった。
僕はどうして良いのか分からず身体中がむず痒かった。
冷静になって考えると、一つ聞き逃せない言葉があった。
『だったよ』
なんで過去形なんだろう。
「私の好きな駿君に悲しい思いしてほしくない。だから、いつまでも私のそばにいる必要は無いからね。前みたいに駿君の後をついて行ったりしないから」
彩は何を言っているのであろうか。
悲しい思いをしてほしくないなんて、そんな言葉を聞いた方が悲しい。
その事を正直にぶつければ良かったがこの時の僕はそこまで大人ではなかった。
「………」
お互いに無言の時間が続いた。
すると彩が「私が良いというまで目をつむって」と唐突に言いだしたので、僕は言う通りにした。
すると次の瞬間、僕の体は痺れたように硬直した。
彩が僕の唇に自分の唇を重ねあわせてきたのであった。
それは実際には数秒の事であったのかもしれないが、僕の中では永遠の長さに感じた。
唇を話した彩は「私のファーストキスが駿君で良かった」と言って、部屋を出て行った。
その時の彩の顔はこの世のものとは思えないくらい可愛く、美しかった。
彩の母親に決意表明みたいなものをしておきながら、彩に何か出来たのであろうか。
彩の心に寄り添うことができているのであろうか。
僕の悩みは更に深いものになった。
僕は、彩の部屋を出ると、彩の母親が待っているであろうリビングに戻ると、彩と彩の母親が何やら料理を始める様であった。
「駿君、晩御飯一緒に食べて行かない?」
彩が微笑むも恥ずかしさから目を逸らしてしまった。
彩はそんな僕を見てクスクス笑っていた。
「もしあれだったら、駿君のお家に私から電話しておこうか?」
彩の母親は言うも、駿は思った。
親子そろって……。
年頃の男子が女子の家で晩御飯を食べてくるなんて僕の母親が知ったら、発狂しそうである。
彼女をとっかえひっかえしている人は家族も慣れているだろうが、僕の家族はそういうものに免疫が全く無い。
この前だって、妹に彼氏が出来たと聞いた父が大騒ぎしていた。
ここは、断るのが正解なのかもしれない。
そんな僕の考えは彩にはお見通しのようで言われた。
「晩御飯食べるだけなんだから良いでしょ。お母さんも賛成してるんだし。それとも私達とご飯食べるの嫌?」
こういわれて嫌と返す人はそういないと思い、覚悟を決めて「じゃあいただきます」と了承した。
「家には自分から連絡を入れます」と言うことを忘れずに。
出来上がった料理は見るからに美味しそうなカレーライスであった。
食欲をそそる香りに僕のお腹は鳴りっぱなしで会った。
その音を聞いたのか彩は笑い出して「駿君のお腹元気だね」と腹を抱えて笑っていた。
彩の母親も「確かにね」と同意して僕を席にいざなった。
「駿君、彩の事よろしくね。じゃあ食べましょうか」
三人で手を合わせて「いただきます」と声を合わせ、カレーライスを口に運んだ。
口の中にいれた瞬間カレーのジャンキーな風味が口全体に広がり、にんじんも良く煮込んであるようで柔らかく解けるように僕の胃袋に流れて行った。
思わず僕は「ウマっ!」と呟いていた。
彩と彩の母親は互いに顔を合わせ、微笑んでいた。




