価値とは
それを生み出すために命を削るのです。
なんて言ったりしてみたりしたりして。
面倒臭い言葉選びですけど当事者としてはまさにそんな心境だと。
私が価値を生み出すのです、と、言えるほどの自信というか、そう言えるくらい無知であればどれだけ幸せなんだろうか、と。
あらゆる活動が本来そうなんですが、特にプログラマというのは一定のレベルを超えると機械言語のそのレベルまで達するまで……というか、機械言語のレベルから現在主流で使われるレベルだとか今現在使ってるフレームワークだとか、そこまで達するにどれだけのものを作らないといけないかとかある程度(確信が持てる上に核心に迫るレベルまで)落とし込んで理解できてしまうんですよね。
そういう意味では、今自分が生み出してる価値というものがどれだけの屍の上に成り立っているのかなんて逆算できるけどする気も失せるくらい。
レベルが上がれば上がるほど、少し考えれば深く深く理解できてしまうはずなんですよね。
まあ、理解したところで『あざーっす』の一言なんだけども。
そういう先人のおかげで楽して価値を生み出す土壌ができてる。
いろんな意味でガチで『あざーっす』と、正直それしか言えない。
そして、プログラマが作ったものを使う人全てがそういう先人の叡智の恩恵をこれでもかというほど享受しているわけで。
まあ、だからって先人の全てに価値があったとはいえないんですけどね。
バッド・ノウハウなんてのの蓄積もやはり世代が進めば進むほど深刻化する話でもありますし。
もし先人に対する価値を表すとするなら、今現在このレベルまで達することができたのは間違いなくあなた方のおかげですという以外にない。
幾人も幾人もが積み重ねて蓄積してきたものを使わせてもらって、それで何世代もすっ飛ばして先の先のずっと先のより高度な解を得て遡ることができるこの幸運、とでも言えば良いですかね。
ある意味、今私が踏みしめている屍というのは無数なんですが、その無数の屍の内の一つが今生きて隣にいて、それに勝てるのかとか問われれば自信過剰に『余裕です』と答える。
むしろ一番天才なヤツ連れてこいよと。
それでもソイツを踏み越えてよりより高いレベルまで到達してやるぜ、と、思ったりします。
というか、そう思って全力を尽くすのが多分そういう先人たちへのなによりの供養になるんだと勝手に思ってたり。
過去があるから今があって未来があるんだ、と。
なら過去から今に吹っ飛んできた相手に今現在の現代最前線にいて負ける要素があるのか、と。
どこかの地点から切り取って、なんてことは不可能なんです。
なぜかって、『今』というそのステージがそもそもその過去の積み重ねの最大到到達点でしかないから。
だからより積み重ねて未来に進んで行くのです。
より、自分の目指す先に進んで行くのです。
見たこともないステージに進もうとする動力源って、そういうことなんじゃねぇかなって。
見たこともないステージに、もっと下の人たちがいたから到達できたんだってことというか、そういうの。
改めて言うなら、そういうことのために命を削るのです。
というか、命というのがあると実感した瞬間にリミットが突き付けられていて、そのリミットの中でより良い場所を求めるために命を削るのです。
それが結果的に今よりもっと未来で価値を認められるのかどうなのか、という話でしかないんだと思うんです。
誰よりも価値を感じるべきは自分で、自分が感じるべき価値のために生きるしかないんじゃないかと思うんです。