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真実ー1

 あまり眠れぬままユリは夜明けを迎えた。

 ユリは名簿でオリールの住所を調べると、家族が目を覚ます前に家を出た。

 雨は夜中のうちに上がり、蒸し暑い一日が始まった。

(すべてを知るんだ。何を言われても大丈夫。覚悟はできている)

ユリは一度振り返り、家を見上げた。

(帰ってこられるよね)

ユリは大きくうなずくと、再び歩き始めた。

 三十分ほど歩くと、ユリはようやくオリールの家についた。オリールの家は木造のカナダからの輸入住宅であり、ユリは若干の懐かしさを感じた。

(いよいよだ)

ユリは恐る恐るインターホンを鳴らした。

「どちら様?」

玄関が開くと、オリールが顔を覗かせた。

「おはよう」

「や、やあ。こんな朝早くどうしたの?」

ユリが頭を下げると、オリールは一瞬目を泳がせた。

「ユリだけれど、シェリー博士はいる?」

オリールがユリかサクラか迷っているのを察すると、ユリはすぐさま名乗った。

「あ、ああ。研究室にいるよ。 ……どうぞ」

オリールはユリを中に招いた。ユリは微笑みながらうなずくと、家の中へと入っていった。

「研究室は地下にあるんだ」

オリールが話しかけてもユリは顔を強張らせたまま返事をしなかった。

「おじいちゃんにどういった用で来たの?」

「尋ねたいことがあって来たの。悪いけれど、部屋に入ったら席を外してもらえる?」

ユリの言葉を聞くと、オリールは寂しそうな表情を浮かべた。

「ごめんね」

ユリは自分の接し方が冷たいことに気づいて、穏やかな顔で詫びた。

「ううん。わかった」

オリールは笑顔で答えた。

 オリールに案内されると、ユリは研究室のドアの前に立った。

「じゃあ、俺はリビングにいるから、何かあったら呼んで」

「うん。ありがとう」

オリールはユリが思いつめた顔をしているのを気がかりに思った。しかし、そのことを問うことはなく、オリールは階段を上っていった。

 ユリはドアの前で大きく深呼吸すると、ドアを叩いた。

「オリールか?」

「いえ、メル・レウシアの娘ユリです」

ユリが答えると、少し間が空いた。

 研究室のドアが開くと、シェリーが顔を出した。

「入りなさい」

ユリは深くうなずくと、鼓動を高鳴らせながら中へと入った。

 研究室の真ん中には大きめの机があり、周りは多くの本で囲まれていた。

「何の用だね?」

シェリーは研究室の中を物珍しげに見ているユリに対し、冷たい口調で尋ねた。

「お忙しいところすみません」

「構わない。それより何の用だね?」

シェリーは常に冷めた表情でユリを見ていた。ユリは嫌でも自分が好かれていないことを察した。

「私の前に現れたとき、もうすぐだ、もう終わると言いましたね。あれはどういう意味ですか?」

ユリは単刀直入に尋ねた。

「両親には聞かなかったのか?」

「ええ。両親はこの手の話を拒みますので」

シェリーはため息をついた。

「愚かだな」

呆れ顔で首を振るシェリーの前でユリは首を傾げた。

「お前の両親には私からは何も告げないと約束してあるのだが……」

シェリーはユリの覚悟を決めた目を見ると、いいだろう、と小さくうなずいた。

「己のドッペルゲンガーを見た者は数日のうちに死を迎える。これはショックを受けたことにより、精神がおかしくなることが原因であると思われる。と、なればその者の精神力によっては死なない人間や数年後に死ぬ人間もいる。おそらくこのような人物はドッペルゲンガーとは関係のない死を迎えるのであろう」

「死なない人間?」

ユリは期待に胸を膨らませた。このまま一緒に暮らせるのではないかとさえ思った。

「お前たちのように一緒に暮らすという事例は未だなく、私はサクラを失ってからも興味本位で研究を続けた。この現象をオートスコピィ、すなわち自己像幻視という精神病の一種とする考えもあれば、超自然的現象とする考えもある」

シェリーは分厚い資料を取り出し、机の上に置いた。

「概念的な面にも惹かれたが、私が最も惹かれたのは、ドッペルゲンガーは十五年をめどに消滅するという説であった。精神病の治癒される期間を指すのか、超自然的現象が自然に還ることを意味するのかはわからないが、ドッペルゲンガーを見て生き延びた人間は初めてそれを見たときから十五年以降、それを見ていないという」

