別れー1
翌朝、ユリは一番に目を覚ました。
ユリは薄暗い部屋の中、サクラを起こさないよう、静かにベッドを抜け出した。そして、階段を下りていった。
(ママもまだ寝ているかな?)
ユリはキッチンを覗いた。そして、誰もいないことを確認した。
「よし、今日は私が朝食を作ろう」
ユリは小声で言うと、冷蔵庫を開いた。
ユリは普段料理など全くしないため、一度くらい自分の作った料理を最愛の人たちに食べてもらおうと思った行動である。
できあがった朝食を食卓に並べると、ユリはフライパンを片手に廊下へ出た。
「朝だよ。みんな起きて」
ユリは力一杯フライパンを叩きながら声を張り上げた。
皆は何事かと部屋を飛び出てリビングへと向かった。すると、食卓にはフレンチトーストとハムエッグ、グリーンアスパラを主体としたサラダと蘭がいつも作るものと変わらない朝食が並べられていた。
「ユリが作ったの?」
「うん。味覚はないから味の保障は致しません」
ユリは鼻を掻いた。蘭はレウシアと目を合わせると、若干瞳に涙を浮かべながら微笑んだ。
「さあ、食べよう」
ユリは手を一つ鳴らした。そして、紅茶を入れに、キッチンへと向かった。
ユリが紅茶を差し出すと、皆揃って朝食を摂った。
「どう?」
ユリは皆の顔を窺った。
「うん、おいしい」
サクラは満面に笑みを浮かべて答えた。すると、他の三人も大きくうなずいた。
「やったあ」
ユリは小さくガッツポーズをとった。
他愛ない話をしながら、朝食は終始和やかに進んだ。
朝食を終えると、ユリは蘭と一緒に食器の後片付けをし、レウシアとサクラは出かける支度をし始めた。
片づけを終えると、ユリも出かける支度をした。
(……さて、行こうかな)
ユリは支度を終えると、部屋を出た。そして、皆が待つリビングへと向かった。
ユリが玄関のほうに目を遣ると、外にはすでにタクシーが停まっていた。
「じゃあ、行こうか」
リビングに皆が集まると、レウシアは穏やかな口調で言った。
「うん。行こう」
ユリは微笑みながら答えた。サクラと蘭もニコリと笑いながらうなずいた。
「……俺は残るよ」
オリールはゆっくりとうつむいた。
オリールの言葉を聞き、ユリはオリールのほうを見た。
「オリール?」
「……俺は行けない」
オリールは目を泳がせ、決してユリのほうを見なかった。
(オリール……)
ユリはオリールが何かを隠しているように見えた。直感的にこの先にある結末を知っているように感じた。
「うん、わかった」
ユリはいつものように明るく振舞った。
ユリは家族のほうを向いた。
「みんな、先に車に乗っていて」
「あ、ああ。わかった」
ユリが言うのを聞くと、三人は何も聞かず車に向かった。
ユリはオリールの目をまじまじと見た。
「博士は何を見せようとしているの?」
ユリは静かに尋ねた。
「おじいちゃんが亡くなったとき、ユリが本当にドッペルゲンガーなら消えるべきだと思ったんだ」
オリールは黙ってうつむいた。
「私、やっぱり消えるの?」
「でもそれは一時の感情。ユリが何の者であろうと関係ない。どんな形でも構わない。今は生きていて欲しいと思う」
「生きて欲しいか……」
オリールは言い訳するように言葉を並べた。
(私、消えるんだね)
ユリは自分が消えることを確信した。
ユリはうつむき、口をつぐんだ。
ユリの心は激しく揺れ動いていた。
『一人のためにすべてを犠牲にするのか?』
シェリーのドッペルゲンガーが放った言葉が脳裏をかすめた。
(私はサクラに生きていて欲しい)
ユリは深く息をつき、大きくうなずくとオリールにゆっくり歩み寄った。
ユリはオリールを優しく抱きしめた。
「今までありがとう。 ……さようなら」
ユリの言葉にオリールは思わず涙を溢した。
振り返ることなく立ち去ろうとするユリにオリールは必死に手を伸ばした。しかし、その手はユリの体をすり抜けた。
(ユリ、行かないで。俺は君が…… 好きなんだ)
オリールの口からは言葉が出てこなかった。オリールはその場で膝をついた。ユリは二度と振り返ることなく、家を出て行った。
ユリがタクシーに乗ると、皆は昔暮らしていた家へと向かった。
「大丈夫?」
サクラは走る車の中で、悲しさにうつむいているユリに声を掛けた。
「うん」
ユリは必死に涙を堪えた。
(オリールと何かあったのかな?)
