普通に今更感が酷い
どこぞの報道が主張を180度変えた内容になってるだとかどうとか。
よくありますよね。
というか昔からずっとそうじゃないか、と。
今更何言ってんのという感じ。
事実を突き詰めようと思えば、昔らか自分で情報を集めて精査して多角的に見ないとお話にならないじゃないですか。
どんなコンテンツでも、プラットフォームでも。
先週あったところでは『選挙のためならなんでもする』だとか。
ちょっと懐かしいところだと『女性は産む機械』だとか。
そういう危ない表現はしつつもそれを批判する内容だとか、主題がそこじゃないだとかそもそもそんな主張はしてないだとか、あったじゃない、と。
やらせだとか結果の捏造だとかも昔からじゃないですか。
何言ってんの、と。
というかバカ面晒しながら脳死状態で垂れ流された情報享受してるだけで正しい情報が手に入ると思ってるのがまず間違いというか、誰かに都合の良い偽報しか届かないことくらい考えなくてもわかるじゃないですか。
こういう話するとき、結局何よりの問題がお仕着せから脱却しようとしない消費者が多すぎる日本という国の先進国にあるまじき姿勢なんじゃないかなとか思う部分はある。
まあ、どこぞのお隣さん連中だとかメープル国だとか島流し国家よりマシかもしれませんが。
これはこれで酷いヘイトスピーチですけど。
と、言っても種類が違ってそこまで主張が激しいわけじゃないだけで日本がそれらの……言ってしまえば無思慮な人材が多い国とどう違うのかいと問いたい。
そもそも報道の自由というのは『放送する自由』じゃなくて『自分の好きな偏向報道をする自由』というヤツなんじゃないのとか思う部分もありつつ。
そういう意味では宗教とどう違うのか。
結局視野狭窄的な意味では一緒だろうと思うところ。
まあ、いうまでもなく無神論者の無宗教者な作者から言わせればですが。
そういう自由だと思ってない時点で前提段階から破綻してると思ってますけどね。
真に中立な報道というのは余すことなく事実を発信して一切の改変と編集の余地がないもの以外の何物でもないだろうに、と。
はっきりいうと、それで事業として成立するとは思わないんで偏向報道どうぞご随意にというところ。
消費者に求められるのは、何を選ぶかという選択だけじゃなくどう選ぶかという思索だということをまずはっきりさせておきたい。
自由には義務が伴うというか、リスクを伴うというか、そもそも複数間のやりとりが発生する片方だけがフリーダムにやっても情報として正しく処理できなくなるだけでしょシステム的に考えて、とか思うところ。
報道の自由があるように、消費者には常に選択の自由があるわけで、そこをセットで考えていない段階で報道の自由というのはお題目以外の何物でもなくなるという感じでは、と。
実際、日本のプラットフォームはもっと増えるべきだと思ってます。
同時にポータルもそうだしコンテンツもそうだし。
その溢れかえった情報の中から『何が選ばれるか』というのが消費者の選択であって、平たく言えば金が動く指標なだけでは、と。
結局情報発信の媒体って宣伝のツールでしかないですからねぇ。
そりゃ間違った情報だとかねじ曲がった情報が流れるのは当たり前では?
まあ、どれもこれも今更なんですけどね。




