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音楽室

 恵輔は友人と別れ、ピアノの音をたどっていく。校内にあるピアノなど限られている。当然ながら、音楽室である。

 西校舎北階段を上がればすぐ音楽室である。

 すこしだけ扉を開けて覗くと、茶色味かかった髪が見えた。顔はよく見えない。視線をずらすと、一番前の机の上に見覚えのある手提げ鞄が見えた。恵輔は鞄の中に水色の傘が入っているのを確認して、扉をノックした。

ピアノの音が止まる。

恵輔は返事を待たずに扉を開いた。


 驚いた表情でこちらを凝視している志穂を見て、恵輔は申し訳なくなった。そんなに驚くとは思わなかったのだ。

 「ごめんね。驚かしたみたいだね。大丈夫?」

 鞄を持ったまま志穂に近づくと、彼女は大きく息を吐いた。胸に手を当てて笑う。

 「あぁ、びっくりした。急にノックが聞こえてドアが開くんだもん。心臓止まるかと思った。」

 まだドキドキしてるといいながら深呼吸を繰り返す志穂に、恵輔は無意識に手を伸ばした。茶色味かかった髪は見た目通り柔らかかった。三つ編みにしないで下ろせばいいのになどと思いながら、志穂の頭をなでていると……。

 「あの、先輩?」

 声を掛けられて 恵輔は我に返った。がたんと音を立てて離れる。

 「ご、ごめん。触り心地良かったからつい…いや、本当にごめん。」

 途中云わなくても良いことを口走り口元を押さえ、とにかく謝る。顔が赤くなっているのは鏡を見なくても判っている。

 「……顔赤いですよ。やっぱり昨日の雨で風邪を引いたんじゃないですか?」

 志穂は立ち上がり、恵輔の顔をのぞき込む。

 恵輔はさらに一歩下がり、慌てて首を振った。

 「だ、大丈夫。なんでもないから!」

 志穂は首をかしげて見上げてくる。恵輔はその顔を直視できなかった。『可愛いい』口から出そうになった言葉に愕然とした。どうしたんだ、僕は、答えは出なかった。


 気を取り直して、恵輔は鞄から借りた傘を取り出し、手渡す。

 「昨日はありがとう。助かったよ。」

 「どういたしまして。」

 志穂はにこりとして傘を受け取り、荷物の方に歩いて行った。恵輔はその後に続いて、鞄から小振りの紙袋を取り出し、傘を手提げバックにしまっている志穂の脇から、通学鞄の上に置いた。水色の可愛らしい紙袋を見て首をかしげ、恵輔を不思議そうに見上げる。

 「お礼。美味しいか判らないけど、母と焼いたから。」

 ちょっと視線が泳いだのは、気のせいにしたい。

 「…開けてもいいですか?」

 頷くと志穂はそっと中を覗き、可愛らしいウサギ型のクッキーを取り出した。甘い香りが漂う。ぱくりと一口かじって笑みを浮かべる。

 「おいしい!これ、先輩の手作りですか?!」

 「ほとんど母が作ったんだけどね。僕は少し手伝っただけ。」

 苦笑いしながら恵輔が応えると、志穂は「それでもすごい」と云いながらもう一枚取り出している。今度はネコである。

 「晧君にも分けてあげてね。」

 「えぇ?なんかもったいない。」

 振り返った表情が少し不満げで恵輔は笑った。茶色の頭をぽんぽんとたたいて云う。

 「気に入ったなら、また作ってくるよ。それはお礼だから、晧君にもあげてね。晧君がいなかったら、僕は傘を借りなかったよ。」

 「…それなら、仕方がないですね。コウくんにも分けてあげることにします。」

 紙袋に封をして手提げバックにそっとしまうのを見て、恵輔はピアノに近づき楽譜をのぞき込む。見たことのない数のオタマジャクシが五本線の上を泳いでいた。

「先輩もピアノ弾くんですか?」

 「いや、まったく。楽譜も読めないかな?」

 志穂は軽い足取りで近づいてきて、ピアノの前のいすに座る。

 おもむろに鍵盤をたたき出す。流れるような指使いで、なめらかな調べを奏でだした。

 恵輔はその調べに引き込まれていった。

 

 余韻を残して音が消えると、恵輔は拍手した。

 「すごい。僕は音楽については良く解らないけど、今のは心に染みいるっていうのかな、うまくいえないけど、すごく良かったよ。」

 志穂はいすから立ち上がり優雅にお辞儀をして、恥ずかしそうにわらう。

 「ありがとうございます。そう言ってもらえて、すごく嬉しいです。」

 笑顔がとても可愛い。たぶん、と恵輔考える。

 

 ……妹ってこんな感じかな……


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