サクラの疑問は言葉にされることはなかった。
車で二十分ほど走ると、ユリたちが住んでいた家が見え始めた。
「懐かしいな」
ユリは哀愁漂う表情で家を見つめた。
家に着くと、皆はタクシーから荷物を降ろし、レウシアは玄関の鍵を開けた。そして、ドアを開くと、中へと入っていった。
「……おかしいな」
レウシアは入って早々つぶやいた。
「何が?」
ユリは大きな荷物を引きずりながら尋ねた。
「五年以上放っておいたのに埃がほとんど溜まっていない」
確かに家の中は毎日掃除されているかのように綺麗であった。
「博士が入ったんじゃない? 私たちへここに来るよう言ったのは博士なのだし」
サクラはレウシアの顔を窺った。
「博士は鍵を持っていない」
レウシアは納得のいかない顔で答えた。
(……博士は私たちに何を見せようとしているのだろう)
レウシアは疑念を抱きながら家へと上がった。
皆がリビングに集まると、そこには誰かが住んでいるような生活感があった。
「どういうこと?」
蘭とレウシアは目を見合わせた。
「家の中を見てくる。みんなはここにいるように」
レウシアはソファーの上に荷物を置くと、部屋の一つ一つを慎重に見て回った。しかし、人影一つ見当たらなかった。
レウシアがリビングに戻ると、テレビの前にあるテーブルに紅茶が用意されていた。
「どうだった?」
蘭は不安気な表情で尋ねた。
「誰もいなかったよ」
レウシアはソファーに座った。
「もういいじゃない。もともと不思議な家族なんだし。家だって不思議になるよ。それより、今はみんなで一杯話をしたい」
ユリは笑いながら言った。
「そうだね」
レウシアは深く息をつくと、いつものように穏やかな表情を浮かべた。そして、ユリの頭を撫でた。
皆はユリが持ってきたアルバムを見ながら、思い出話に花を咲かせた。
「でね、この写真。中学のときなんだけれど、未久って子がいて……」
ユリは確かに自分が存在したことをかみ締めながら話をした。
陽が暮れ、夕食を済ませてもユリの体には特別な変化は見られなかった。
「博士はなぜ私にここへ来るよう言ったんだろう?」
ユリは誰もが思っていた疑問を口にした。
「悔いのないよう最後にみんなと同じ時間を過ごせってことかな?」
「最後なんて言わないで」
続けて言うユリに対して、サクラは今にも泣き出しそうな声を上げた。
サクラはユリの肩を掴もうとしたが、その手はユリをすり抜けた。体が透ける頻度が多くなっているのを感じ、ユリは間もなく自分が消えることを確信していた。
他の三人は言葉を失った。
「……ごめんね。私、疲れているみたい。先に寝るね」
ユリはアルバムなどをテーブルに残し、自分の部屋へと向かった。
サクラたちは何も言えず、今にも消えそうな愛しき者の背中を黙って見つめた。
ユリは二階にある自分の部屋に戻ると、ベッドに潜り込んだ。
(私はあと何日生きていられるのだろう? ……生きていられる?)
ユリは何度も首を横に振った。
(何日存在していられるのだろう? そもそも私は存在しているといえるのかな?)
ユリはいくつかの問いを頭に巡らせた。そして、気づくと眠りに就いていた。
陽がまだ上がりきらない頃、ユリは体を揺すられた気がした。
(ユリ、おかえりなさい)
(ユリ、一緒に還ろう。 ……早いほうが良い。今晩にでも還ろう)
ユリの頭に聞きなれた声が響いた。
ユリが薄目を開けると、目の前にはレウシアと蘭の姿があった。
「どこへ行くの?」
ユリが尋ねると、レウシアは黙ったまま穏やかに笑いユリの頭を撫でた。
ユリはしっかりと目を開いて周りを見た。しかし、そばには誰一人いなかった。
(夢?)
