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大塔宮と万里小路藤房

大塔宮護良親王


帝より尊氏暗殺の密命を受けた大塔宮護良親王は、配下の者どもを使って何度も尊氏暗殺を計画するが、その試みはことごとく失敗した。

それは、あらかじめ三位内侍から情報を入手していた尊氏が、屋敷の警固や、御所へ伺候する際の護衛をより厳重にしたからである。

業を煮やした大塔宮は、令旨を発して諸国から尊氏討伐の兵を集めようとするが、その令旨は逆に尊氏の手に渡ったのだった。

令旨には、『帝の命により尊氏を討伐する』と書かれていたため、尊氏は後醍醐帝を脅迫した。

「どう落とし前を付けてくれるんだー」ってね。

困った帝は三位内侍に相談し、結局大塔宮に皇位簒奪を目論んでいたという反逆罪を押し付けた上で、真の被害者である尊氏に大塔宮の身柄を預けることになったのである。

大塔宮にとっては、正に踏んだり蹴ったりといった感じであろう。

父帝の命で尊氏暗殺計画を立てたというのに、それがバレたら思いもよらぬ罪を着せられて、結局鎌倉へ流罪となってしまったのだから。

「今となっては、尊氏・直義よりも帝が恨めしい」とは、大塔宮のまごう事なき本心であろう。

こうして、三位内侍は、自身の子に皇位を継がせるにあたって邪魔な存在である大塔宮の排除に、成功したのであった。

その時、新田義貞は何をしていたかというと・・・。

俺は、足利尊氏などの武家や高位貴族たちとの人脈作りに精を出していたかなあ。贈り物をしたり、パーティーを開いたりとかね・・・。

あとは、日元貿易や蝦夷地との交易を通じて、ひたすら銭を稼いでいたかな。

この銭を用いて、播磨では多数の南蛮船を、新田荘では反射炉を作るんだ。

それで、誰にも負けない、最強の軍隊を作り上げてくれようじゃないか。

えー、何だって?無実の罪を着せられた大塔宮を救うべきではないのか、だと?

ふーむ。いずれ足利直義に殺されるのを分かっていて放っておくのも寝覚めが悪いが、いまいち立場の弱い俺に何ができるだろうか。うーん・・・。


万里小路藤房


建武元年三月上旬。

今日も、俺は図書寮で図書新聞や筆記用具を作ったりしていたのだが、そこへ万里小路藤房がやってきた。藤房は、随分と憔悴した様子であった。

「藤房殿、お疲れの様子だがどうかなさったのか」

「ああ義貞殿、ご心配をかけたようで申し訳ない。最近の御政道の有様を見るに、何かせねばならぬのは確かなのだが、自身がどう動くべきなのか分からなくなってしまったのでな」

「えーと、未だ北条の残党が各地で蜂起していて世が定まらぬのに、帝は内裏を造営するために増税し、恩賞も不公平だと。全国各地から集まっていた訴訟人も、まともな沙汰が下されぬので本国に帰ってしまった。そして、帝自身は遊宴を重ねている。この状況を何とかしたいが、どうすれば良いか分からないということかな」

「まあ、そんなところだ。いくら諫言したところで、あの主上のご気性では聞き入れられぬのは明白。私は、中納言という職務を全うできぬのだから、職を辞して出家し修行の旅に出るしかないのだろうか」

「確か、論語では史魚(まっすぐな人)より蘧伯玉(臨機応変な人)が評価されていました(衛霊公第十五の七)。国が治まっている時は出仕し、国が乱れている時は才能を隠して世を退くことのできる人の方が良いということですな。ただ、孔子は身を引けと言っているが、世を捨てろと言っているわけではないのですよ。もし、遁世したくなるほど思い詰めているのであれば、我が故郷の新田荘にいらっしゃいませんか。ちょうど温泉街を作っている最中なので、そこで英気を養うのが良いでしょう」

