信仰の極意
私が信仰してるものといえば……平沢進師匠ですかね。
完全に生き仏。
とか言いつつ信仰してるというよりただの一馬の骨であるというだけなわけですが。
若干出落ち感があるものの続けるとしますが、信仰する際に一番重要なのは『いかに自分であるか』ということなんじゃないかな、とか、思ったりしますね。
まず自分という軸があること。
それがなく信仰するのであればそれはただの狂信というか盲信というものじゃないのか、と。
全体としてみればそんなことはないだろうと思いますけど、一部の頭逝っちゃってる集団がテロっちゃってる印象があるイスラムとかの一部はまさにそんな感じがする。
あるいは、意味のない衝動に免罪符を求めるような行動は絶対に信仰ではないだろう、と。
要するに罪を犯すなら……人を殺すなら常にその責は全て自分で負うべきだろうというところ。
決して信仰に理由を求めてはならないと思います。
それって要するに自分の信仰に自分で糞尿をなすりつける行為でしかないと気付いて頂きたいところ。
他の誰より自分たちで自分たちの信仰と宗教を汚してるという残念感。
ぶっちゃけ行き場のない怒り的なものを行き過ぎた暴力で解消したいだけにしか見えない。
そんな馬鹿な行動をするからイスラム教というだけで苦しんでる他国のムスリムが生まれるんだろうに、と。
まあ、実際にテロやってる連中的にはそんな事実は『無い』んでしょうけども。
さて、テロリストについての私見は置いておいて、なぜイスラムにテロリストが多いのかということを考えるとすると……実はイスラムだからというのはあまり関係ない気がしますよねというところ。
確かに教義だとかを見ればイスラムは割と過激な部分はありますけどね。
改宗したら死刑とか、他宗教の偶像破壊は習慣的に支持されてるとか。
まあ、偶像排斥の方向の教義から考えれば他宗教とはいえシンボル的なものを嫌うからなんでしょうけども。
かと言ってイスラムも教義的には自殺を禁じてる訳で、そこをあえて拡大解釈するなら要するに他殺も禁じてると取れる。
要するに特別暴力的な宗教ではないんです。
若干過激ではありますけどね。
それでもテロリストが発生する背景として、近代の帝国主義からの影響があるんじゃないか、とか、文化的・経済的未発展地域で広く信仰されてるところに要因があるんじゃないかという部分がある。
自分の思考というものを明確化できるだけの思考力が育まれてない環境からテロ集団が発生するんじゃないか、と。
その上で、イスラムにおいて人間の頂点というものがいないことが後押ししてしまっているという点。
誰でも発起人になり得てしまうというところ。
そしてそれを抑える機能が宗教上存在しないところが大きいのかな、と。
例えばキリスト教なら教皇というのが階級上の頂点ですし、仏教も一応階級的あものがある。
ヒンドゥー教ならカーストがそこに当てはまりますかね。
要するに、現世におけるお偉い方がいる。
対するイスラムにはそれがない。
精々宗教的指導者がいるだけで、根本的に平等なんですよね。
それが、文化・教育的に未成熟な地域で広く信仰されてる。
テロ集団の発生の温床にならない訳がないですよね、と。
教義的に攻撃的な部分も他宗教より多めですし。
まあ、宗教を戦争だとか紛争だとかに利用しようとする時点で宗教者の仕業じゃないんだろうなぁと思いますけどね。
単に意図せず愚民政策的な状態になってしまっている集団を利用するのに都合がいいからイスラムの指導者を名乗ってるだけだろう、と。
だからこそ、信仰の上で大事なのは『いかに自分であるか』だと思うんです。
自分の力で思考できるなら、少なくとも騙される前に思索が挟まるはずで、それでも騙されるなら自己責任でしょう。
その思索がないからテロに歯止めが利かなくなるんだろう、という一面は少なからずあるはず。




