とつぜんの帰国
今日は土曜日。
『はるぶすと』は開いているけど私はお手伝いする日ではないし、会社もお休み。こんな日は、たとえ伊織がいようとも惰眠はむさぼらなきゃ。と言うわけで、私は今日も朝寝坊を決め込んでいた。
すると、夢かな?人がこちらへ来てしゃべっているような気がする。だれだろう。
「まあ、由利香ったらまだ寝てるの?起きなさい!」
あ・れ、珍しい。夢にmamが出て来るなんて。あいかわらずうるさい人だわ、でも、夢だからほっとけばいいかー。と、もう一度眠りに落ちていきそうになった。そのとき、また声がした。
「由利香!」
うるさいなー、なによもう。そうつぶやいてむっくり起き上がり目をあけると…。
「mam !」
そこにいたのは、夢ではない正真正銘の母の姿だった。
「ええ?!なんで?!」
「由利香あなたね。一緒に住んでる人がいるなら言っておいてくれなきゃ。そりゃ、もう充分大人なんだからとやかくは言わないけど。でも、せめて報告ぐらいはして」
「一緒に住んでる?……」
私は寝起きで頭がボーッとしていたので、母の言う意味が良くわかっていない。
「それにいくら貴女の方が年上だからって、朝からあんな豪華なお料理作らせて」
お料理?……とまた考えていると、部屋の外から声がした。
「お母様平気ですよ~。僕はこう見えても料理人なので。このくらいは朝飯前です。本当に朝食前ですけどね」
「!」
その声ですべての状況を把握した!ええー!なんでまた!このややこしいときに、ややこしい人たちが帰ってくるのよ!
私はガバッとベッドを飛び出して、あっけにとられている母と伊織を尻目にリビングへと走って行った。すると案の定そこにいたのは…
「お父さん!」
なんともいえない顔をしてソファに座っている父の姿だった。
あちゃー、やっぱり父も来ていたか。心配かけただろうな。母は別に同性だからいいんだけど、父親ならばショックだったろうなー。
とにかく父と母の誤解をといておかないと。
私はもうすでに朝食が綺麗に並べられたリビングのテーブルに、二人に座ってもらって説明を始めた。
「あのね、伊織は京都の高級料亭の当主で、」
と、そこまで話した時点で、
「まあ!」
母は伊織に向き直り、
「伊織さん、でしたっけ。残念ながらこのお話はなかったことにしていただけないでしょうか?」
「「は?」」
私と、さすがの伊織もわけがわからず聞き返す。
「由利香に料亭の女将が務まるわけないじゃありませんか。お店のご迷惑になるような事は私が許しませんわ」
「なにをいいだすのよmam!伊織と私はそんなんじゃなくってね」
と、またそこまで話した時点で、
「いや、お母様大丈夫ですよ。由利香には好きなことをしてもらっても。店は僕が回していきますので」
伊織が極上の笑みを浮かべながら言う。
「い、伊織!またあんたも何を言い出すのよ!」
「由利香、将来の旦那様に向かって、あんたとは何です」
やっぱり誤解してる~。伊織も伊織よ!なに遊んでるのよ。
「だから、そんなんじゃないんだってばー。もう伊織、遊ばずにちゃんと説明して」
「遊んでないよ?僕は由利香さえ良ければうちに来てもらってもいいもん」
「!」
「ほらご覧なさい。伊織さん、さっきはなかったことにと言いましたが、もしこんな子でも良いとおっしゃるなら、ふつつかな娘ですがどうかよろしくお願いしますわ」
「こちらこそ」
うちに来てもらう、の意味が違う。私はガックリと肩を落として、そのあと母と伊織には朝食を勧めて口封じし、なんとか母の誤解を解くべく全力で説明したのだった。
「じゃあ、伊織さんはただ京都からこちらに遊びに来て、その何でしたっけ、お友達の家ばかりでは申し訳がないので、由利香の所に泊まって下さってるのね?」
「そうそう、だから本当に何もないんだってば」
やあっとわかってもらえた。私はホッとしたけど、伊織はおもちゃを取り上げられた子どもみたいに、ちょっとふくれている。
すると今まで黙って話を聞いていた父が、
「本当に何もないんだね?お父さんも最初ここへ来て伊織くんが出て来たときはびっくりしたし、由利香は親に黙ってなにをしているんだと思ったよ」
「お父さん…」
母はあの通りあけすけだけど、父はごく普通に娘の心配をしてくれる人。私はそういう父が大好きなの。