シェリーは資料を開き、ユリに見せた。ドイツ語で書かれたその資料をユリは読み取ることができなかったが、添付されている双子のような写真を見て胸騒ぎがした。

 突然研究室のドアを叩く音がした。

「オリールか?」

「博士、レウシアです」

ユリはその名を聞くと、思わず目を泳がせた。

「入りなさい」

博士が返事をすると、間もなくドアが開いた。

 息を切らせながら部屋に入ってきたレウシアは悲しい顔をしていた。

「なぜ黙って博士を訪ねた?」

「パパたち、嫌がるでしょう?」

レウシアは呼吸を整えながら深くうなずいた。

「もちろんだ。お前たちは知らなくて良いことがたくさんある」

「それが愚かだと言うのだ。当人に隠し通せる訳なかろう」

シェリーは口を挟んだ。

「話の続きをお願いします。本当にどちらかが消えないといけないのですか?」

「正しく言うならば、ドッペルゲンガーが消えるか、本人が消えてドッペルゲンガーの行方はわからなくなる」

シェリーは続けて言うと、ユリは首を傾げた。

「わからなくなる?」

「ああ。消えるか、この世を彷徨うか。 ……幽霊とはその姿を言うのかもしれないな。 どちらにしてもドッペルゲンガーは直に消えるのだろう」

レウシアは納得できず、何度も首を振った。

「もういいだろう。ユリは帰りなさい」

ユリがレウシアの言葉に耳を貸すことはなかった。

「ドッペルゲンガーとは元々在るべき者ではない。私はドッペルゲンガーが消えるべきであると思うがね」

「なぜ在るべき者ではないと決め付ける? 存在したからには意味があるはずだ」

レウシアは怒鳴るような口調でシェリーに言い放った。すると、シェリーは呆れ顔で首を横に振った。一方でユリはレウシアの言葉に胸を打たれ、瞳に涙を溜めていた。

 長い沈黙が続いた。空気が重くなり、ユリは最も問いたかったことを聞き出せずにいた。

「とにかく、私はどちらも消えずに済む方法を探します。博士、何かわかったら連絡ください」

沈黙を裂くように言うと、レウシアは深々と頭を下げた。

「愚かだが、愛弟子の頼みだ。いいだろう」

シェリーは深くため息をつきながら答えると、資料を棚に戻した。

「行くぞ、ユリ」

レウシアはユリの手を掴むと、強引に部屋を出ようとした。しかし、ユリはその手を振り払い、シェリーの背中を見つめた。

「博士」

ユリのうわずった声を聞くと、シェリーはゆっくりと振り向いた。

 ユリは口をまごつかせた。自分の存在自体を問うことはユリに恐怖と不安を与えていた。

「……わ、私がドッペルゲンガーですか?」

ユリはやっとの思いで一言口にした。

 時間が止まったように、静寂が辺りを包んだ。

「バカな……」

「サクラではなく、私がドッペルゲンガーですか?」

ユリは張り詰めた糸が切れたように涙を溢しながらシェリーに尋ねた。

 シェリーはレウシアの顔を窺った。レウシアはユリの死角ですがる様に首を横に振った。

「誕生日辺りから時々ご飯の味がしないの。自分の手を抓っても痛くないの。雨に濡れても冷たくない。小学校三年生より前の記憶もない」

ユリはその場で座り込んだ。

「レウシアよ。真実を教えてやることがこの娘の救いになるとは思わないか?」

シェリーはユリに歩み寄った。レウシアはその横で静かにうつむいた。

「お前がドッペルゲンガーだ」

シェリーはユリの肩に手を置き、冷静な表情で答えた。それと同時にレウシアは悔しそうに歯をかみ鳴らした。

「サクラに会ったときの記憶は? パパたちはサクラに向かって、サクラがドッペルゲンガーだって……」

「おそらく、それはお前が自分の都合が良いように作り変えたものだろう。よく思い出してみるといい」

ユリは両手を床につき、涙を溢しながらサクラを家に招いた時のことを思い出した。


『あれはサクラが三歳のときだった。サクラとサクラに瓜二つの子供が公園で……』

『……私たちはサクラを使ってその子を博士の研究室へ誘導すると……』


ユリは自ら歪曲した記憶の真実を知った。

「サクラは知っているの?」

「幼いときのサクラの記憶は、特殊な装置で作り変えたが、五年前にすべての記憶が戻ったそうだ。他の記憶はお前が勝手に歪曲しただけだしな。 ……研究のためとはいえ、あの子には悪いことをした」

シェリーは遠くを見つめた。

「なぜサクラを隔離したの? ドッペルゲンガーである私を調べたほうが……」

「最初はそのつもりだった。しかし、お前からは何も出てこなかった。細胞やDNAはおろか、血さえでなかったのだ。実体はあるが存在はしない。そんな者をどう調べればいい?」

ユリは転んでも血を流した覚えがなかった。すると、一瞬で血の気が引いた。

「しかし、不思議な存在だ。肉体のようなもので形成され、涙のようなものが分泌されている。 ……それは水か?」

シェリーは胸を弾ませながら分析をしていた。

 レウシアは居ても立ってもいられなくなり、ユリの体を抱き起こした。

「ユリ、帰ろう」

ユリは穏やかに微笑みかけた。

「パパ、ごめんね。でも、安心して。 ……私が消えるから」

「バカなことを言うな。これからも今までどおり暮らすんだ。さあ、帰るぞ」

レウシアが怒鳴ると、ユリは真っ直ぐ涙を流した。

 レウシアはユリの手を強く握ると、研究室を出て行った。

(パパ、ごめんね)

ユリは繋いだ手の温もりを感じることができず、また、強く握られた手が痛く感じなかった。


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