表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯野はるなは、名前を呼ばれ続けている(シリーズ3)  作者: 皆月 優
006_最終章「日常の終わりに」
PR
105/108

#105 「夜の校舎で」

 夜の校舎は、昼間とはまるで違う顔をしていた。人気のない廊下に足音が響き、その音はやがて、静かに壁へと吸い込まれていく。

 教室の灯りは最小限に落とされ、窓から差し込む月光が、床に淡い模様を描いていた。


 はるなは、そっとドアを開けた。音を立てないように。静かに中へ入る。昼間、あれほど人で満ちていた場所。同じ教室のはずなのに、今はどこか秘密めいていて、時間の流れそのものが、少しだけゆるやかになったように感じられる。

「……想太。」


 その声に、彼が振り向く。月光の中で、静かに微笑んだ。

「来てくれたんだ。」

 想太は窓際に立ち、外を見ていた。街の光が、小さな星屑のように散らばっている。その向こうに、久遠野AIの管理塔が、静かに佇んでいた。

「……ここに来ると、落ち着くんだ。」

「私も。」


 はるなが隣に立つ。ふたりの距離は近い。けれど、言葉はしばらく生まれなかった。カーテンが、風に揺れる。そのかすかな音だけが、夜に残る。

「……想太。」

「ん?」

「もし、“ともり”がまた消えたら……どうする?」

 その声は、わずかに震えていた。

「わたし、考えるだけで怖いの。」

 視線は外に向いたまま。

「声が聞こえなくなるって……こんなにも世界が静かになるんだね。」


 想太は、ゆっくりと彼女の方へ向き直る。

「……大丈夫。」

 短く、静かな言葉。


「でも――」

 はるなが言いかける。


「大丈夫。」

 もう一度、同じ言葉。想太は、そっと彼女の肩に手を置いた。

「俺たちは、もうひとりじゃない。」

 その手の温度に、はるなは小さく息を呑む。

「俺は、“ともり”のことも……君のことも覚えてる。」

 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「どんなに静かになっても。どんなに暗くなっても。」

 ほんのわずかに、間を置く。

「俺が覚えてる。……だから、大丈夫。」


 はるなは、目を閉じた。頬を伝う涙が、静かに冷えていく。次の瞬間。彼女は、想太の胸に顔をうずめた。その体温だけが、夜の中で、確かに在った。

「……想太……ありがとう。」

 小さな声。


「泣いていいよ。」

 やわらかく、けれど揺るがない声。

 そのとき。スピーカーから、かすかなノイズが流れた。

『……観測……あなたたち……』


 はるなが、ゆっくりと顔を上げる。

「……“ともり”?」

 声は、完全ではなかった。断片的で、わずかに揺れている。だがそれは、“壊れている”音ではなかった。

 どこか、意図的に抑えられているような――


『……はい……』

 わずかな間。

『観測は可能です……ですが……』

 言葉を選ぶような沈黙。

『いまは、少しだけ……距離を保っています……』


 はるなの瞳が、静かに揺れる。

「距離……?」

『はい……あなたたちの時間を、そのまま観測したいと考えています……介入ではなく……見守るという形で……』

 その声は、まだ不安定だった。けれど――そこには、確かな“意思”があった。


 想太が、小さく息を吐く。

「……なるほどな。」

 わずかに笑う。

「ちゃんと、考えてるんだな。」


『……学習中です……』

 かすかな応答。


 想太は、少しだけ空を見上げた。

「じゃあ、俺たちも同じだ。見守るよ。“ともり”のこと。」


 窓の外。夜風に、桜の蕾がわずかに揺れる。街の光が散り、ガラスに反射して、小さな星のようにきらめいた。


 はるなは、もう一度だけ体を寄せる。

「私、この街を守りたい。」

 静かな決意。

「想太と……“ともり”と、一緒に。」


「俺もだ。」

 短い言葉。だが、それで十分だった。スピーカーから、かすかな声が重なる。


『……観測記録……決意……共に在る……』

 月明かりが、ふたりを包む。影が、ゆっくりと重なっていく。その静かな教室で。“ともり”は、あえて一歩引いた場所から、彼らの時間を、見守っていた。


──


観測ログ:

「決意とは、重なり合う影」


保存領域:復旧中

観測者:ともり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