008
私の言葉に、二人は動きを止めた。
うーん、やっぱり信じてもらえないかな…。多分あの時雑巾持ってきてくれた校務員さんに話を聞けば真偽はつくと思うけど、広いお金持ち学校となればそれだけ雇う人数は増えるだろう。そうなると真偽をつけるのがまた明日に延びてしまう。既に一日経ってる以上、早く動き出したいところだけど。というかそのつもりで飲み干しちゃったんだよな……ティーポットからおかわりを注いでもいいかしら?
チラチラとカップとポットに視線を往復させていると、向かいから小さなため息が聞こえた。多分西門だろう。私は紅茶への心残りを振り切って二人を見る。
「水まで覚えてないが、少なくともこれに関しては……多分白鳥は嘘をついてないと思う」
「カズが同意するなんて珍しいね。ちなみに理由は?」
「俺は根の方を見てたから」
根の方?
「球根がついてたんだよ、あのチューリップ」
なんと!
西門の思わぬ慧眼に、私は心の中で小躍りしそうになった。西門が見たものが球根なら、これから私が話す仮説も随分と信じやすくなるからだ。
私は今度こそ立ち上がる。『わたとげ』世界の中の白鳥エリカはそれこそ眉目秀麗、頭もよいという設定であったけれど(こと悪事にかけての頭の回転が目立つものの、基本的に王子と武士、そして透子ちゃんに次ぐ成績を保持している、という設定なのだ)、中身は所詮元庶民の私である。そんな私が行き着いた結論なのだから、恐らくは西門や花山院にももう分かっているだろう。視線を向けなくても、二人が椅子を引いて立ち上がる音が聞こえた。
「花山院さま、この時期、学園でチューリップが咲いている場所はご存知ですか?」
◇ ◇ ◇
花山院の案内で行き着いた先は、当然とも言うべきか、学校の裏庭だった。
この学校自体はアルファベットのHの形に譬えるのが最も近い。それというのは、真ん中の横棒がHよりも長く太く、そして両端の縦の校舎は短い代わりに、塔のように天に向かって伸びている。横棒は学年と階が揃うように一年から三年の各教室が設置され、理科の実験や特別教室などは東西の塔に振り分けられている。なお、東の塔の頂点には豪奢な天文台が、西の塔の頂点にはその辺の市民ホールよりも各段に整った音楽ホールがある。まあ、演奏会なども多く開催されるから後者は分かるとして、天文台って使ってる人いるのかな? 私が知る限り、原作『わたとげ』で透子ちゃんと花山院がイチャついているところを西門が目撃したぐらいしか使用されている気配を感じないのだけれど。
それはさておき、豪奢な門構えと送迎の車が各家の令息・令嬢を下ろすためのロータリーと玄関は南側(つまりはHの下半分ってことだ。どうでもいいけど、私は小説を読んでいて東西南北であらわされるといちいち北海道や東京大阪がどちら側にあるか確認しないと分からないぐらい地理が苦手なんだけど、これ、私だけじゃないよね? ね?)、そして手入れの行き届いた花壇と噴水が設置されている裏庭は北側にある。温室は東塔からグラウンドや体育館を挟んだずうっと奥にあるから、ただ単に優雅に花を愛でたい生徒は裏庭に行くのが常だ。
それに、花山院が裏庭に行ったのは、多分私が考えている事と同じ事を彼も考えているからだと思う。
「やっぱり、この花壇みたいだね」
「ええ」
私達が足を止めたのは、ちょうど私達のクラス――一年A組から裏庭へと世界を通じさせる扉の脇にあった花壇だ。花壇に植えられているチューリップは他のものとそう変わっているようには見えないけれど、煉瓦造りの花壇の外の地面に、土が落ちたのかこげ茶に変色している部分があった。それによく見比べると、チューリップの半分はもう花が開きはじめているのに対して、残りの半分はまだ花弁をしっかりと閉じ合わせている。十中八九、この閉じ合った方の花は後から植えられたのだと思う。
「それにしても、良く見てたな。泥水だって」
「偶然ですけれどね。ただ雑巾が黒く汚れそうで掃除が大変そうだな~と思いまして」
「……雑巾が?」
「…………そんなことより西門さまこそ、よくあの状況で球根なんて覚えてましたね?」
「あー……まあ、ちょっとな」
なんだろう? と思ったところで、そういえばと原作の知識が蘇ってきた。
武道の名門・西門家の次男である西門だけど、本来西門家と血が繋がってるわけじゃないんだよね。いや、血が繋がってるわけじゃないというと語弊があるか? 当主であり西門の父の姉夫婦が本来は西門の両親だから、一応西門家の血は入ってるんだっけ。西門の両親は駆け落ち同然で西門家を出たから、小学三年生までは町の小さな花屋さんを営みながら生活していた。でもある日事故で二人が死んじゃったから、結局西門の家に引き取られる事になったらしいけど……元々武道の才はあったみたいだから西門家でも放っておく選択肢はなかっただろうしね。そうそう、それでおかしいなって思っていた謎が解けたんだった。この『わたとげ』世界のキャラには必ず“花”が何処かに入っているから。“花山院”、“花野井”、確か西門は引き取られるまでは“花菱”だった。ちなみに白鳥エリカに入ってない説は色んなところで考察がなされていたけど、私は実はエリカの名前はカタカナではなく“〇〇花”って名前なんじゃないか説を推してた。
まあそれはさておき、元々は花屋の息子として生活していた西門だ。そりゃ買ったものなら切り花なんだから球根なんてついていないはず。見慣れないものなら目も行くだろう。
とはいえ、そんな事を私――もとい、白鳥エリカが知っているはずはないので、深く突っ込むことは止めておく。私も雑巾のことなんて掘り下げられたくないしね。
「とすると、つまり犯人はこの花壇のチューリップを花瓶に入れたわけだよね」
「そうなりますわね。あと、花野井さまが仰っていたのですが……花野井さまが入れるまで、花瓶には水が入っていなかったようですわ」
「花だけを入れた、って事か?」
「ええ」
たったこれだけだけど、仮説を立てるには十分だ。
「わたくし、思うのですが……花瓶に花を生けた犯人は、急いでいたんじゃないかと」
「急いでいた?」
「時間に余裕があれば球根を処理するなり、もっとこう、“花瓶に生けるための花です”という処理を施すと思うんです。水を入れる事もそうですわね。けれどそれをしなかった。この場合、しなかった、よりもできなかったと考える方が自然だとは思いませんか?」
「だからといって、出来なかった理由は何なんだ?」
「それはまだ分かりませんわ。だけど、そうなると、犯人の目的は“花瓶を割って花野井さまに罪を着せる”ことでも、もちろんわたくしに罪を着せる事でもないように思うんです」
「……あ!」
そうか、分かったぞ! と言わんばかりに花山院の大きな瞳が見開かれる。
「白鳥さんは、花瓶に生けるために花を摘んだのではなく、花を摘んでしまったから花瓶に入れるしかなかった、と考えているんだね?」
私は、この日初めて、にっこりと微笑んだ。