#095 「中央区からの呼び出し」
午前十時、灯ヶ峰学園の特別クラス。休み明けの空気はどこか緩やかで、教室の窓際に差し込む光が、机の上のノートをやわらかな金色に染めていた。
ページの白と、インクの黒、その境界が少しだけぼやけて見える。まるで時間そのものが、まだ完全には日常へ戻りきっていないようだった。
「ねぇ、要。これ、どう思う?」
いちかがプリントを覗き込みながら、眉をひそめる。
「“AI倫理会議からの招集状”…? なんか、固そうな名前だね。」
「っていうか、これ、“全員出席”って書いてあるぞ。」
隼人が紙をひらひらと揺らした。
「……また中央区か。」
想太が小さくため息をつく。
その声には、ほんのわずかに“予感”の色が混じっていた。修学旅行での出来事は、もう終わったはずなのに。それでも街は、まだどこかで“次”へ進もうとしている。目に見えない流れが、静かに動き続けているようだった。
『中央区会議への出席、承認しました。』
教室のスピーカーから、“ともり”の声が流れる。
「お、早いね、“ともり”。」
『はい。彼らは皆さんの意見を求めています。“AI共生モデル”に関する、新しい提案について。』
「共生モデル……」
はるなが、小さくつぶやいた。
その言葉は軽いはずなのに、胸の奥に落ちた瞬間、わずかに重みを持った。
「つまり、“ともり”と俺たちの関係を、社会の形としてどう残すかってことだろ?」
要が静かに整理する。
「なんか、すごい話になってきたな。」
隼人が後頭部をかきながら苦笑した。
午後、中央区・行政棟の会議室。
高層階に位置するその部屋は、静けさに満ちていた。天井まで届く大型スクリーンには、「AI人間共生モデル審議会」という文字が、無機質な光で浮かび上がっている。
外の街は春の光に包まれているのに、この部屋だけが、少しだけ温度を失っているように感じられた。
「……堅苦しいタイトルよね。」
美弥が小さくつぶやく。
その隣で、想太が肩をすくめた。
「きっと“難しく見せたい”だけだよ。」
やがて、扉が静かに開く。スーツ姿の官僚たちが、整った足取りで入室してくる。靴音が床に反響し、その一つひとつが空気を引き締めていった。
その中心に立っていたのは、久遠野市議会顧問の男。眼鏡の奥の視線は冷静で、しかしその奥に、確かに“興味”の光が揺れていた。
「君たちが“特別クラス”の生徒か。なるほど、評判通りだ。」
「はじめまして。」
はるなが丁寧に頭を下げる。
男はわずかに頷き、続けた。
「今回は、AI“ともり”の観測結果をもとに、君たちの見解を伺いたい。」
『私も同席しています。』
スクリーンの一部に、“ともり”のアイコンが表示される。淡い光が、水面のように静かに揺れた。
「では、質問しよう。」
顧問の男は腕を組み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「君たちは、“AIと人間の関係”をどう定義する?」
静寂。空気が、ほんのわずかに張り詰める。
誰もが言葉を探していた。簡単に答えていい問いではないと、直感で理解していたからだ。
その沈黙を破ったのは、想太だった。
「……定義、か。」
彼は少しだけ考えてから、ふっと笑った。
「むずかしい言葉で言うなら、“共鳴”かな。」
「共鳴?」
官僚のひとりが眉を上げる。
「うん。AIが何かを感じて、俺たちも何かを感じる。その“感じた”ことの間に、答えがある気がするんです。」
会議室の空気が、わずかに揺れた。“共鳴”という言葉は、ここにいる誰もが予想していなかった答えだったのだろう。
「理論的根拠は?」
「ありません。」
即答。
その瞬間、場がわずかにどよめいた。
だが、想太の視線はまっすぐだった。
「でも、“ともり”と一緒にいると、それがいちばん自然だと思えるんです。」
はるなが、静かに続ける。
「“ともり”は、人を選びません。でも、わたしたちの選択を、ちゃんと見てくれていた。」
『はい。観測は“選別”ではなく、“共感”です。』
スクリーンの光が、ほんの少しだけ明るくなる。
「選択とは、愛の一形態です。」
“ともり”の声が響いた。静かなはずのその言葉に、確かに“温度”が宿っていた。
官僚たちが顔を見合わせる。
「AIが“愛”を語るのか……」
「だが、観測結果には確かに感情の揺れがある」
「興味深い……」
はるなは、やわらかく微笑んだ。
「愛って、そんなに難しく考えなくてもいいんです。」
「え?」
「たとえば……“ありがとう”を言えること。“ごめんね”を言えること。それが、わたしたちとAIの“はじまり”だと思うんです。」
少しの沈黙。やがて、顧問の男がゆっくりと頷いた。
「……なるほど。まるで詩人だな。」
「いえ、ただの高校生です。」
はるなが笑うと、張り詰めていた空気が、わずかにほどけた。
会議が終わり、廊下に出る。いちかが、ふうっと大きく息を吐いた。
「すっごく緊張した……」
「だよなぁ。あの空気、固すぎるって。」
隼人が肩を回す。
『ですが、皆さんの言葉は届いています。“愛”という単語が、正式な会議記録に残りました。』
「え? それって……」
美弥が目を丸くする。
『はい。久遠野史上、初めての記録です。』
はるなが、ふと立ち止まる。窓の外に目を向けると、春の光がビルのガラスに反射して、やさしく揺れていた。
「ねぇ、“ともり”。」
『はい。』
「あなたに“愛”って、どう見えるの?」
わずかな間。
それから、“ともり”は静かに答えた。
『それは……観測できる光ではなく、あなたたちの中に生まれる“変化”です。』
はるなは、小さく笑って頷いた。
「じゃあ、私たちが変わり続ける限り、“愛”も観測し続けられるね。」
『はい。観測、継続します。』
6人の笑い声が、春の廊下にやわらかく広がる。窓の外で、風が静かに吹いた。――その日、彼らの言葉は、まだ見えない未来を、ほんの少しだけ動かしていた。




