先輩
西校舎の一階はあまり人通りがない。昼休みならばともかく、二時間目と三時間目の間の休み時間なんて、ほとんど歩いていない。今も歩いているのは、志穂とクラスメイトだけである。
出席番号が一番違いで席が前後になった仙道未紗は、竹を割ったような性格で運動が得意である。しかし、おっとりとした志穂とは馬があい、行動を共にすることが多い。
「それでねーー。」
二人は話をしながら、北校舎に曲がろうとしたときである。志穂の目の前に、いきなり壁が出現した。
「志穂!」
「ーー痛。」
思いきり鼻を打ち付けて、そのまま後ろに倒れそうになるのを誰かに腕を捕まれ、抱き止められる。
「っと、ごめん!大丈夫?」
壁だと思ったのは、紺色の剣道着を身につけた長身の男子生徒であった。
「ご、ごめんなさい。前をよく見てなくて。」
「いつまで抱き締めているんだ。」
痛みで鼻を押さえながら志穂が言うと、横から腕を引かれた。
「今のは薫が悪い。大丈夫かい?」
腕を引いた人物の声にドキリとする。見上げれば、漆黒の瞳が志穂を見下ろしていた。こちらも紺色の剣道着を身につけている。似合いすぎていて格好いい、などとぼんやり考える。
「四条先輩」
「まだ痛む?お返しに薫るのこと殴っていいよ。」
優しい笑みを浮かべて、言っていることはかなりづれている恵輔に、志穂が落とした物を拾いながら薫は「オイ」と突っ込む。その横で未紗も散らかったプリントを拾い集めて吹き出した。
「何やってるんだ?仙道」
「あれ薫先輩、次は武道っすか?」
同じクラスの男子生徒が声をかけてきた。志穂がぶつかった先輩と知り合いらしい。三人でなにやら話始める。
「はい志穂ちゃん。」
「ありがとう。未紗ちゃん。」
集めてもらったプリントやら教科書を受け取っていると、恵輔は志穂に話しかけてくる。
「次の授業は理科Ⅰかい?」
「はい。近隣の植物の分布についての調査です。あ、時間。」
慌てたように志穂と未紗が腕時計を見るとまもなくチャイムがなりそうである。つられたように、男子生徒も時計を確認している。
「薫、行くよ。それじゃあ、またね。」
恵輔は後輩たちに小さく手をあげると、薫と共に小走りに去っていった。
後ろ姿を見送って未紗がホゥと息を漏らした、。
「格好いいよね、四条先輩。剣道着がすごく似合ってたね。もう一人の先輩も。ね、あの人何者?」
「あぁ、サッカー部のエースで、山崎薫先輩。」
行き先は同じなので、なんとなく四人で廊下を歩く。
「でも意外、薫先輩が剣道選択なんて、四条先輩は納得だけど。しかし、不思議と剣道着が板についてたね。」
「…強いもの。」
恵輔の剣道着姿についての感想に対して、志穂が答えると、他の三人が不思議そうな顔をした。
「え、だって、関東大会に出ることが決まったってきいたけど?」
戸惑ったように弟から仕入れた情報を口にすると、三人はポカンと口を開けた。
「えぇ?!だってこの学校剣道部ないじゃない?」
「そ、そうなんだけど、一人剣道部で、出場しているんだって。」
しどろもどろに志穂が答えると、三人は顔を見合わせた。
「佐々宮さん、詳しいね。」
「えっと、弟が、剣道やってて、それで、」
三人に詰め寄られて、あたふたと答えると、三人は納得したように頷いた。
「なるほどね。俺、てっきり佐々宮さんと付き合っているのかと思ったぜ。」
「そうよね。少し前に教室まで来てたしね。」
「あ、でも俺、陸上部の斉藤亜由美って先輩と付き合ってるって聞いたよ。」
志穂はその言葉にぎゅっと胸が締め付けられた。気を抜いたら、持っている物を落としそうだ。
「それ、私も聞いたよ。斉藤先輩って、短距離で表彰されてた綺麗な人でしょ?」
「そうそう、スタイル良くって、超ミニのスカートで壇上に上がったとき中が見えるかと思ったぜ。」
そこまで聞いて、志穂もわかった。実は恵輔と親しげに話しているところを見かけたことがある。そっか、彼女だったんだ。なんとなく胸が痛い。
「何よ。いやらしいわね。」
「スカートの中は男のロマンだろう!なぁ川原。」
「さあ、どうだろう。」
三人の話はだんだんずれていき、何故か男のロマンについてのことになっている。スカートの長さは膝上何センチ、ブラウスの下はタンクトップではなくキャミソールだなどと力説する川原に、未紗がダメ出しし、結城があきれるという形になっている。志穂は右から左へと聞き流すしかできなかった。
志穂は合唱部に所属している。中学の時は吹奏楽部でコントラバスの担当をしていたが、高校では歌うことに興味があったので、合唱部に入ったのだ。しかし、入部してからずっと伴奏担当で合唱に参加したことはない。電車を降りて人の流れに乗りながら、志穂はフゥとため息をついた。なんとなく気分が沈んでいる。伴奏とはいえ、ピアノを弾いても気分は変わらなかった。理由は良くわからないが、今日はとても疲れた。
ぼんやりしながら、改札を抜けると名前を呼ばれた。
「同じ電車だったみたいだね。」
弟の晧だった。