「義貞殿、相談に乗っていただき感謝する。私の出処進退については、もう少し考えてみよう」

こんな感じで藤房は帰っていったのだが、あの様子では遁世して行方知れずになるのだろうな。

確か太平記によると、三月十一日夜に御所に参内した藤房は、帝に諌言した後、北山の岩蔵(京都府京都市左京区)に赴いて出家するんだったっけ。

うーん、優秀な人材である藤房を失うのは勿体ないよな。

よし、北山の岩蔵に先回りして、もう一度藤房を口説いてみることにしよう。

そんなわけで、万里小路邸に忍びを放って様子を探らせていると、果たして(建武元年)三月十一日夜に御所へ向かう藤房の姿が確認できた。

それじゃあ、俺は岩蔵に先回りしておこうかな。


「・・・・・・寒いな」

3月とはいえ、岩蔵の朝は寒かった。

忍びたちが用意してくれた茶を飲んで温まっていると、藤房がこちらにやってくるのが見えた。

「義貞殿、何故このようなところに居るのだ」

「この前、図書寮まで相談に来た際に様子がおかしかったので、忍びを用いて少し探っていたのさ。気に障ったのなら謝罪しよう。だが、藤房殿を世捨て人にしてしまうにはあまりに惜しいのでな。藤房殿は、主上に『①恩賞が不当』『②朝令暮改が続いていること』を問題点として挙げ、もし武家の棟梁となり得る人物が現れて朝廷と敵対することになれば、現状に不平不満を持つ天下の諸士は皆そのもとに集まると諌言したのでしょうが、主上は考えを改めなかったと、そんな感じですかな」

「あと、大塔宮にたいする不自然な処遇(罪名は皇位簒奪なのに、身柄は全く関係ない尊氏に引き渡されたこと)についても諌言したのだが、大体そんなところだ。ここまで主上に忠義を尽くしても無駄であるなら、世を捨てるより他あるまい。義貞殿は私の出家を止めようとしているようだが、私の決意は固い。無駄じゃぞ」

「うーん、藤房殿は孟子の言う外様の大臣の処し方を踏襲なされたのですかな。即ち、主君に大過あれば諫めるが、聞き届けられなければ辞職する、といった感じですかね。こういう生き方は潔いけれど、俺からすると不十分ですな。やはり、人として生まれたからには、社会の役に立つ人間にならねば意味がないのですよ。あと、藤房殿の身の処し方は儒教に基づくものだが、儒教に則った出処進退をしても天下泰平にはなりませんぞ」

「それはどういうことだ」

「清く正しい生き方を目指すのであれば儒教を学ぶ意味もあるだろうが、儒教に基づく政治、言い換えると徳有る者が統治すれば世界は丸く治まるというのは、ただの思い込みにすぎぬのです。現に、唐国(中国)では常に天下を取るのは武力を持つ覇者であって、覇者が喧嘩に勝った後『実は俺には徳が有ったんだ』と言っているだけではないか。国家運営に正解など無く、問題が発生すればその都度皆で知恵を出し合って対処するしかないのです。だから、(日本三忠臣の一人である)藤房殿には政権の中枢に居続けて欲しいと思っているのだが、人生に疲れてしまうこともあるでしょう。であれば、以前にも述べた通り気分転換に旅に出るのも良いかもしれませんな。もし新田荘に行くのであれば、そこで俺の代官をしている安藤聖秀に紹介状を書いて差し上げますよ。実は、新田荘では農業や工業技術を進展させるために、様々な実験を試みている最中なのです。俺は、農業生産性を向上させたり、様々な工業製品を生産・販売することで、日本を強くて豊かな国にしたいと思っている。そして、藤房殿にはその手伝いをして欲しいと思っておるのだが、どうだろうか。出家するのは、新田荘を見てからでも遅くはあるまい」

藤房は、『ふむ』と一言発して黙り込んだ。

「あとは・・・、大塔宮は明らかに無実でしょうな」

「やはり、義貞殿もそう思うか」

「恐らくですが、大塔宮は主上(後醍醐)から尊氏暗殺を命じられていたのでしょう。だが、その計画は尊氏に筒抜けで、大塔宮が逆に捕らわれの身となってしまった。尊氏は、黒幕が主上(後醍醐)だという証拠も得ていたはずです。怒った尊氏を宥めるため、全ての罪を大塔宮に着せてその身柄を尊氏に引き渡したのでしょうな。そうでないと、表向き大逆罪を犯したことになっている大塔宮の身柄を何故尊氏に預けるのか、意味が分かりませんからな」