「でもね。いま伊織くんの人柄を知って、ちょっと残念になったよ」
「どういうこと?」
「由利香がこんな人を選べば良かったのにってね」
あら、さすがにお父さんだわ。たったあれだけの時間で、ふざけた表面に隠された伊織の真摯なところもお見通しなのね。
「それに、姉さん女房は良いって言うしなあ」
すると伊織はふーんと感心したような顔をしてから面白そうに、
「そですね、年上の女性は頼りになりますよね~」
とか何とか言っている。なーにが年上よ!四百歳ちかく上のくせに。
見た目はどうしてもわたしの方が上なのよね、くやしいことに。私が内心歯がみしていると、
「ああそう言えば、この間樫村さんに会ったわよ」
母が突然思いがけない人の名前を持ち出した。
「本当?彼はパリにいたんじゃなかったっけ」
「つい最近ロンドンに来たのですって」
樫村 春人。私が会社に入った頃、新人の研修教官として赴任していた上司。その厳しさはハンパじゃなかったけど、人間的にとっても尊敬できる人だったので、私たちのチームはみんな樫村さんが大好きだった。研修が終わった後も、私をはじめとするチームのみんなは、仕事のことに限らず、プライベートなことまでよく相談に乗ってもらっていた。
でも、そんな人だから世界中で引っ張りだこなのよね。日本に来て二年もしないうちに海外にいってしまった。
樫村さんには親にも言えない恋愛相談さえしていた。海外にいても、ことあるごとに連絡をくれていたんだけど、結局、つきあっている人のことしか頭になくて馬鹿だった私は、樫村さんのアドバイスも耳に入らず、手ひどい痛手を受けてしまったのよね。会社を辞めようかと思い詰めたのもその頃。その時も離れていながらもずいぶん心の支えになってくれた。
私が立ち直たのを確認してからは、ほとんど連絡をとりあっていなかったのだけど。
「元気そうだった?」
「ええ、とても。それで貴女の話が出てね。会社はアルバイトだし、空いた時間は喫茶店でお手伝いしてるだけだし、なんて愚痴っていたらね、じゃあイギリスへ呼び寄せないかって言って下さったのよ」
ええ?!いつのまにそんな話になっていたの!
「それで、久しぶりに日本にも帰りたくなってたし、じゃあってことで、ついでに貴女に伝えに来たの」
「私はついでですか。はいはい、あいかわらずね」
そんな大事な事を、ついでに、伝えに来るところが母の母たるゆえんだわ。
「由利香、イギリスに行っちゃうの?」
伊織もびっくりしたように聞いてくる。
「貴方も聞いてたでしょ、今初めて聞く話よ。どうするかなんてまだわからないわよ」
「ふーん?」
伊織はなぜかまじまじと私を見つめてくる。あーもう、あんたにはわかっちゃうのね。樫村さんの名前が出たときから、その人が私にイギリスへ来て欲しいと言っているのなら、行っても良いかな、とか思ってしまったことを。
でも、今の生活もすごく楽しいのも確か。『はるぶすと』は大好きだし。鞍馬くんがいて、夏樹がいて。たまに伊織にも会えるし。美味しいまかないもあるしね、へへ。
「で、その人はどういう人なの?由利香にイギリスまで飛んで行きたいと思わせるような人って」
「あ、樫村さんの事?ええ、えーと、フルネームは樫村 春人さん」
その名前を聞いて、伊織の顔がちょっと微妙に動いた。
「樫村 春人?」
「ええ、仕事は色んな会社をまわって新人養成をしているの。私も彼の研修をうけたうちの一人。彼に育ててもらった社会人は数知れずでね。人間的にもずいぶん成長する新人が多くて、世界中から引っ張りだこなのよ」
「うん、そうだろうね」
「でしょ?って、伊織もしかして樫村さんの事知ってるの?」
「僕が知っているハルならね。たぶん同じ人だとは思うけど…。なるほど、そういうこと」
「え、何が?」
私は訳がわからず伊織に聞く。と、伊織はいたずらっぽい笑みをうかべてウィンクする。
もしかして…、もしかして。
「樫村さんも貴方たちと同じ?」
伊織は唇に人差し指をあて、ヒミツ、などとのたまう。
それって肯定してるって事よね。私は頭がクラクラしてきた。なんでこうも私の周りは千年人だらけなの。
「由利香どうしたの?」
私が額に手を当ててガックリしていると、母が聞いてきた。
「なんでもない…。ちょっとめまいがしただけ」