ユリは一息つくと、糸の切れた人形のようにパタンと再び眠りに就いた。
フライパンを叩く音を聞くと、ユリは眠い目を擦りながらリビングへと向かった。
「ママ、今日の朝方、私の部屋に来た?」
ユリはキッチンにいる蘭に尋ねた。
「いいえ、行ってないわよ」
蘭は首を傾げながら答えた。
(やっぱり夢か)
ユリは深く息をついた。
「さあ、ご飯を食べましょう」
「はーい」
ユリは席につくと、先に起きていたレウシアと共にサクラが起きてくるのを待った。
「サクラ、いい加減起きなさい」
蘭が声を上げると、一階にある客間のドアが勢いよく開いた。
「はい、起きているよ」
サクラは急ぎ足でリビングに向かった。いつもの光景にユリとレウシアはクスクス笑った。
(幸せってこんなに身近なものなんだ)
ユリはレウシアが何故毎朝嬉しそうに笑っているのかわかった気がした。
皆が揃うと、朝食を食べ始めた。
「朝食が終わったら公園に行きたいな」
ユリは三人の顔を窺った。
「そうだね。天気もいいことだし、みんなで行こうか?」
「じゃあ、お弁当を作って行きましょう」
レウシアと蘭は笑顔で答えた。
「じゃあ、私たちもお弁当作りを手伝うね」
ユリとサクラは互いの目を見てうなずいた。
朝食を終えると、皆で朝食の片づけをしながら、同時に昼食を作った。
準備が整うと、四人は一秒をも惜しむように家を出た。
四人は鼻歌を歌ったり、時折手を繋いだりしながら、公園へと向かった。
森林に囲まれ、中央には大きな池がある。公園は十年前と何一つ変わっていなかった。
ユリとサクラは公園に着くとブランコや滑り台など当時の遊びをしながら、二人の出会いを思い返した。
「ここでサクラと出会ったんだよね」
ユリは一本の木の下で立ち止まった。
「私の記憶、合っている?」
「うん。それで、一緒にブランコまで行ったんだよ」
サクラは小さくうなずいた。ユリはサクラが消えてブランコに移動した記憶が偽りだと知った。
「何が真実なのか、私にはわからない。でも、私がみんなと家族であったこと、みんなと暮らしたことは真実、だよね?」
ユリは確認するようにサクラの顔を覗き込んだ。
「ああ、間違えない。ユリは私の娘であり、私たちの家族だ」
後から歩いてきたレウシアは二度ユリが迷わないようにしっかりと答えた。
「よかった」
ユリは安堵の表情を浮かべるとともに涙を溢した。
風が木の枝を揺らし、擦れあう葉の音が静かな公園に響き渡った。
「ユリ、ブランコに乗ろう」
サクラは静寂を切り裂くようにユリの手を引いて駆け出した。
ブランコに滑り台と二人は再度昔を思い出しながら遊んだ。
「あの時、公園へサクラを迎えに来たのがシェリー博士だったんだね?」
「うん。 ……私たち、出会わないほうがよかったのかな?」
ユリは大きく首を横に振った。
「ううん。私はサクラに出会えてよかった。多くの思い出ができたし、多くのことを考えることができた。人として生きることができた」
ユリの言葉にサクラは目を潤ませた。
(ユリは人だよ)
喉まで出掛かった言葉をサクラは飲み込んだ。
「ユリ、サクラ、ご飯にしましょう」
「はーい」
ユリはサクラに微笑みかけると、両親が待つ木の下へ走っていった。
(私、幸せだ)
ユリは優しく微笑む両親のもとへ一生懸命駆けていった。
昼食を終えると、四人はしばし日向ぼっこを楽しんだ。そして、今度は四人でフリスビーなどをして遊んだ。
「……さて、そろそろ帰ろうか」
「そうね。夕食の仕度をしないといけないし」
両親は汗を拭いながら言った。
「私たちも夕食の手伝いをするね」
ユリとサクラは息を切らす両親を見て、クスクス笑った。




