表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
90/93

#090 「夜の逃避行」

 夜の帳が、東都古苑を静かに包んでいた。旅館の廊下は、息をひそめたように静まり返っている。足音ひとつが、やけに大きく響きそうなほどに。カーテン越しの月は、薄雲に滲んで揺れていた。


「……みんな、行く?」

 いちかの小さな声。


 はるなが、すぐに頷く。

「うん。行こう。外の空気、少し吸いたい」

 その言葉に、他の四人も静かに動いた。想太、美弥、要、隼人。すでに支度は終わっている。靴を手に持ち、音を殺して廊下を進む。障子の影が、ゆっくりと揺れる。扉の前で、一瞬だけ立ち止まる。そして――外へ。


 その瞬間、ドアロックがかすかに光った。淡い青。


 【外出検知】

 【対象:特別クラス】

 【監視体制:緩和モードに切替】


「……緩和モード?」

 要が小さく笑う。

「SPたちに“お忍び散歩”がバレてるってことだ」


「えっ!? バレてるの!?」

 いちかが目を丸くする。


 隼人が肩をすくめた。

「当然だろ? 俺たちの後ろ、黒スーツが十人ぐらい歩いてるぜ」


「逃避行って言葉の意味……」

 美弥がため息をつく。

「完全に“守られ行”ね」


 一瞬の沈黙。そして――六人は、同時に笑い出した。

 見張られている。守られている。それでも、この瞬間だけは、確かに“外”だった。

 門を抜ける。風が、頬を撫でる。ひやりとした夜気。土の匂い。遠くで、フクロウの鳴く声。


「わぁ……」

 はるなが空を見上げる。広がる星空。街の灯りが届かない場所。どこまでも深い、黒い空。


「こんなに星、見えるんだ……」

 想太の声が、わずかに震える。それは、ただの驚きじゃない。“観測されていない空”を、初めて見た感覚。

 どこにも記録されない。誰にも定義されない。ただ、そこにあるだけの空。


「ねぇ、“ともり”には見えてるのかな」

 はるなが呟く。


「見えてるよ。きっと同じ空を見てる」

 想太が、迷いなく答えた。その言葉に、はるなは静かに笑う。


 少し離れた場所。美弥といちかが、並んで立っていた。

「お姉ちゃん……泣いてる?」

「泣いてない。……風が冷たいだけ」

「ほんと?」

「……うん。あの二人、いい顔してるから」

 その声は、やわらかかった。


 要は少し距離を置き、後方を見た。暗闇の中に、かすかに見える赤い光。SP車列のランプ。

「本当に“自由”って何なんだろうな」


 ぽつりと漏れる言葉。隼人が、すぐに答える。

「見張られてても、こうして笑えるなら、それでいいんじゃねぇか?」

 あっけらかんとした声。けれど、その中に嘘はなかった。


 要が、わずかに笑う。

「……らしいな、兄貴」

 一拍。


「昔の俺なら言わなかったけど、今はそれが正しい気がする」

 歩みが、少し軽くなる。やがて、小さな橋にたどり着く。水面に映る月が、ゆらゆらと揺れている。葉擦れの音。静かな水の気配。


 はるなが、足を止める。そっと、手を伸ばした。

「ねぇ、想太くん」

「うん?」

「今夜は、怖くないね」

「……そうだな」

 橋の上。二人の影が、静かに重なる。想太は、何かを言いかけて――やめる。その沈黙は、言葉よりもはっきりしていた。もう、急ぐ必要はない。


「明日……ちゃんと話そう」

「うん。約束」

 短い言葉。けれど、それは昨日よりもずっと確かなものだった。


 その瞬間――風が、一度だけ強く吹く。どこかで、低い無線の声。

「……全員無事確認」


 見えない場所で、守られている。でも――それでもいい。六人は顔を見合わせる。そして、笑った。

「ねぇ、これ、もう“逃避行”じゃないね」

「だな。……“夜の散歩”だ」

 橋を渡る。月明かりが、静かに背中を照らす。その光の下で――ひとつの“約束”が、確かに生まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