その2
「これで配役は全部決まりってことで……いいな。月波。」
「月波。月波久子っ!」
「んあ?」
このときになって、おねえちゃんはようやく眠りからさめた。
「ほら、チャコ。呼んでるよ。」
となりの席の真紀ちゃんが、制服のすそをひっぱった。
おねえちゃんの寝起きはにぶい。あたまをふらふらと回しているうちに、ようやく事態がのみこめてきた。目のまえの黒板には、文化祭の芝居のスタッフ、演出監督やら照明、音響、衣装、大道具などの名前と、そして、舞台にあがる配役が書いてあった。
「ぐえっ!」
配役の中に自分の名前をみつけたときの声がこれだ。
おねえちゃんは立ち上がった。立ち上がったひょうしにつくえといすが、すごい音をたてて動いた。
「なに! なにこれ、『月の女神――月波久子』って! いつ決まったの!」
先生はため息をついた。
「たったいま、おまえが寝てるあいだにだ。」
「どうして? だれか推薦でもしたんですか!」
「推薦もなにも……、他の女子はみんな何か役についてるんだ。のこったのはお前だけだ。」
おねえちゃんは黒板に目をこらした。たしかに、みんなの名前が書いてある。ということは、みんな、おねえちゃんが眠ってるのをこれさいわいと、順々に目立たない役についていったにちがいない。のこったのは主役――『月の女神』だったというわけだ。
「ヒ、ヒキョーだよ、みんな!」
こういわれて、女子は視線をあわさないようにうつむいたが、男子はさわぎだした。
「やれよチャコ! 往生ぎわがよくないぞ!」
「名前が『月波』であってるじゃないか。」
「ちょっとケバい女神だけどな!」
どっ、と笑いがおこった。
成績のいい村田くんがめがねを上げながらいった。
「そもそもいねむりしてる方が悪いんです。」
そういわれては反論できない。おねえちゃんのピンチだった。この危機をのがれるすべはないものか……。
と、じっと黒板をみつめていて、おねえちゃんはあることに気がついた。これだ。これしかない。
「先生!」
「なんだ月波。」
「たしかに女子はみんな役が決まってますが、男子はまだ、何も決まってない人が何人かいます。」
クラスがざわめいた。
「男子ったって……残ったのは『月の女神』だぞ。男子は関係ないだろう。」
「いや、この配役はおかしい!」
おねえちゃんは黒板を指さして断定した。
「舞台に上がる役者のほとんどは女子じゃないですか。男子は裏方ばっかり。これはへんですよ。男女雇用機会均等法の精神に反すると思います!」
男子が怒り出した。
「決まっちまったもんに、文句をぬかすな!」
「男女雇用機会……なんて読んだことあるのかよ!」
「みぐるしいぞ、チャコ!」
また、成績のいい村田くんが立ち上がった。
「じっさい問題として残ってるのは『月の女神』でしょう? 女子……すなわち、きみがやるより仕方がないじゃないですか。」
ここでおねえちゃんの爆弾発言がとびだした。
「月の神さまが女だなんて、だれが決めたのさ!」
教室中があっけにとられた。
「ええ? 月の神さまを男にして、男子にやらせればすむことじゃない!」
沈黙があった。
しばらくして声が聞こえてきた。
「月っていったら……女神よねえ。」
「月は女だろ。」
「女だよ。」
「女だ。」
先生がおそるおそるいった。
「月波君。昔から月といえば、女神と相場が決まってるんだけど……。」
「そんなものは固定観念です!」
先生は引っこんだ。傍観をきめこむらしい。
一方で、仕事の決まってない男子たちに危機感がうまれた。へたをすると、自分たちにおはちがまわってくるかもしれない。
「月は女神に決まってるじゃないか。おまえ、何、馬鹿なこといってんだよ!」
「そうだそうだ。」
女子はただうつむいている。
おねえちゃんはそれを横目でみて、
「なにさ、女子にばっかりめんどうな仕事を押しつけて! いつもいつもあたしたちが迷惑してるってのが、わかんないの? 男子がやってよ男子が。月はおとこっ!」
「おんなだよ!」
「おとこっ!」
おねえちゃんは高等な戦術にでていた。女子のみんなはあきらかにおねえちゃんに後ろめたさをもっている。話のころがり方しだいでは、おねえちゃんの味方になるかもしれない。
だが、数人の男子を相手に反論するのは不利だった。おねえちゃんの口はしだいにろれつが回らなくなってきて、ときどきつっかえるようになった。
そのときだ。救いのチャイムが鳴ったのは。
先生が議論を打ち切った。
「あー、きょうは結論がでなかったので、このつづきは明日にする。」
「きりーつ!」