「ふむ、大逆罪(後醍醐に謀反を起こすこと)であれば、大塔宮の身柄は朝廷が預かるべきだが、何故尊氏に引き渡されたのか。それは、尊氏が被害者だから、ということか!」

「まあ、俺の想像ですが、それほど間違ってはいないと思いますぞ。今後の大塔宮だが、恐らく混乱に乗じて鎌倉で暗殺されるでしょうな。俺は、無実の罪で人が死ぬのを見たくない」

「それについては、私も同意見だ」

「もし、藤房殿が大塔宮を救いたいのであれば、忍びを連れて新田荘に向かっていただきたい。俺が直義の立場なら、北条の残党が鎌倉を攻め落とす際に大塔宮を暗殺し、全ての罪を北条の残党に擦り付けるでしょうな。忍びを使って大塔宮を救い、新田荘へ連れ帰って欲しいのだ」

「関東における北条の残党は、鎌倉を落とすほど勢力が強いのか?」

「今や、建武政権への不平・不満が世に満ちております。ここで高時の遺児である時行が挙兵すれば、その勢力は五万騎以上となりましょう。戦下手な直義では相手になりませぬ。ただし、新田荘は来たるべき戦乱に向けて金山城の防御力を向上させておりますので、例え何万騎に攻められようと、守り抜いてご覧に入れましょう」

「ふーむ、義貞殿も建武政権崩壊が間近と踏んでおるのか・・・。そうだな、一度はそなたの言う通り新田荘に行き、大塔宮の様子を探るとしよう。ただし、救出が無理そうなら出家をして諸国放浪の旅に出るぞ」

「それでいいんじゃないでしょうか。おい、佐助はおるか」

「殿、ここに居ります」

「佐助よ。お前はここにいる護衛の半分を率いて、藤房殿と協力しながら、鎌倉の大塔宮を救出せよ」

「承知いたしました」

「これで、藤房殿の護衛と大塔宮救出の戦力は良いとして・・・。そうそう、言い忘れておりましたが、出家するなら禅宗をお勧めしますぞ。日常生活の様々な雑事をこなすこと全てが修行という思想は、国を強くするため(近代化)に必須ですからな。では、またご縁があればお目にかかりましょう」

俺はそう言い残すと、藤房に『安藤聖秀への紹介状』を渡してこの場を立ち去るのだった。


◇万里小路藤房視点◇

私は、建武政権に絶望していた。

天皇家は有徳の家系で、天皇が親政すれば世の中が丸く治まるはずではなかったのか。

朝令暮改と増税により人々は大混乱し、世には怨嗟の声が満ちておる。

このような世にするために、北条家を滅ぼしたのではなかったはずじゃ。

だから、主上に諌言して最低限の礼儀を果たした上で、世を捨てることにしたのだ。

そんな私に対し、義貞は日本を強くて豊かな国にするために協力して欲しいなどと言ってきおった。

本当に、左様な国づくりができるなら、私としても本望なのだが・・・。

あと、本当に無実であれば、大塔宮も救いたい。

あれほど帝に尽くした人物を、つまらぬ権力闘争で失うのは実に惜しいことだからな。

さて、中納言を辞して無職となった私に何ができるのだろうか。

時間だけはたっぷりあるが、その使い方には注意せぬと無為に過ごすことにも繋がりかねんからな。

とりあえず新田荘に行くとして・・・、そうだこれくらいはやらせてもらおうか。


『此頃都ニハヤル物 醤油 麦芽糖 夜討 強盗 謀綸旨』とは、かの有名な二条河原の落書(建武の新政当時の混沌とした世相を風刺した文書)であるが、最近以下のような落書が付け加えられた。

『天、句践を空しゅうするに非ず。范蠡有りといえども用いること能わず』と。

京雀どもは、万里小路藤房一人すら満足に用いることのできぬ建武政権の無能ぶりを批判するのであった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

句践:中国春秋時代の越の王。臥薪嘗胆の嘗胆の方の人で、強国の呉を滅ぼした。

范蠡:中国春秋時代の越の政治家兼軍人。越王句践を春秋五覇まで押し上げた最大の立役者。

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