「大丈夫?朝遅くまで寝てるからよ。やっぱり朝はちゃんと起きて、ちゃんとご飯食べないとね。貴女、朝食ひとくちも食べてないじゃない。お上がりなさい。ものすごく美味しいわよ、これ」
ああーもう。私はやけになって伊織が用意した朝ごはんをひとくち口にした。
「なにこれ、美味しーい」
「それはどうもありがとう。どうぞたくさんお召し上がり下さい」
やっぱり美味しいものは人を幸せにしてくれるのね。私はなんだか悩んでいるのがばかばかしくなり、伊織の心づくしの朝食をめいっぱいいただいたのだった。
両親の来日目的は観光なので、翌日にはもう次の滞在先に行くことになっている。伊織はさすがに心得たもので、その日は鞍馬くんのうちに泊まると言ってくれた。
そのあと食後のお茶など飲みながら伊織と楽しそうに話していた母は、
「残念ねえ。伊織さんって知れば知るほど良い人だわ。うちのはねっかえりを貰ってもらえれば、私たちも安心なのに」
などと物騒な事を言い出すので、真っ青になる私を見て伊織は大笑いする。どっちにしたって結婚なんてする気もないし、伊織もするつもりはないでしょうに、まったく。
正午が近づいた頃、開店準備があると言って伊織は先に店に降りていった。
私は父や母にも『はるぶすと』を見てもらいたくて、はじめて?お金を出して両親にランチをプレゼントした。洋風ランチと和風ランチを父と仲良く半分ずつ食べて、ひと息ついた母は『はるぶすと』がいたく気に入ったようで、
「素敵ね、ランチもすごく美味しいし。ここならお手伝い続けた方が良くてよ、由利香」
などと言っている。父も店を見回してうんうんとうなずき、鞍馬くんや夏樹と二言三言言葉を交わしていたが、
「良い場所を作ったね、由利香」
と、言ってくれる。へへ、お父さんに認めてもらえるのは、なんにしても嬉しい。
「そうでしょ」
「だから、よけいに真剣に考えなければならないよ」
「え?」
「樫村さんだって、軽い気持ちで由利香にイギリスへ来てほしいと言ってる訳じゃないんだからね」
そして鞍馬くんに向き直っていきさつを話し出した。
「鞍馬さん、実は、昔由利香がお世話になった方が、由利香に仕事を手伝って欲しいからと、渡英を勧めて下さっているんです」
「はい、先ほど冬里…、伊織に聞きました」
「聞けば、こちらは貴方と由利香が共同経営しているとか。こうやってランチをいただく間しか店の様子を見ていませんが、ここはとても居心地の良い空間だと思います。短い間にこれだけのものを作り上げるためには、相当な努力をされたはずです」
「…」
「だから、その時の乗りで軽々しく物事を決めてしまわないよう、由利香とはよく話し合っていただければありがたいですね」
そう言ってから私の方へ、
「由利香はたまに考えなしで行動してしまうことがあるからね」
と、さも可笑しそうに言う。
鞍馬くんは少し驚いたように父を見つめていたが、
「間違っていたら申し訳ありません。由利香さんはお母様似ですね」
と、いたずらっぽい微笑みを見せながら言った。私はなによそれ、と反論しようとしたが、続けて鞍馬くんが意外な事を言い出した。
「樫村さんが言っているのなら軽い気持ちでないことはわかっています。実は冬里だけでなく、私も夏樹も樫村さんのことは良く知っています」
「え、そうなの?」これには私もびっくりした。
「ええ。まさか由利香さんまで知り合いだとは思いませんでしたが」
「私だってそうよ。しかも樫村さんって…」
私は微妙なニュアンスの視線で鞍馬くんを見る。鞍馬くんはわかっていますと言うようにうなずいてみせる。
「どちらにしてもハルに連絡するのであれば、その時に私もお話しさせていただいてよろしいですよね?」
「あ、俺も俺も!俺もハル兄と話ししたいです」
夏樹あんたまで!でも、樫村さんはやっぱり誰から見ても尊敬に値する素敵な人なのね。
「わかったわ。じゃあmam。帰るまでに樫村さんの連絡先教えてよね」
「ええ、後でお部屋に帰ってから」
父も母も私に強制するようなことはしない。ただ、父の方はさっきの言動からもわかるように、たまに暴走しそうになる私にストップをかけてくれる人だ。今は鞍馬くんがその役割を担っていると見抜いたらしい。鞍馬くんにくれぐれもよろしくとお願いして、二人は部屋へ帰っていった。




