帰り道
夕方の音楽室で、恵輔と志穂は立っていた。何となく言葉もなく見つめ合う。言葉はなくても、沈黙が心地よかった。
「佐々宮さーん、そろそろ終わりよー。かたづけてね。」
いつの間にか、音楽教師の連城が室内に立っていた。二人はびくりと飛び上がる。別に悪いことをしていたわけではないが、何となく気恥ずかし気分だ。
連城は何も気づかなかった様子で、恵輔に近づいてきた。
「四条君、佐々宮さんと知り合い?」
片付けている志穂を眺めていると連城が小さな声で話しかけてきた。
必要以上に近い気がしたため、恵輔は一歩下がる。
「昨日からです。」
その態度に連城は片眉を上げて、上目遣いに恵輔と見つめるが、すぐに志穂に視線を向けた。つられるように恵輔も再び志穂を見つめる。
「彼女、すごいのよ。ジュニアでは全国で五指に入るピアニストよ。もうすぐコンクールなの。優勝候補ね。」
驚いて振り返ると連城は人が悪そうに笑う。
「あなたなら、手を伸ばす?」
恵輔は眉を寄せる。何が言いたいのか、解らない。
「どういう意味です?」
意味がわからず問い返すと連城は肩をすくめた。
「……ま、いいわ。佐々宮さん、テスト勉強はしているの?」
今度は志穂に話しかける。志穂はピアノのカバーを掛けながら、こちらを振り返った。
「…ほどほどには、やっています。」
応えながら、目が泳いでいるのは恵輔でも判った。入学して初めてのテストだ。勝手もわからないだろう。
「あなたにとって、ピアノは大切なのでしょうけど、他にも大切なものがあると思うの。」
「……大切なもの?」
志穂は不思議そうな表情をして、呟くように尋ねた。連城はその顔をのぞき込むようにはっきりと言う。
「それはあなたが、見つけるの。あなたもよ、四条君」
そのまま振り返り、恵輔にむかってビシリと指を突きつけた。そして、にっこり笑う。
「さ、二人とももう帰りなさい。もう六時になるわよ。」
恵輔は志穂の顔を見た。キツネにつままれたかのような表情をしている。きっと、自分も同じ表情をしていると思った。
昨日と同じく駅までの道を志穂と二人で歩く。しかし、今日は初対面の昨日よりも会話が無かった。恵輔がちらりと見下ろすと、なにやら真剣が表情で考え込んでいる。
恵輔は車道側を歩きながら、そっとしておくことにした。交通量はそれなりにあるが、自分が気をつけていればいいだけのことだ。
この学校は一年の時は芸術科目として『音楽』『美術』『書道』から一つを選択することになっている。二年になると芸術三科目の他に『世界史』『生物』を合わせた五科目から選択することになる。
恵輔は音楽の授業を選択したことがないため、音楽教師の連城とは親しく話をしたことは無かった。二十代後半だろうと思われるが、スタイルも良く、どちらかと言えば美人の類に入るだろう。恵輔と同じく音楽を選択していない男子生徒は、音楽を選択した生徒をうらやましがっている者も多い。
恵輔はうらやましいと思ったことは無かったが、今日話してみて思いの外、おもしろい先生だと感じた。妙に近くに寄りたがることには、閉口してしまったが……。
連城に言っていた「大切なもの」って何の事だろうか、「勉強」の事だろうか。当たり前すぎる気もするが……。
「……大切なものって何でしょうか?やっぱり勉強かなぁ。」
一瞬自分が口に出したのかと思った。が、当たり前だが、声が違った。
「四条先輩はどう思います?」
自信なさげな表情で見上げられて、恵輔は答えに詰まった。同じことを考えていたのだ。答えられるはずもない。
「……確かに、学生の本分は「勉強」だよね。でも、先生の話し方では違うような気もする。」
思ったことをそのまま答えて、年上なのに解らないことが何となく情けない。しかし、そういう自分を認めるしかない。恵輔は軽く頭を振って、苦笑いした。
「僕も解らないよ。でも…。」
「でも?」
きょとんとする志穂に恵輔はにっこり笑う。駅はもう目の前だ。
「勉強はしないとね。テスト前なんだから。」
「……はい。」
がっくりとうなだれる志穂の頭を恵輔は笑ってポンポンとたたいた。
落ち込んでいる様子の志穂に、恵輔はさらに考えていたことを続ける。
「先生は見つけるように言ったでしょ。これから見つければ、いいと思うよ。佐々宮さんの場合は、卒業までに見つけるなら三年近くあるでしょ。僕の場合は一年少ない。競争だとしたら、僕が不利だね。」
真剣に聞いていた顔が、ぱっと明るくなり、花がほころぶかのように笑顔になる。くるくる動く志穂の表情を見て、恵輔は自然に笑みが浮かぶ。
まだ出会って二日、時間にすればほんの数時間だが、この可愛らしい少女の様子をこれからも見ていきたいと思った。




